「Xanadu」とプレッシャーのなかの優美
再びラッシュになるまでの長い道のりで、ゲディ・リーとアレックス・ライフソンは、死、病気、老い、自信喪失から、そして片方にとっては1966年以来続けてきた大麻の習慣にいたるまで、幾多の困難を乗り越えてきた。ただひとつ、霧だけは勘定に入っていなかった。
6月初旬、蘇ったラッシュは11年ぶりとなるコンサート、「Fifty Something」ツアー初日を迎えようとしていた。日曜の夜、ロサンゼルスのKia Forumの舞台裏で、ゲディは緊張していたが、アレックスはそうでもなかった。「意外なくらい、そんなに緊張していなかった」とギタリストは言う。
開演時刻になると、ステージを囲むビデオスクリーンがゆっくり上昇しはじめ、濃いスモークに包まれた二つの見慣れたシルエットが現れる。二人ともダブルネックを手にしている。アレックスはボリュームペダルに足を乗せ、1977年の「Xanadu」冒頭を飾る、膨らんでいくような音を鳴らす準備をした。さらにスモークが噴き出す。肩には12ポンドのギターの重みを感じるが、フレットが一本も見えない。
数フィート離れたところでは、ゲディが小さな鏡を見下ろしていた。ドラマーのアニカ・二レスを確認するために設置したものだ。だが煙のなかで、その「バックミラー」も完全に消えていた。「霧に溺れたようだった」とゲディは言う。まるで『スパイナル・タップ』の一シーンのような状況を思い出して笑う。
ほとんど何も見えない。それでも彼らは怯まず、曲を始めた。
アニカにとっては、生まれて初めてのラッシュのコンサート。その冒頭である。彼女は「Xanadu」のイントロに続く長大なドラムフィルの連続を駆け抜けた。1分ほど経ったところで、曲がりくねるリフを支えるタム主体のパートに突入する。
「こういうことは起こるものよ」と彼女は平然としている。「スティックを落とす。ドラマーなら慣れていることだから」。「彼女はプロだよ」とゲディも言う。「初日の本番で、きっちり仕事をやり遂げた」
ドイツのアシャッフェンブルク出身のアニカは43歳で、新しいバンド仲間より30歳若い。
「曲のそれぞれのパートで、少しずつ自分に声をかけながら進んでいく必要がありました。特に最初の公演では、どこかへ飛んでいってしまわないように」。彼女は事態の重さについては考えないようにした。「自分が座っている席がどれほど大きなものなのか、そこで自分が誰の役割を担っているのかを、ステージ上ではあまり考えないようにしてました。それが助けになりました。いまこの瞬間にいること。そこに存在して、集中すること」
いうまでもなく、彼女が座るその席は、永遠にニール・パートのものである。
ニールは2020年、脳腫瘍で亡くなった。ロサンゼルスのその夜は、1974年8月14日にニールがラッシュでデビューして以来、彼抜きで行われる初めてのラッシュのコンサートだった。ニールは唯一無二のヴィルトゥオーゾであり、ロック史上最高のドラマーの一人だった。怪物的に複雑な彼のドラムパートはラッシュのサウンドそのものと切り離すことができない。彼の代わりを誰かに務めさせることは、長いあいだ想像することすらできなかった。
しかも彼は作詞家でもあった。初期に愛すべきSF/ファンタジー路線を経た後、カナダ最高峰のパワートリオに知的な野心と詩的な魂を与えたのがニールだった。
1991年の「Dreamline」でゲディはこう歌った。「不死身でいられるのは限られた時間だけ」。だがゲディはまるで、今回のツアーでそれが間違っていることを証明しようとしているかのようだ。ラッシュのフロントマンでありベーシストであり、バンドの事実上の現場監督でもある彼は、消滅していたバンドを復活させるだけでは満足せず、過剰でほとんどマゾヒスティックとも言える目標を課した。
「そうしないと気が済まないんだ」とゲディは言う。
キーボードのローレン・ゴールドを加えたメンバーは、40曲以上を覚えなくてはならなかった。その多くは、普通のバンドならアルバム一枚分に相当するほどの展開を一曲のなかに詰め込んだ曲である。セットリストは4種類あり、順番に使われる。そこには、そもそも演奏困難で知られるラッシュのカタログのなかでも、とりわけ難しい楽曲が大量に入っている。『2112』のA面を丸ごと演奏することなど、ほんの序の口にすぎない。
ゴールドが加入したことで、少なくともキーボードパートのたびにゲディが足でベースペダルを操作する必要はなくなった。それでも特徴的なシンセのリフの一部は、自分で弾く。「なぜそんなことをするのか? 自分を試すためだよ」。7月に73歳になったゲディは言う。
「月に向かって吠えるようなものだ。『もうこの歳だ。
一方、アレックスの葛藤は、もっと生々しく身体的なものだった。
「リハーサル最後の1カ月は、夜中の2時にベッドの端に座って、『本当に正しい決断だったのか? できるのか? まだ弾けるのか? 十分うまいのか?』。そう考えることが何度もあった」
一本の漏斗のなかに流れ込んだすべてが濾過されたように感じられたのは、日曜日、実際にステージに立った瞬間だった。
「そのとき初めて思った。『ああ、ここまでやってきたことには全部意味があった。自分が本当にいたい場所はここなんだ』って。今週は疲れている。でも心の底から幸せだ」
トリビュートバンドなんかじゃない
ゲディは、バンドが2015年8月に別れを告げたその瞬間から、もう一度ステージに戻りたいと思っていた。しかしツアーを実現するには、何カ月にもわたって厳しい準備を重ねる必要があった。娘のカイラによれば、この1年半ものあいだ、父親が心から笑う姿をほとんど見なかったという。
「ミュージシャンとしての自分の人生を振り返っても、個人としてもバンドとしても、これほどリハーサルしたことはなかったと思う」とゲディは言う。
「もちろんそれは必要なことだった。とてつもない大仕事だからね……最後の1カ月半は、たしか27日のうち24日間を、本番を丸ごと通すことだけに費やした。ステージから長く離れていたし、ショーをつくり、それぞれのパートを完成させるために全身全霊を注ぎ込んだ。それでも、幕が上がったとき、そこにどんな自分がいるか、自分にもわからなかった」
RICHARD SIBBALD
緊張はあったものの初日は大成功だった。観客はアニカを瞬時に、どこか感謝するように受け入れた。3回、4回と公演が進むうちに、当初あった緊張感もほとんど抜けた。アレックスはステージを歩き回り、新しいドラマーを笑わせるようになった。
「以前よりずっと力が抜けている」とゲディは言う。「もっとふざけてる」。ゲディ自身も「Red Barchetta」のリフや「La Villa Strangiato」のクライマックスを弾きながら、何度となく思わず宙に飛び上がった。70代で、この先何カ月も世界ツアーが続き、カナダでの凱旋公演も二度予定されている人間にとって、ジャンプするのはあまり賢明ではないのではないか。誰かにそう言われなかったのだろうか。「言われたよ」とゲディはニヤリと笑う。「トレーナーだろ。そして妻。さらに娘」。
ほんの2年前、アレックスは、もう心は決まっていると言っていた。「ドラマーを入れて、ラッシュ復活みたいな体でツアーに出る可能性はない」。2024年5月のことだ。彼とゲディはちょうど、プライベートで再びラッシュの曲を演奏しはじめたところだった。しかしアレックスは、それは単なる遊びだと言い張った。「Envy of None」というバンドでレコーディングしていたが、それを除くと、半引退状態に満足している人物に見えた。
「復活なんてしたらファンに対して不誠実だと思うし、単なる金儲けにしかならない」。数カ月後の別のインタビューでは、さらに一歩踏み込んだ。「R40ツアー」こそが絶頂だったと言い、「ラッシュの最高級トリビュートバンドとして戻ってくるより、あの遺産のまま記憶されたいと思っている」。
RICHARD SIBBALD
2022年9月、亡くなったフー・ファイターズのドラマー、テイラー・ホーキンスを追悼する二つのコンサートで、ゲディとアレックスはニールの死後初めて共演した。ドラマーは曲ごとに交代した。それ以前の二人は、「ラッシュは終わった」とはっきり言っていた。「もう終わりだよ。そうだろ? 終わったんだ」。2020年末、ゲディは私にそう言った。
だが久しぶりにラッシュの曲を自分の指で演奏すると、二人の確信は少し揺らいだ。最初の公演が行われたウェンブリー・スタジアムの舞台裏で、ポール・マッカートニーから「またツアーに出るべきだ」とけしかけられたことも背中を押した。直後、アレックスはいったんその気になったが、ほどなくまた考えを変えた。
ゲディは諦めずに説得を続けた。そのうち、アレックスがインタビューで口にする言葉が、ますます理解できなくなった。「アレックスは、面と向かって言うことと公の場で言うことを変えるのが本当にうまいんだ」とゲディは語る。「『どういうことだろ』ってなるよね」。
アレックスはそれに対して肩をすくめてこう言う。「まあ、たしかにそういうところはあるな」。
二人はいま、ウェスト・ハリウッドのSunset Marquisの地下にある暗いスタジオで並んで座っている。1970年代から通ってきた根城のひとつだ。ゲディは親友を心から愛している。だが、アレックスが公に語っていたことのなかに、一つだけどうしても許せないものがあった。
「彼がどう感じているかは知っているし、ずっとどう感じてきたかも知っている」とゲディは言う。「何より先に、俺たちは友達だから。でも……あの”トリビュート”の話を聞いたときは『お前の曲だろ、この野郎!』って思ったよ」
「これはトリビュートバンドなんかじゃない。あの曲はニールと一緒だったころと同じくらい、僕たち自身のものなんだ。僕たちの一部なんだ。お前の魂の一部で、心の一部なんだ。おそらく、二人でまた演奏しはじめたとき、その感覚が彼のなかで目を覚ましたんだと思う」
アレックスは、面と向かってゲディに言う勇気がなかったことをメディアを通じて伝えようとしていたのかもしれない、と振り返る。「たぶん、少しシグナルを送ろうとしていたんだと思う。『いや、ラッシュのトリビュートバンドなんてやりたくないよ』とか何とか言って、自分で越えなくて済むよう壁をつくろうとしていたんじゃないかな」
2024年にも語っていたが、アレックスの消極的な態度には、感情面だけでなく身体的な理由もあった。二度の手術が失敗した後、彼は胃の動きが止まる胃不全麻痺に苦しみ、常に吐き気を感じていた。手の関節炎も続いていた。ただし、こちらは薬でおおむね抑えられていた。だからこそ、ツアー生活そのものが恐ろしかった。
「ホテルの部屋が牢獄みたいに感じることがある」と彼は言う。「孤独な場所なんだ。本当にまたあれをやりたいのか、自分でもわからなかった」
アレックスの大掃除
転機が訪れたのは2025年だった。アレックスは、オーストリアの田園地帯、湖畔にある評判のウェルネス施設「VivaMayr」に滞在した。スタッフが個人向けの低カロリー食を組み、毎日腹部をマッサージし、パンを40回噛むよう指導する施設だ。ゲディも「精神的な支え」として同行し、アルコールもカフェインも禁止という環境にもかかわらず、意外にも楽しんだ。
アレックスは二度の滞在で30ポンド減量し、消化器系の問題との付き合い方も学んだ。「本当に立ち直ることができた」と彼は言う。滞在中、二人はアレックスの部屋にスタジオをつくった。機材は自宅から送ってもらい、楽器は地元の楽器店で調達した。毎日の治療が終わると、二人は音楽をつくりはじめた。
「本気でのめり込みはじめたんだ」とゲディは言う。「のめり込む感覚と、彼自身が体調のよさを実感していたことが合わさって、『もしかしたら、真剣に考えてみてもいいんじゃないか』という気持ちになれたんだと思う」
ゲディ自身はちょうど3冊目の本を書き終えたところで、じっとしていられなくなっていた。「プロジェクトがない状態が嫌なんだ。何か夢中になれるものがないと楽しくないんだ。そこで、よし、歌詞を書くぞ。指も鍛え直す。そう思ったんだ」。
しばらくのあいだは、2000年以来となる初のソロアルバム、あるいは人生初のソロツアーに向かっているのかもしれないと考えていた。書いていた歌詞のなかには、ラッシュでやるには個人的すぎると感じるものもあった。そもそもニール加入以前のファーストアルバム以来、ラッシュでは自分の歌詞を歌っていない。
「でもそこに行く前に、火がついたんだ」。アレックスも認めざるを得なかった。「二人で腰を据えて演奏したとき、これはラッシュのトリビュートバンドなんかじゃないと悟った。ラッシュになることだったんだ。しかもラッシュの、かなりいい形の一つにね。これまでのラッシュとも、まったく別物だった」
RICHARD SIBBALD
アレックスには、もう一つ習慣を変える必要があった。彼が初めて大麻を吸ったのは13歳のときだった。やめていた時期もあるが、この20年はかなり恒常的な付き合いだった。「スタジオでやるのは好きだった」と彼は言う。「シラフの世界とは違う種類の創造性に火をつけてくれる感じがあった」。だが、ツアー開始の4カ月前、72歳で彼はやめた。夜にハイになって、いつものようにギターを手にすると「あまりうまく弾けなかった」からだ。
「自分の腕に自信が持てなくなって、これから先のことについてもネガティブな気持ちになりはじめた。もう準備は半分まで来ている。海の上をものすごい速度で進んでいる船から、いまさら降りるわけにはいかない。それで思ったんだ。これは、自分の脳が本来働くべきやり方やいま必要な集中力や規律を邪魔している、と」
そこからTHC(テトラヒドロカンナビノール)の一掃作戦が始まった。
「起き上がって浴室に行って大麻を入れていた小瓶やパイプを全部ゴミ袋に突っ込み、キッチンにあったパイプも全部捨てた。スタジオには巻いてあるジョイントが一箱あって、『ああ、これだけは好きだから残しておこうかな』と思ったんだけど、『アル、それじゃ意味がないだろ』って自分に言い聞かせてそれも捨てた。隠してあった場所を一つ残らず回った。おかげでゴミ袋が、パイプ、ボング、大麻、大麻、大麻でいっぱいになった。友達には全員、『なんで捨てたんだよ。電話してくれれば喜んでもらったのに』って言われたよ」
最初は1週間だけやめるつもりだった。その後、1カ月に延ばした。「THCは普通、30日くらい体内に残るからね。1カ月まで来たところで、『なんてこった、じゃあこの先2年間止めてるか、となった。それはつまり『ツアーのあいだずっと』ということなんだけど」
後悔はない。
「ステージに立ちながら、大麻を吸っていなくて本当によかったと思ったよ。頭がずっとクリアなんだ。昔みたいにやるべきことを先延ばしにもしなくなったし、記憶力もずっとよくなった。全部、大麻について世間で言われていることそのままだよ。自分は一度も信じていなかったけど」
酒もほとんどやめた。「本当にポジティブな経験だった。こんなふうになるとは思わなかったし、むしろ、ならないでほしいと思ってたんだけどね」。
RICHARD SIBBALD
細部へのこだわりという点では、アレックスもゲディに負けていない。今回のツアーでは物理的なギターアンプを捨て、デジタル・エミュレーションに移行することを決めた。それぞれの曲で、レコーディング時に使用したアンプとエフェクトを正確に再現するよう、サウンドを組んだ。「とんでもなく複雑なペダルと音色のセットアップを組んでるんだ」とゲディは言う。「曲の一瞬一瞬を、オリジナルのその瞬間に忠実なものにする。ただそれだけのためにね」
アレックスはリハーサル期間中ずっと音を調整し続けた。その結果30分も待たされることがあり、そのことをゲディは必ずしも喜んでいなかった。ツアーが始まった今でも、アレックスはまだプリセットをいじり続けている。「いつだって、もうほんの少しだけよくしたいところがあるんだよ」とアレックスは言う。「そうしてるのが好きなんだ。それが自分を動かしている。俺の脳はそういうふうにできているんだ」
ゲディが笑う。
「こいつ、本当にクソみたいに”ギタリスト”なんだよ。昔からスタジオに伝わるこんなジョークがある。ギタリストが音をつくって、プロデューサーが言う。『それだ。完璧だ!』。するとギタリストが言う。『よし、じゃあ変えよう』って言い出すやつだ」
「Tom Sawyer」のハイハット
「代わりのいない人間を、どうやって代えるのか?」。ゲディの言葉を借りれば、それこそが彼らの前にあった最大の問いだった。
2022年秋、長年ゲディのベース・テックを務めてきたジョン・”スカリー”・マッキントッシュがジェフ・ベックのツアーに参加した。ベックは新しいドラマーを起用していた。オンラインでかなりの人気を持つアニカ・二レスだ。スカリーはすぐさま彼女に惚れ込んだ。テイラー・ホーキンスの追悼公演を終えたばかりのゲディに連絡し、将来一緒に演奏する候補として彼女を薦めた。
ゲディはYouTubeで彼女を検索した。ベックのツアー映像では、サングラス姿のアニカがジョン・ボーナムのようなグルーヴを叩き出し、ベックの最も複雑な楽曲や、ビリー・コブハムの「Stratus」の細かく刻むハイハットを軽々と演奏しながら、獣のようなフィルを次々と繰り出していた。「Alter Ego」のようなソロ曲ではさらにテクニカルで、パートは絶え間なく変化し、ポリリズムや変拍子を弄びながらも、打楽器的なメロディー感覚が際立っていた。
五連符についてを彼女が教える教則動画も観た。偉大なドラマーと変拍子についてなら一家言あるゲディも感銘を受けた。「『なってこった、めちゃうまいな』って思った」とゲディは言う。「演奏が面白いんだ。演奏だけでなく、人としてもカリスマがある。加えて華もある」
名前を頭のなかにしまい込んだ。「でも3年間、誰にも言わなかった」。アレックスは、参加することを心に決めると「この仕事に合いそうな何人か」をゲディに提案したという。だがゲディは、まずアニカをチェックしろと言った。アレックスはすぐさま理解した。「彼女を気に入った理由がわかったよ。すごくいい」。
スカリーが連絡を取り、Zoomでの顔合わせもうまくいった。そしてゲディが誘った。「トロントに来て、一緒にジャムって思い切り叩いてみないか」。アニカほどの技量をもってしても、ゲディとアレックスが心の底から確信できたのは、この非公式なオーディションの5日目のことだった。
彼女はドラム界隈ではすでに知られており、2017年には『Modern Drummer』誌の表紙も飾っている。とはいえ、一般にも知られるような大きな実績は、ジェフ・ベックのツアーくらいしかなかった。ベックはアニカに、何をどう叩くべきかを一切指示しなかった。だから彼女は、自分がラッシュには向いていないだろうと思いながらオーディションに臨んだ。
「細部まで全部準備するべきなのか、それとも大きなパートだけ押さえて、ところどころ自由にやっていいのか、よくわからなかったんです」。最初の数日間「Tom Sawyer」のフィルインは叩けたが、曲全体の感触がつかめなかった。「Subdivisions」では、すでに十分装飾的なパートの上に、さらに複雑さを加えてしまったりもした。
「余計なグレースノートがたくさん入っていた」とゲディは言う。「自分に何を求められているのか、完全には理解できていなかったんだと思う」。ところが、ニールが自らを「作曲するドラマー」と呼び、そのドラムパートが楽曲そのものに組み込まれていたことを理解すると、「彼女は曲を聴く方法そのものを大きく変えた」とゲディは言う。
ここに至るためには、これまで苦労して身につけた技術の一部を、早急に解体しなくてはならなかった。「Tom Sawyer」を特徴づける要素の一つである、ハイハットの「あのいやらしい16分音符」を演奏するには、彼女の奏法は洗練されすぎていた。ニールの恐ろしく機械的な音を出すには、もっと強く、すべての音を同じ強さで叩く必要があった。手首ではなく前腕を使って。以前のインタビューでアニカは、男性ドラマーの身体的な強さを、彼女は技術で補ってきたと語っていた。しかしラッシュでは、単純にもっと強くなることを選んだ。数カ月にわたって、リハーサルの合間に筋力トレーニングを続けてきたが、その成果はスネアの一打一打に聞き取ることができる。
「もっと筋力そのものを使って叩く必要がある」。それを受けてドラムセットそのものも、どんどん巨大になっていった。そして彼女は、ラッシュの最初期のレコードにおけるニールの容赦ない音が好きになった。
「ロックドラム、楽しい!」。早い段階で、彼女はメンバーにそう言ったのだという。そうなるまでには、ニールの演奏に異様なまでに深く入り込む必要があった。「いまは、ニールが自分のなかにいます」と彼女は言う。「私がいちばん学んだのは、作曲としてのドラムという部分。彼は本当に天才でした。ずっと積み上げて、積み上げて、積み上げていって、最後には『一体何が起きてるの?』と思うところまでドラムパートを持っていくんです」
「彼女を本当に誇らしく思う瞬間がある」とゲディは言う。「率直に言えば、この仕事をやるには、自分自身の一部を妥協する必要がある。別のドラマーのパートに忠実であろうとしているわけだから……それは犠牲なんだ」。
アニカにとっては単純な話である。「私はエゴがないから、求められたことを演奏します」。とはいえ、ニールのパートを顕微鏡レベルで完コピしようとしているわけではない。いまでも少しずつ自分らしさを忍び込ませている。「同時に私自身も一人のミュージシャンで、自分のキャラクターと自分のスタイルを持っています。それは、望まなくても自然に出るものです」
アニカをバンドになじませていくなかで、ゲディとアレックス自身も、自分たちの音楽的なやり方がどれほど奇妙で閉じたものだったかを、あらためて知ることになった。「アニカが時々メールしてきて、『ここ何拍子?』って聞くんだけど、『さあ、わからないな』と返すこともあった」とゲディは言う。「変拍子の奇妙なパッセージを演奏するのに拍子を数える必要がなかったんだ。いくつかのフレーズをつなげていただけだから……互いのパートの細かなニュアンスをあまりにも深く知っていたから、相手の演奏そのものが合図になっていた。でも彼女にはまだそこまでの蓄積がなかった。当然、その合図を頼りに演奏することはできなかった。でも今ならできると思う」
RICHARD SIBBALD
アニカはドラマーに囲まれて育ち、6歳には演奏を始めていた。両親は才能を認めていたが、ミュージシャンという職業の不安定さを心配した。そこで彼女は5年間、ソーシャルワークを学び、幼稚園で子どもたちと働く仕事に就いた。それでも夜や週末には演奏を続けていた。もう一つの人生が、ずっと彼女を呼んでいた。
26歳のとき、人生をやり直した。マンハイムのポップアカデミー・バーデン=ヴュルテンベルクに入学したのだ。若い同級生たちに比べて自分は完全に遅れていると思っていた。「自分はもう歳だし、下手くそだと思っていた」。以前、そう語っていた。だがやがて彼女は彼らを追い越した。後にロック界でもっとも重圧の大きい仕事を手に入れることになる、その勤勉さと謙虚さをもって。彼女の演奏動画はやがてバイラルするようになり、YouTubeでの成功がジェフ・ベックとの仕事につながった。
「こんな大きなことが本当に自分に起こるなんて、一度も想像したことありませんでした。ドイツ国内で普通にツアーの仕事ができれば、それだけで十分幸せだと思ってたんです」
ニールの死後、自分からラッシュに売り込みをかけてきたドラマーは一人や二人ではなかった。ゲディはそれを不快に感じていた。アニカはこの仕事を欲したこともなければ、自分がそこに座ることを想像したこともなかった。オーディション以前はラッシュの音楽にもそれほど詳しくなかった。ファンにとっては、そのすべてがむしろ好材料だ。
有名セッションドラマーや他バンドから借りてきたスーパードラマーだったなら、ディテールにうるさいラッシュの熱狂的ファンがこれほど熱狂的に歓迎することはなかっただろう。「観客が本当に彼女を受け入れているのを見るのは最高の気分だ」とアレックスは言う。「みんな彼女を応援している。本当に成功してほしいと思っているんだ」
最初のコンサートの前、アニカのもとにニールの妻、キャリー・ナットールから連絡が届いた。
「心のこもった素敵なメッセージでした」とアニカは言う。「彼女がこの再出発に乗り気で、これからの旅を楽しみにしてくれているとわかったのが本当にうれしかった」。
最初の数公演を終え、アニカもようやく、出来事の大きさを実感することを少しずつ自分に許しはじめている。「ものすごくエネルギーを感じています。と同時に、ほっとしてもいます」。そのことは、「Tom Sawyer」のドラムフィルを完璧に決めた直後に見せる満面の笑顔にも表れていた。その瞬間、何を考えていたのかと聞かれると、彼女は大笑いする。「最後まで行けた!ってことよ!」。
「A Farewell to Kings」再び
バンドを再建する前に、ゲディ自身も、まず自分を再建する必要があった。「10年間、仕事として本格的なレベルで定期的にベースを弾いていなかった」と彼は言う。「自分では大丈夫だと思っていた。スタジオへ降りていって、山ほどあるベースの一本を手に取って弾く。『相変わらずいい感じ!』って思ってた。でも違うんだ。演奏できる体じゃなかった。ツアーを回れる体じゃない。指のタコの上にタコがでてき、その上にまたタコができて、夜になると指がジンジン燃えるくらいになって、初めて仕上がったと言える。だからアレックスがツアーに同意するよりも前から、指を戻すことを決めていた」
もう一つの課題は、もっと恐ろしく、もっと個人的なものだった。なぜゲディの声はあれほど高かったのか。本人にもわからなかった。しかし、ここでついにそれを突き止める必要が出てきたのだ。
1970年代のゲディは、スピーカーを焼き切りそうな金切り声で歌っていた。ヴォーカル指導を受けたことも、意識的に身につけたテクニックもなかった。ただ気の赴くまま、なぜかこのやり方で──意地の悪い批評家に言わせれば間違ったやり方で──やってきた。
1980年代以降、高音域が徐々に出なくなっていった。それでも「Freewill」の最後のヴァースでは、ガラスを割りそうな高さまで声を押し上げることができた。歳を重ねるにつれ、幽鬼のような金切り声を出すのが難しくなり、とりわけ今世紀に入ってからはそれが顕著だった。ゲディはそれを年を取ればそうなるものだと考え、できる範囲でやってきた。時には曲のキーを下げることもあった。
だが今回、プロとして歌い始めて50年以上を経て、初めてレッスンを受けることにした。オンタリオ州の小さな町イルダートンから遠隔指導を行うベテランのヴォーカルコーチ、ミッチ・シーキンズとZoomでレッスンを始めた。
長年ラッシュのファンだったシーキンズは、ゲディが本番に出られる状態からは程遠いことをすぐに察した。「衝撃的でした」とシーキンズは言う。「本当に、ひどく衰えていたんです。上の音域では筋肉がもう反応していませんでした」。しかしコーチは、良い兆候も見てとった。
「声自体はちゃんと残っていました。ただ、それを出せていなかっただけなんです。本人は、若いころと同じようにまた歌えるのか自信を持てずにいましたが、加齢による声の衰えは実はまったくなかったんです」
RICHARD SIBBALD
実際、かつてのような無鉄砲な力強さは失われたものの、高音域そのものはまだすべて出すことができた。むしろ最大の課題は、それができるとゲディ自身に信じさせることだった。「声を回復する上でいちばん難しいのは心なんです」とシーキンズは言う。彼の指導は、時にヨーダの教えのようでもある。「これは無意識の問題なんです。自分には何かができないと自分自身を納得させてしまったら、本当にできなくなってしまうんです」
週4回のトレーニングを続けるうちに、ゲディは次第にコツをつかんでいった。「ジムへ行って筋肉を鍛えるのと同じだよ」と彼は言う。「筋肉を鍛えることならこれまでもそれやってきた。それと同じように、声がどうやって音になるのかをしっかり解剖して、それを実践すればいい」。それでも、「いくつかの曲かについては、試すのが怖かった」。しかしすぐに、うまくいくことが明らかになった。
「みんなで顔を見合わせて『マジか』って感じでした」。そう語るのは、長年ラッシュと仕事をしてきたデイル・ヘスリップだ。今回のツアーではオープニング映像を監督し、ステージもデザインした。「本当に時間を巻き戻したみたいでした」。ゲディが自信をつけるにつれ、新たな可能性も開けていった。長らく演奏していなかった1977年の「A Farewell to Kings」をセットに戻すことも、その一つだった。これは、いまでも、ゲディとアレックスの双方にとって今回のツアーで最も難しい曲だ。予測不能な変拍子、難易度の高いナイロン弦ギターのイントロ、ギターソロ部分の奇妙な展開、その他大量の複雑な要素のなかに、若い頃の野心が封じ込められている。
「ヴァースに入ると、このクソみたいに高い成層圏で歌わなくちゃいけない」とゲディは言う。「これだけ昔の曲をもう一度やるとなると、やっぱりものすごく不安になる……この歳になると、みんな昔と同じようには歌えないだろうと想定するはずだけど、それを受け入れたくないんだ」
もちろんキーを下げる選択肢はある。『2112』や「Anthem」ではそうしている。そのほうがヘヴィに聞こえるから、というのがふたりの言い分だ。「半分は言い訳で、半分は本当」とゲディは言う。その一方で「Freewill」は慎重に検討した末、原曲のキーを維持することにした。
「あの3番のヴァースを歌えないなら、あの曲は絶対にやらない。あそこが、毎晩のセットリストのなかで歌ういちばんの高音だから」。そして、彼は毎晩そこまで登りきる。「猫たちがニャーニャー鳴いてるようなものだね」とゲディは言う。
「Time Stand Still」と「Bravado」
ステージ上で後ろを振り返ると、ドラムの席に陽気な金髪の女性が座っているのを見て驚く瞬間がある。「今でも、あそこにはニールの厳しい顔があるはずだと思ってしまう」とゲディは言う。実際、ニールはいまもショーのなかで生きている。その意味で毎晩もっともエモーショナルな瞬間となるのが、「Time Stand Still」と「Bravado」だ。どちらもニールへのトリビュートとして演奏され、スクリーンには彼の顔が映り、そこに、人生と芸術に対する妥協のない姿勢について語る彼自身の声がかぶさる。
「Bravado」でゲディは歌う。「夢を勝ち取るためにすべてを失ったとしても/僕たちは代償を払う/だがそれを数えたりはしない」。続くアレックスのソロも、一つの追悼である。「ある意味、繊細でなくてはいけない」と彼は言う。「感情がなければならない。そしてクレッシェンドが必要だ。最後にはポジティブな場所へ行かなくてはいけない」。例え明示的な追悼演出がなくても、ニールの存在を消すことはできない。
2015年にニール自身が強調していた。ラッシュがこれほど長く続いたのは、三人の深い協働関係があったからだ。三角形を構成する三人の誰もが不可欠だった。「一人だけが全部の曲を書いて、全部の注目を集めるようなバンドがどうなるか、わかるだろう」。ニールは、作詞のすべてを行っていたガレージの隠れ家でウイスキーを飲みながらそう言った。
「うちらの場合、注目を集めるのはシンガーだ。でも自分もそこに座って演奏しながら、ゲディが自分の書いた歌詞を歌っているのを見ることができる。自分たちの役割が共有されていて、そこから得られる報酬や評価も共有されている。それが大きい。バンドなんて続かないのが普通だから。The Police。Talking Heads。誰か一人に、あらゆる意味でバンドのすべてが集中してしまえば、そのバンドは長続きしない」
もしニールが亡くなってすぐにラッシュがツアーをしていたなら、今回のショーに盛り込まれている軽妙な場面を入れるのは難しかったかもしれない。コミカルなオープニング映像や、South Parkのカートマンが「Tom Sawyer」のカウントを取って「Lil Rush」のフロントに立つ恒例の演出などだ。
「不在を受け入れなくてはなりません」とツアーのクリエイティブ・ディレクター、アラン・ワインリブは言う。ちなみに彼はゲディの兄である。「でも結局のところ、これはゲディとアレックスがまたツアーに出るということなんです。ツアーに出ると決めた以上、もう一度楽しむと決めたということなんです」
「葬式みたいにはしたくなかった」とゲディは言う。曲によっては、いまでも声が詰まることは認める。
「みんなには、彼のことを幸せな気持ちで思い出してほしいし、あんなクソみたいに素晴らしい人間だった彼のことを寿いでほしい……でも自分としてはまだ全部は受け入れられてはいない。彼の歌詞を歌うと、本当に彼を近くに感じる。心が死んでしまわない限り、そうならずにはいられない。彼について話すだけでも、ときどき抑えられなくなる。つらいよ。彼の一部は決して……あの悲しみは、完全に消えることはないと思う」
ニールの妻キャリーと娘のオリヴィアは、ロサンゼルスでの最初の2公演を観に来た。「本当につらかったと思う」とゲディは言う。「今もまだ深い悲しみのなかにいる。そんななかで、ニールのいないラッシュを最初から最後まで観る。苦しかったと思う。そのつらさはわかっているつもりだ」
長年ラッシュのアルバムカバーを手がけてきたヒュー・サイムによるツアーポスターも、この状況を暗示している。電線の上に二羽の小鳥がいて、三羽目がそこから飛び去っている。「偶然にも」とゲディは言う。「最近、鳥にまつわる出来事があってね」。
初公演の翌朝、ゲディが滞在先の家の居間に入ると、床に一羽の鳥がいて、こちらをじっと見ていた。彼は、その鳥がポスターに描かれた鳥とまったく同じに見えたと断言する。鳥はベッドの周りを一周し、着地し、もう一度ゲディを見てから、窓の外へと飛んでいった。
「ものすごく奇妙だった」とゲディは言う。どうしても、ニールが会いに来たように思えてならなかった。「こういうオカルトっぽい話を普段は信じないんだ。でも、あれは特別だった」。ゲディは携帯を取り出してアレックスにメッセージを送った。送信ボタンを押したその瞬間、鳥がまた現れ、開いたドアから頭を出した。もう一度ゲディをじっと見つめ、それから今度こそ飛び去っていった。
エントロピーに逆らって
ニールが大量の文章を書き残していることを考えれば、どこかに未使用の歌詞が十分残っていて、それを新しいラッシュの曲の土台にできる可能性はあるはずだ。だがそのことを口にすると、ゲディは慎重になり、わずかに居心地悪そうにした。
「考えたこともなかった」と彼は言う。「いい質問だね」。新曲全般についてはどうか。「火種はどこにでもある」とゲディは言う。「でも今は、先走る余裕がない。このバンドを組んだ目的は、このツアーだった。ツアーが終わったら、その時点でもう一度状況を見て、自分たちに何があるのか、何をしたいのかを考えるんだと思う。これ以上の答えは本当にできない」
RICHARD SIBBALD
「Fifty Something」ツアーの客席では、実に多くの人が涙を流している。ファンはニールを悼んでいる。しかしそれと同じくらい、ラッシュというバンドが、束の間ではあれ、ありえないかたちで、エントロピーに逆らってみせたことに心を動かされている。
20世紀と、そこにいたミュージシャンたちが次々と遠く消え去っていく。それでもラッシュは戻ってきた。「奇跡のツアーです」とワインリブは言う。メンバー自身は、あまり大仰なことを言いたがらないが、その気持ちは理解している。
「ステージ上からでも感じるよ」とアレックスは言う。「客席から感じるんだ。みんながあれほど楽しそうにしている姿を見るのは素敵だよ。今は決して楽しい時代じゃないからね。ちょっとした逃避になるんだと思う。家族全員がこの大きなピクニックに集まっているみたいで、ハイタッチをして、笑って、泣いている。それは、本当に美しい時間だ」
ゲディがうなずく。「みんながこのツアーに反応しているのは、ここで起きている何かを必要としているからなんだと思う。そして今の世界には、そういうものが少なすぎるのかもしれない」
あるいは、もっと単純な話なのかもしれない。「俺たちはロックバンドなんだ。まだやってる奴らは、もうそんなに多くない」。彼は笑う。「俺たちは変わったロックバンドだけど、それでもまだここにいる。ロックしようとしているんだ」
From Rolling Stone US.
※Rolling Stone Canadaとの共同制作
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