1985年8月12日に発生し、520名もの尊い命が失われたJAL(日本航空)123便の墜落事故。単独機の航空事故としては世界史上最悪の惨事となってから、今年で41年を迎えます。
1985年8月12日、羽田空港から大阪伊丹空港へ向かっていたJAL123便(ボーイング747SR。機体登録番号JA8119)が群馬県の山中に墜落しました。
事故後に公表された事故調査報告書では、機体後部の圧力隔壁が破壊したことが原因と結論づけられました。この破壊により垂直尾翼が脱落し、さらに機体を制御するための油圧系統が全て失われた結果、操縦不能に陥ったとされています。
隔壁が破壊に至ったのは、過去の修理が不適切だったためと説明されています。事故機は1978年、伊丹空港で着陸する際、胴体尾部を滑走路に接触させる事故を起こしていました。その後のボーイング社による修理に不備があったことが、7年後の大惨事を引き起こしたというのです。
しかし、この公式報告書の内容に対し、乗員組合連絡会(ALPA)は複数の疑問点を指摘し、再調査の必要性を訴えています。
ALPAが公表した資料によると、事故機JA8119は修理後、運航中に多くの不具合を起こしていました。特に顕著だったのが、後部化粧室のドアの不具合で、実に28回も発生していたといいます。この不具合は、客室後部のコートルームに大量の荷物を置いた際に発生し、荷物の搭載を禁止すると問題が解消したとされています。
これは、胴体後部に大きな荷重がかかった際に、機体の構造そのものに歪みが生じていた可能性を示唆するものです。航空機で運航中に発生した不具合は、備え付けの日誌への記載が義務付けられています。当然、このドアの不具合も記録されていたはずです。
見過ごされた? 日米の「検査」の違いボーイング社の修理が不適切だったという点にも、疑問が残ります。米国のルールでは、機体の修理を行う際、修理の過程でも検査が実施され、指示書通りに作業が行われているかを確認します。この過程が検証されて初めて、修理後の耐空検査に合格できる仕組みです。
しかし日本では、この修理過程を検査しないまま耐空検査が完了し、耐空証明が出されていたことになります。耐空証明の有効期限は1年であり、毎年検査が行われていたはずです。その際に飛行日誌の内容が詳しく精査され、乗員らの証言が重視されていれば、この機体特有の歪みが問題視され、修理箇所の再検査が行われていた可能性は否定できません。
さらに、日本の事故調査に関する制度的な問題も、20年以上前から指摘されてきました。日本は国際民間航空条約の批准国ですが、事故調査の方法が同条約の第13付属書(ICAO Annex13)が定める国際基準に準拠していないという点です。
この条約では、事故原因の究明と再発防止を最優先事項としています。
加えて、日本の事故調査委員会は行政機関から完全に独立しておらず、国土交通省に不利な内容の報告書が出にくい体質があるとも指摘されています。
JAL123便の事故から41年。事故の記憶を風化させまいとする努力が続けられています。しかし、私たちが本当に忘れてはならないのは、この悲劇から得られた教訓を真摯に受け止め、航空機の検査方法や事故調査に関する法制度そのものを見直すことではないでしょうか。

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