元広島・田中広輔さんインタビュー 中編
(前編:カープ3連覇を支えた田中広輔が振り返る野球人生 プロ志望届を2度見送ってからの指名は「不思議な感情になった」>>)
広島東洋カープのリードオフマンとして、長く活躍した田中広輔氏が振り返る野球人生。そのインタビュー中編では、セ・リーグ3連覇を成し遂げた2016~18年シーズンの記憶や、当時の主力選手とのエピソードを振り返ってもらった。
【カープ3連覇の土台を作った、石井琢朗氏の猛練習】
――2013年のドラフト3位で広島に入団した田中さんは、春季キャンプから存在感を示し、ルーキーながら開幕一軍を手にしました。入団当初で印象に残っている出来事はありますか?
「当時は石井琢朗さん(現・巨人二軍監督)が守備コーチをされていたので、春季キャンプの時には朝から晩まで延々と練習で......。僕はショートの即戦力として期待されていたこともあり、毎日疲れ果てて"足が棒になる"感覚を思い知らされることになりました」
――東海大相模、東海大、JR東日本で実績を積んでいた田中さんにとっても、広島の猛練習は厳しかったんですね。
「比べ物にならないくらいしんどかったですね(苦笑)。アマチュア時代は、グラウンド整備やボール拾いも自分たちでやらなければいけなかったんですが、その時間は少し休憩に充てられたんですよ。でもプロの世界は、裏方さんが練習をサポートしてくださるので、毎日朝から晩までフルスロットルで野球に打ち込まなければいけない。
春季キャンプの初日を終えた翌朝は、それまで経験したことがないような筋肉痛で大変でした。『ユニフォームを着て練習することが、こんなにも身体に負担をかけるのか』と、実感することになりました」
――広島がリーグ優勝を果たした際には、石井コーチによる厳しい指導も注目を集めました。選手目線ではそれらをどのように感じていましたか?
「石井コーチは、今振り返ると練習のレパートリーや引き出しをたくさん持っていて、選手を飽きさせないメニュー作りが本当に上手な方でした。グラウンドでの練習を終えてホテルに戻ったあとも、スポンジボールやバドミントンの羽を打って練習しましたね。課される練習量は多かったと思いますが、一方では基本を重視していた点も印象に残っています」
――その猛練習が実り、田中さんは1年目からレギュラーを掴みます。110試合に出場し、打率.292、9本塁打、10盗塁、34打点と期待通りの数字を残しましたが、苦労した点はありましたか?
「試合数の多さと、移動時間の長さですかね。ビジター戦では新幹線に乗って片道4時間の移動もあるので、シーズン終盤に差し掛かってくると疲労が溜まってきて、だんだん自分の身体が自分のものではないような感覚になってくるんです。
【"タナ・キク・マル"のおかげで成長】
――緒方孝市監督の指揮のもと、2016年に広島は25年ぶりとなるセ・リーグ制覇を果たし、そこから3連覇を成し遂げます。チームが強くなった理由を挙げるとしたら?
「まずは多くの若手選手に、量をこなす練習についていける体力があったこと。そして、野球に対して厳しく向き合い、高いレベルのプレーを求める緒方監督が、選手たちのことを信頼し、期待を込めて送り出してくれたことです。
そうしてグラウンドに立った選手たちがお互いに闘志を燃やし、『監督の想いになんとか結果で応えよう』とプレーしているうちに、チームもだんだん勝てるようになった。勝利の喜びを知ったチームはより洗練され、自ずといい方向に向かっていきました。さまざまな形で、チームの好循環を生み出せたことが大きかったのではないかと感じます」
――1番の田中さん、2番・菊池涼介選手、3番・丸佳浩選手(現・巨人)の"タナ・キク・マル"の活躍が3連覇の原動力になりました。
「プライベートで3人一緒に出かけたりすることはほとんどありませんでしたけど、グラウンドや試合での野球に関する何気ないやりとり、情報を交換する場面は多かったような気がします。当時は"タナ・キク・マル"とひとくくりにされることも多かったですが、彼らのほうが断然、僕よりも能力が高いことはわかっていました。
ただ、『(ふたりに)どうすれば追いつき、追い越せるのか』を考えながら頑張った結果が、レギュラー獲得に繋がった部分もあります。現役生活を振り返ってみると、菊池選手や丸選手の存在は、僕にとって本当に大きかったなと思います」
【リーグ優勝は「すべてが報われるような感覚」】
――田中さんは著書『赤き戦士からの感謝状 田中広輔』(ザメディアジョン)のなかで、2016年シーズンについて「本当に優勝できるのか信じられなかった」と振り返っていますね。
「入団してから一度も優勝争いをしたことがなく、マジックの仕組みもよく理解できていなかったので、チームの活気や勢いは感じつつも『まずは目先の試合に勝つことに集中して、それを積み重ねていく』という意識でプレーしていました」
――チームは2016年9月10日の対巨人戦で優勝を手にしますが、どのような思いで試合に臨みましたか?
「マジック1で迎えたこの日は、黒田(博樹)さんが先発だったこともあり、『今日はなんとしても優勝しなければ』という雰囲気がありましたね。ただ、全体ミーティングでは緒方監督から、『この試合に勝てば優勝だけど、やるべきことは変わらない』という言葉がありました」
――試合は、巨人の坂本勇人選手の2ランで先制を許す展開となりました。
「そうですね。中盤に松山(竜平)さん(現オイシックス新潟アルビレックスBC)や(鈴木)誠也(現シカゴ・カブス)の本塁打で逆転し、それ以降は少し落ち着きましたけど、リードはわずか2点だったので気持ちの余裕はありませんでした。
――しかしライナー性の打球は田中さんが守るショートに飛びました。それをさばき、歓喜の瞬間を迎えます。
「アマチュアでは優勝経験がありましたが、スタンドの真っ赤な大歓声に見守られながらの胴上げは格別なものがありましたし、やってきたことすべてが報われるような感覚がありました。僕自身は、広島で優勝を経験できるとは思わなかったので、ファンのみなさんと喜びを分かち合えたことが本当にうれしかったです」
【しんどかった2018年シーズン】
――同年の日本シリーズでは、北海道日本ハムファイターズと顔を合わせました。その第1戦で、先発を務めた大谷翔平選手(現ロサンゼルス・ドジャース)と対戦しましたね。
「当時の大谷選手は、まだ今のような『まったく手がつけられない』という感じではありませんでしたが、それでもボールは速かったです。3打席対戦して、ヒットを放つことはできませんでしたね」
――チームは本拠地で連勝したものの、大谷選手のサヨナラ打を放った第3戦から流れが変わり、そこから4連敗。2勝4敗で日本一には及びませんでした。
「日本一を目指して、日本ハムの"勢いに乗せたら怖い"というチームカラーを警戒してシリーズに臨みましたが......僕らのわずかなミスなどで相手に流れを渡してしまい、短期決戦の難しさを痛感させられました」
――チームはリーグ3連覇を成し遂げるわけですが、そのなかで苦しんだ思い出などがあったら聞かせてください。
「2017年のリーグ戦は、新たな選手の活躍もあり、『向かうところ敵なし』の磐石な戦いができたように思います。ただ、3連覇を成し遂げた2018年は本当にしんどかったです。
リーグを2連覇し、『勝って当たり前』と思われるなかでプレーしなければならない重圧は相当なものがありました。
――相手バッテリーの攻め方にどのような変化がありましたか?
「苦手な球種や、インコースに投げられる場面が格段に増えました。3連覇していた時期は、全体的に死球も多かったイメージがあります。事前にデータなどを調べて打席に立ちましたけど、『あまり意識しすぎてもかえって自分らしいプレーができない』と思ったので、打席に入ったあとは『目の前の対戦相手が投げるボールを見極めよう』と心がけていました」
――3連覇の後、2018年には丸選手がFAで巨人に移籍。その人的補償で長野久義選手が広島に移籍しますが、著書のなかではそのエピソードも書かれていましたね。
「最初にその一報を聞いた時は、『あの長野さんが、本当に広島に来るの?』と驚きました。大学、社会人の頃から『どうしても巨人に入りたい』と、浪人してまでその夢を叶えた方でしたし、前年までレギュラーとして出場を続けていましたから。
ただ、本当に腰が低くて、きめ細やかな気配りができる方でした。その人柄に惹かれた多くの若手選手が長野さんを慕い、チーム一丸となる空気を作り出してくれました。長野さんの振る舞いを見て、多くの刺激を受けましたし、大人らしい対応の大切さを学ばせてもらいました」
(後編>>)
【プロフィール】
■田中広輔(たなか・こうすけ)
1989年7月3日生まれ、神奈川県出身。東海大相模高から東海大、JR東日本を経て、2013年ドラフト3位で広島に入団。15年から遊撃手のレギュラーに定着し、翌年は1番打者に抜擢されてフルイニング出場を果たしてリーグ優勝に貢献した。
白鳥純一●取材・文text by Junichi Shiratori










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