野球の未来を見ていた男~近藤貞雄伝
証言者・齊藤明雄(後編)

 投手出身ゆえの厳しさだったのか。横浜大洋(現・DeNA)の監督に就任した近藤貞雄は、抑えを務める齊藤明雄に辛辣な評価を下していた。

1985年の開幕直後、齊藤が3試合に登板して2度失敗すると、近藤は「リリーフは無理」と発言。記者に向けた言葉とはいえ、実際に紙面にも掲載されている。本人は、その言葉をどう受け止めていたのだろうか。この時、プロ9年目を迎えていた齊藤に聞く。

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【新聞の記事を見返してやる】

「近藤さんは『瞬間湯沸かし器』と呼ばれた人ですから、記者の前でカーッとなって言う。でも、僕は新聞を読んでも気にしなかったし、何より監督本人に言われたわけじゃないですから。監督から直々に同じようなことを言われたら、『ああ、ダメなんだな』という気にもなりますけど、その時もまったく言われていませんでした。だから、監督を見返してやるというより、『新聞の記事を見返してやる』という気持ちで練習するだけでしたね」

 記事には<確執再燃>の見出しが躍った。だが齊藤によれば、起用法をめぐって近藤と確執が生じたことなど、一度もなかった。にもかかわらず、近藤が記者の問いかけに饒舌に答えるうちに、ない話がつくられた可能性はあった。

「記者の人たちには、僕ら選手が監督ともめているように書きたいという考えはあったんじゃないですかね。そのほうが読まれますから。でも実際には、もめごとなんていっさいなかった。

コーチともなかったです。近藤さんとすれば、『マスコミの相手はこっちでしておくから、選手は野球に集中してくれ』という考えだったのかなと思います」

「リリーフは無理」と発言したあと、4月20日のヤクルト戦ではセーブがつく場面を迎えても、近藤は齊藤を起用しなかった。のちに近藤は、齊藤のプライドを刺激し、発奮を促したと明かしているが、齊藤本人はとくに刺激されなかったという。

 2日後のヤクルト戦でシーズン初セーブを挙げると、その後は抑えとして活躍していった。その後も失敗すれば「二度と使わん」と記者に言う近藤だったが、齊藤自身、何も言われなかった。

「だから、近藤さんが偉いのは、失敗しようが打たれようが、本人にはまったく何も言わなかったことです。誰かを通じて言わせることもしなかった。そのあたりは、選手の使い方がうまかったなあと思います。逆に、僕ら選手からすれば、近藤さんはやりやすい監督でした。僕が直接注意されたのは、『あんまり初球に緩いカーブを投げるな。リリーフピッチャーが』って言われたことくらいです」

【自身2度目の最優秀救援投手に】

 齊藤の持ち球のなかでも特徴的だったのが、曲がりの大きいカーブ。それを痛打されるケースが目立ったため、1986年の開幕前に行なわれた投手ミーティングで、「あれは投げるな」と監督命令が出た。代わりに低めに小さく曲がるカーブを覚えたが、バッターによっては大きいカーブを投げる時があり、そのたびに注意されたのだった。

「普通、初球は打ってこないので、遊び球として投げていたんです。それを打たれると、『投げるな』と。一度、打たれてベンチに戻った時には、『投げんな言うたろ!』って怒られましたけど、僕が『はい~』って返事をしてベンチ裏に行けば、もうその場で終わりです。あとから呼ばれて何か言われることもなかったですし、そのうち、打たれないかぎりは何も言われなくなりました。信頼されていたのかどうかは、わからないですけどね」

 近藤の監督就任2年目となった1986年は、抑えの齊藤につなぐ中継ぎとして、門田富昭、堀井幹夫の登板機会が増えた。前年に比べれば、現在でいう「セットアッパー」の役割が明確になり、継投の形が固まりつつあった。

「そうですよ。門田さんと堀井がワンセットでしたね。近藤さんが監督就任1年目で投手陣の力量を見極めて、2年目にそれぞれの役割を決めた、という感じでした。当時は中継ぎも完全な1イニング限定ではなく、イニングの途中から登板することも多かったですけど、今につながる分業制は確立されていたと思います。極端に言えば、『先発は6回まで頑張ればいい』という考え方です。そこは今と一緒ですよね」

 1985年の齊藤は55試合に登板し、9勝5敗18セーブ、109回2/3を投げて防御率2.13。

それが翌1986年には44試合の登板で5勝6敗23セーブ、78回を投げて防御率1.85。抑えとしての安定感は増し、自身2度目となる最優秀救援投手に輝いた。

【「もうサイン出さん!」の仰天采配】

 一方、野手では屋鋪要がこの年から3年連続の盗塁王を獲得。近藤が発案した"スーパーカートリオ"も大洋の代名詞となり、その名を球史に刻んだ。味方打線のスピード野球は、齊藤の目にどう映っていたのか。

「それは、敵に回したら嫌ですよ。足の速い選手が3人揃っているわけですから。『塁に出したら走られる』という意識になりますし、いいトリオでしたね。それが今でも語り継がれているのは、近藤さんがあえてつくったものだからだと思います。ピッチャーの分業制もそうですけど、攻撃でも新しいことをやっていた。ただ攻撃といえば、近藤さんから『もうサイン出さんから、おまえら勝手にやれ!』って言われる時もありました」

 横浜スタジアムでの試合。先発投手が打ち込まれ、攻撃でもミスが重なって5点、6点と点差が開くと、近藤は采配を放棄することがあった。ベンチにいる時もあれば、ロッカールームへ引き揚げることもあった。

ところが、そこから打線が反撃し、1点差、2点差まで追い上げると、「オレがサインを出す!」と言って、采配したという。かつて近藤はこう語っている。

「5回くらいで10対1とか、10対2の試合を、監督の采配ひとつでいい勝負に持ち込むなんてできっこない。僅差の試合になって初めて、監督の能力の差が出てくるわけですよ」

 まさに自説どおりの采配を、実際のベンチでも貫いていたわけだ。とはいえ、試合展開によって采配したり、しなかったりする姿は、見方によっては身勝手にも映る。グラウンドで戦っている選手たちは、大いに戸惑ったことだろう。

「当然、怒ってそうなるわけですけど、僕らはそれを見ながら、『やってる、やってる。瞬間湯沸かし器、やってるよ~』っていう感じでしたよ(笑)。でも、それで終わっちゃうんです。試合後はコーチと何か話をしていたのかもしれませんけど、選手にはまったく何も言わないからありがたい。風呂もサッと出て、そのままサーッと帰られる。いつも若々しい格好で、細身のパンツスタイルが印象に残っていますね」

【2年連続4位でも自然に起きた胴上げ】

 1986年、齊藤を中心とする救援陣は充実していたものの、遠藤一彦を柱とする先発陣は駒不足。一方、攻撃陣は"スーパーカートリオ"を中心に、リーグ断トツの180盗塁を記録したものの、破壊力不足は否めなかった。

 就任時は「2年の勝負」と意気込んでいた近藤だったが、チームは2年連続の4位に終わり、優勝を果たすことはできなかった。それでも、地元・横浜で迎えたシーズン最終戦に勝利すると、退任が決まっていた近藤はナインに胴上げされた。

「近藤さんは『いいよ』って言ってましたけど、みんな自然に胴上げしていましたね。それだけ選手に好かれていたんだと思います。要所では厳しさもあったけど、口うるさく、くどくど言わなかったですから。そのかわり、シーズンに向けた準備の段階では、一人ひとりによく声をかけていました。たとえば、ピッチャーには『この球種を覚えろ』とか。僕の顔を見るたびに『緩いカーブ投げんな』とかね(笑)。

 そうやって選手一人ひとりをよく見て、育てて、できるだけ長くユニフォームを着させてあげよう、という感覚で指導し、起用する方でもあったんです。だから僕らも、『やってみようか』『覚えてみようか』という気になった。もう1年、監督をやってもよかったんじゃないか、という思いはありますよ」

 1988年に先発へ復帰した齊藤は、1993年まで17年間にわたって現役生活を送り、通算601試合に登板して128勝133セーブを記録。史上3人目となる「100勝100セーブ」も達成した。

【近藤貞雄と新庄剛志の共通点】

 引退後は横浜(現・DeNA)、ロッテでコーチを歴任し、解説者としても長年にわたって球界を見続けてきた。そんな齊藤の目から見て、近藤のような監督は今の時代に成立するのだろうか。

「近藤さんみたいな監督がいたら、面白いと思いますよ。ピッチャーの使い方を明確に決める人ですから。たとえば、『この先発は絶対に6回まで投げさせる』とか、選手の疲労を考えて中継ぎを2組つくるとか。今の監督で似ているとすれば、日本ハムの新庄(剛志)監督ですかね。ピッチャーの使い方もそうですし、足の速い選手を生かすところもそう。体が大きくて、球の速いピッチャーを揃えるところも似ていますね」

 2025年の日本ハムで特徴的だったのが、12球団で断トツとなる23完投だ。投手分業制がさらに細分化される現代にあって、先発に十分な登板間隔を与えながら長いイニングをまかせる──そんな独自色を打ち出した新庄。その既成概念にとらわれない発想には、近藤との共通点が見えてくる。

「完投が多かったのも、近藤さんと同じように、あえてやらせているんだと思います。当時の近藤さんも、『別にリリーフを使わなくていいんだったら、使わないんだ』と言って、先発をそのまま投げさせていましたから。分業制が当たり前になったなかでも、ピッチャーのことをしっかり考えたうえで起用している新庄監督。そのあたりは、近藤さんと同じだと思いますね」

(文中敬称略)

高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

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