90年代、業界の盟主・新日本プロレスの現場監督として辣腕を振るっていた長州力。リング内外で大活躍していた長州の働きもあり、黄金期を迎えていた新日本だったが、2000年代に入ると『PRIDE』や『K-1』といった格闘技人気に押され始めていた。


その打開策として創始者であるアントニオ猪木の号令の元、総合格闘技路線を強調して行くが、その余波から2001年には中心選手だった橋本真也が離脱し、新団体『ZERO-ONE』を旗揚げ。翌2002年初頭には同じく「闘魂三銃士」の一角、武藤敬司もライバル団体『全日本プロレス』へ移籍。
選手、フロントの大量離脱で屋台骨が揺らいでしまう。

これにより長州は失権。5月には新日本プロレスを退社することとなった。
そんな長州が満を持して旗揚げした新団体が『WJ』。
正式名称『ファイティング・オブ・ワールド・ジャパン』だ。

宴会だけで500万使用!? 旗揚げ前から2億円もの予算が投入された『WJ』


長年に渡って長州を支えてきたスポンサーを社長に据え、黄金時代を共に支えた参謀や、兄貴分であるマサ斉藤や弟子の佐々木健介など、長州の仲間が勢ぞろいした上での団体設立。
磐石の体制に見えたが、その体質は昔のプロレス界の風習そのもの。実業家であった社長が1億円もの大金を投資したのだが、一晩で500万を使って大豪遊した忘年会を皮切りに、金遣いが荒すぎた。

参戦レスラーの支度金は破格の500万円、高級な巡業バスも現金即決、目黒の一等地には事務所兼道場を構え、リングはもちろん最新のトレーニング設備も完備。社長が慌ててさらに1億円追加したのが旗揚げ前のことなのだから、あまりにもおそまつな金銭感覚である。

メインイベントは51歳の長州力vs53歳の天龍源一郎


旗揚げ戦のメインは、長州力vs天龍源一郎。今や、滑舌の悪さを買われバラエティで共演する機会も多い2人だが、当時は数々の名勝負を繰り広げた宿命のライバル関係にあった。


長州が天龍の挑発に乗る形で「シングル70連戦を受ける」と怪気炎を上げるなど、決戦をあおったが、この時長州51歳、天龍53歳。ビジュアル面や年齢でもフレッシュさが売りの格闘技界に対して、あまりに時代遅れなカードだったことは否めない。
もっとも、生き様やイデオロギーが反映されるプロレスという特殊なジャンルにおいては、そのハンデが大化けする可能性もあったのだが……。

目玉の「電流爆破」も爆破せず……


2003年3月1日、WJの旗揚げ戦は横浜アリーナで開催されたが、この日は関東地方だけで11ものプロレス・格闘技の大会が開催された日。三沢光晴率いる『NOAH』は日本武道館、K-1中量級の大会が有明コロシアムとビッグマッチもあり、前売りチケットは伸び悩んでいた。さらに大雨と底冷えする陽気も重なり、当日の客足も鈍ることに。

それでも、試合の熱気がそれを上回ればよかったが、気合が空回りした試合が続いた印象。

もう一つの目玉として、大仁田厚による「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」も組まれていたが、リングのセッティングに時間が掛かり、間延びした中での試合では爆弾がまさかの不発。
パイナップルを爆破させるデモンストレーションで爆弾の威力をアピールし、「当日はこの20倍の威力の爆弾を用意する」と鼻息の荒かった大仁田だったが、失笑がもれる事態となってしまうのであった。

東スポも酷評!「長州は死んだ!」


肝心のメインイベントは、10ヶ月ぶりのリング復帰となる長州の動きはどこかきこちなく、必殺のラリアットから初のカバーで3カウントを取ってしまい試合終了。8分足らずであっけなく終了してしまった。
翌日の東スポでは、「長州は死んだ」の見出しと共に、試合後のアンケートで68%のファンが「不満」と回答した結果が大々的に報道されている。

旗揚げシリーズの目玉となっていた長州vs天龍6連戦の看板カードも長州のアキレス腱負傷(当時は団体のエース長州をかばう形で天龍のケガが原因とされていた)によりわずか3戦で終了してしまう。

旗揚げ戦に参加した選手の内、一度は引退した選手が長州を含め3人。
さらにその内2人(大仁田&馳浩)が国会議員でのスポット参戦組。「ロートル集団」と揶揄されるのもやむなしのメンツである。もっとも、そんな議員レスラーである大仁田の抜群の知名度が動員の要であったが、それもイラク戦争のあおりを受け欠場に。
客入りも評判もどん底からのスタートとなってしまった。

落合博満の甥っ子が練習中に死亡


新日本プロレスを意識しての「目ん玉が飛び出るようなストロング・スタイル」を標榜し、「プロレス界のど真ん中を行く」と宣言していたWJだったが、ファイト内容や選手のキャラクターに目新しさはなく、ファンの心をつかむことはできずに人気は低空飛行。

旗揚げ2ヶ月目にして長州や役員の給与はストップし、大手スポンサーが付く算段も、あの落合博満の甥っ子である格闘家、ジャイアント落合が道場での練習中に事故死したことで白紙に。

給与がもらえない選手は次々と離脱して行き、旗揚げ1周年を迎える頃には負債は3億円近くに膨れ上がり、間もなく崩壊してしまった。

長州は、再び新日本プロレスに戻った後、様々な団体を渡り歩き、現在は『レジェンド・ザ・プロレスリング』を主戦場に65歳の今なお現役続行中。
このタフさ、さすがは昭和のプロレスラーといったところか。

※イメージ画像はamazonより長州力DVD-BOX 革命の系譜 新日本プロレス&全日本プロレス 激闘名勝負集