皇居の周りは、特に休みの日はジョギングする人で溢れてる。
当たり前のように左回りで人が流れ、その人数はまだまだ増え続けている。
日本で最も有名なジョギングコースかもしれない。

ただもちろんそこは、ジョギングコースとして作られた場所じゃない。今でこそ“ジョガーの聖地”とも言われてるけど、ジョギングコース化したのには、何かきっかけがあったはず。それって一体何だったんだろう。
調べていくと、ひとつの意外なエピソードにたどり着いた。国立国会図書館に勤めていた藤尾さんに、話を伺った。


「銀座のバーのホステスたちが、夜中に走っている様子を週刊誌で見まして、職員たちの間で“バーの女性たちが走れるなら、僕らでも走れるんじゃないか”と話題になったんですね。それをきっかけに、国会図書館の職員たちが、昼休みの昼食前に走るようになりました」

男子マラソンの円谷幸吉氏が銅メダルに輝いた、東京オリンピック直後の1964年11月、銀座のバーやキャバレーに勤めるママとホステスが、夜中に皇居を走るようになっていた。その様子を紹介した新聞や週刊誌が、国会図書館の30~40代の男性職員の目に留まったという。

皇居に程近い国会図書館には、昼休みに走れる環境が整っていた。信号のない一周5キロを走ると、30分程度で戻ってくることができた。また国立国会図書館には浴場とシャワーがあって、走ってもすぐに汗を流すことができた。

ぜい肉を落としたい人、運動不足を解消したい人が次々と走り始め、その数は1か月で十数人になった。

「皇居は眺めがいいですから、走りたくなるんですよね。たくさんの人が見ているというのも魅力です。散歩に出てくる人や、外国人の方は、目が合うとニッコリしてくれますし。観光バスなんかからは、子どもが“おじいちゃんがんばってねー!”とか言ってくれましたし」

それより昔から、皇居周りでの“マラソン大会”は存在していた。1950年代には「警察署対抗一周マラソン」、もっと前の1930年代には、皇居とその周辺を走る「中等学校外濠一周マラソン」って大会があった。

だからそのころも、大会の練習にとジョギングをやっていた人はきっといる。趣味になった人もたぶんいる。そう考えると、本当の始まりは警察官や学生だったのかもしれない。ただ、それは誰にも分からない。
ここではそれをふまえたうえで、今から45年前に走っていたママやホステス、それに国会図書館の職員たちを、今につながるひとつのきっかけとさせてもらった。皇居を楽しく走るジョガーの“ハシリ”として。


「砂漠の一本道を走っているのとは違って、人がたくさんいる皇居には、走る楽しさがあったんです。それと、逆向きに歩いている方もいらっしゃるでしょう。走っている者の中には、すれ違うキレイな女性が目当ての者もいましたよ」

そんな楽しみも、今につながっている部分かもしれない。
(イチカワ)