平日の新宿駅。ラッシュアワーは過ぎているとはいえ、ホームには人があふれている。
白黒ながらクリアで解像度の高い映像で捉えるカメラは、ホームの端から順々に流れるように人々を写し撮っていく。


(動画が見られない人はこちら

会社員、学生、主婦、親子連れ、どこにでもいる人たちが集まるいつもの新宿駅のホーム。ぼうっと電車が到着するのを待つ人、スマートフォンの画面に見入る人、ペットボトルの飲料を飲む人、手鏡で化粧を直す人。何の変哲もない人たちを一定のスピードで次から次へと収めるだけの映像にも関わらず、心に強いひっかかりを残す。というのはホームの人たちが微動だにしないからだろう。

この映像を撮影したのは、ベルリン在住のハンガリー人アーティストのアダム・マグヤーさん。
Twitterの創業者たちが2012年に始めたSNS、Medium.comにマグヤーさんの特集記事が掲載されるや、その記事とともに冒頭の動画が世界中にシェアされた。日本でもクリエイターたちがSNS上で話題にすることが多かったので、すでに見たことのある人も多いのでは。

この動画は、写真と動画からなるプロジェクト「Stainless」シリーズの一つである「Stainless / Shinjuku」という作品。動画シリーズには新宿の他にニューヨークベルリンの地下鉄をフィーチャーしたものがある。

記事のリリース以来、マグヤーさんのサイトには160万件以上ものアクセスがきているという。マグヤーさんを一躍有名にしたこの「Stainless」プロジェクトはどのようにしてできたものなのだろうか。


「2009年の夏ニューヨークにいて、地下鉄の駅に入ってくる電車のドアの中の人が肖像画のように見えたのです。その姿をスキャンしてみたいなと思いました」

マグヤーさんは、人をゴム人間のようにグニャグニャに撮ることができることで知られるスリット・スキャンという技法を使って撮影をする。この手法を面白がって使う人は少なくないが、マグヤーさんは色モノとしてではなく、純粋に写真として鑑賞に耐えうるレベルのものを撮ろうとさまざまな機器やソフトウエアを自作しながら地下鉄での撮影を試行錯誤した。

その撮影方法が洗練を重ねていくにつれ、マグヤーさんは次第に動画による撮影に関心を寄せていく。ホームに立ち自分の前を通り過ぎる人々をスキャンするのではなく、自ら動く電車に乗ってホームに立つ人を撮影したいと考えたのだ。

「人間は一人ひとり等しく美しく尊い存在です。
しかしともすれば、私たちが存在していること自体のすごさを忘れ、当たり前のことと思ってしまいがちです。人生はあまりにも短いです。人々がいかに美しく生きていること自体が奇跡的なことであるかということを伝えたかったのです」

「逆説的ですが人々が重要でないと思う時間を切り取ろうと思いました。駅のホームで電車を待ってる時間ほど人生において無為な時間はありません。皆ケイタイを見て時間をつぶそうとし、大切な人生を無駄にしてしまっているのです」

人は誰も等しく美しいとするマグヤーさんにとって、駅のホームは大勢の市井の人が集まるという意味でも理想的だった。そして自分の思いを表現するには彼らを美しく曇りのない存在として撮影する必要があった。


マイヤーさんが選んだ方法は超高速度カメラによる撮影だった。通常のカメラが1秒間に24コマで撮影するところ、ドイツのOptronis社がマグヤーさんに使用を許諾してくれた産業用の高性能高速度カメラでは、1秒間に10万コマの撮影が可能だ。このことにより超スロー再生が可能となり、細部の描写が損なわれないですむ。冒頭の動画は約12秒の撮影を11分以上の尺に伸ばして再生している。実際には動いている人物もほぼ静止しているように見えるのはそのためだ。とはいえ機器が入手できたからといって簡単に作品が出来上がったわけではない。


「産業用カメラですから、街中で使用されることが想定されていませんでした。モニターもコントローラーもなかったので自作しなければいけませんでした。また工場の中でしたら光量が足りなければ光を当てればすみますが、街中ではそうはいきません」

同時に行ったスリット・スキャン撮影もインバーター式の蛍光灯の下でないとノイズが入ってしまうため、都内290駅を測光計を持って周り、インバーター式を使用する駅を5つ探し当てたという。

完璧を求めるマグヤーさんの作品に対する執念のもと「Stainless / Shinjuku」は完成したが、そもそもなぜ日本を撮影地に選んだのだろうか。

「日本は世界で一番好きな場所の一つです。多くの外国人が感じるように神秘性を感じているからというのは一つの理由です。
あと日本人は物事をとても大切にします。それゆえ物事を完璧に仕上げようとするとするのが素晴らしいです」
「以前ニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれた日本刀の刃の展覧会を見て、猛烈に感動しました。1000年以上も前の刃でもピカピカなんです。同時代のヨーロッパのものでしたら間違いなく錆だらけです。まさに『Stainless (=錆がない)』です、ほら、つながってる!」

マグヤーさんは「Stainless」プロジェクトには区切りをつけ、現在新しいプロジェクトの準備を進めている。4月には再度来日するという。また東日本大震災の被災者のために何かできないか模索しているともいう。

この春、風変わりなカメラを構える長髪のヨーロッパ人を見かけたら、それはマグヤーさんかも知れない。
(鶴賀太郎)