持ちやすく注ぎやすい“とっくり”のような形状に、残量が一目でわかるガラス製のボディ、赤褐色の醤油とのコントラストも美しい、真っ赤なプラスチックの注ぎ口……。

どこでも見かける身近な存在なのに、よく見るとそのデザインにさまざまな工夫が見て取れる「キッコーマンしょうゆ卓上びん」。

「しょうゆ卓上びん」生みの親は、ハワイ育ちの元僧侶にしてデザイン界の巨匠だった
しょうゆ卓上びん 1961年

1961年の発売開始から、50周年を迎えた2011年までの間に、国内外で累計4億本以上が販売されたロングセラーだが、デザインを手がけた人が誰だかご存じだろうか。

デザインを手がけたのは、1929年生まれの工業デザイナー・榮久庵憲司(えくあん けんじ)氏。
「しょうゆ卓上びん」生みの親は、ハワイ育ちの元僧侶にしてデザイン界の巨匠だった
榮久庵憲司氏 Photo by Yoshiaki Tsutsui (C)AXIS

代表を務めるデザイングループ「GK(Group of Koike)」を母体に、数多くの工業デザインを手がけてきた人物で、たとえば成田エクスプレス「N'EX」や、秋田新幹線の「こまち」、地元広島の新交通システム「アストラムライン」のデザインもGKデザイン機構によるものだ。
「しょうゆ卓上びん」生みの親は、ハワイ育ちの元僧侶にしてデザイン界の巨匠だった
アストラムライン 1995年 (新交通システム車両)

そのほか世界初の真空断熱ステンレス魔法びんの原型や、ステレオアンプなどのオーディオ機器、ヤマハ・VMAXなどのバイクなどのデザインも手がけ、アジア初の国際インダストリアルデザイン団体協議会会長も務めたことなどから、インダストリアル・デザイン界の世界的巨匠として知られる人物なのだ。
「しょうゆ卓上びん」生みの親は、ハワイ育ちの元僧侶にしてデザイン界の巨匠だった
ステレオパワーアンプ B-6 1980年

「しょうゆ卓上びん」生みの親は、ハワイ育ちの元僧侶にしてデザイン界の巨匠だった
VMAX 2008年

また、その半生を振り返った著書『デザインに人生を賭ける』(春秋社)を読むと、かなり特殊な経歴を持っていることも分かる。

1929年に僧侶の息子として東京で生まれたのち、1歳から小学2年生までは一家でハワイに滞在。
その後は父の寺のある広島での生活をはさみ、海軍兵学校や佛教専門学校(中退)を経て東京芸術大学の美術学部図案科に入学。原爆症で他界した父の後を継いで、一時は僧侶との二足のわらじを履きなが勉学を重ね、卒業を前にしてデザイナーとして一本立ちをしているのだ。

なお僧侶から工業デザイナーへの転身には、一見すると関連性を見出し難いが、原爆投下後の広島で見た光景がデザインの道に進む原点となった……と榮久庵氏は当時を振り返っている。

焼け野原を前に彼は、「焼きつくされ、破壊され、ねじ曲げられたモノたちから『自分たちを元に戻してください』という声を確かに聞いた」。そして、「衆生済度は仏の道ですが、私はこの時、モノを済度することが自分の進むべき道であると自覚」したという。

絵が好きだったにも関わらず油絵や日本画、彫刻などの道に進まず、図案科を選んだのも、「敗戦直後の日本にあって、世のため人のためになれる」「救世済民といいますか、社会との関わりや、当時の日本の経済状況をうかがわせるような、唯一の学科」と考えたためだそうだ。


つまり、戦後の荒廃の中で生活の復元・進展を求めた強い意志が、彼を工業デザインへと導いた……というわけだ。日本の戦後復興の様子も、彼の生きざまや手がけた工業製品の変遷と重ねあわせて見ていくと、さらに理解が深まるはずだ。
「しょうゆ卓上びん」生みの親は、ハワイ育ちの元僧侶にしてデザイン界の巨匠だった
道具寺道具村構想 2006年(撮影:富田眞一)

「しょうゆ卓上びん」生みの親は、ハワイ育ちの元僧侶にしてデザイン界の巨匠だった
池中蓮華(インスタレーション)2011年(撮影:富田眞一)

そんな榮久庵氏は、モダンデザインと東洋思想を融合させた作品も多く製作しており、12月23日(火)まで広島県立美術館で開催中の「広島が生んだデザイン界の巨匠 榮久庵憲司の世界展」では、その世界観が伺えるインスタレーションも体感できる。先述の「しょうゆ卓上びん」などの工業デザインの作品も数多く展示されているので、興味のある人はぜひ足を運んでほしい。
(古澤誠一郎)

「広島が生んだデザイン界の巨匠 榮久庵憲司の世界展」
・11月18日~12月23日(9:00~17:00※入場は閉館の30分前まで。金曜日は19:00まで)会期中無休
・広島県立美術館 3階企画展示室/広島県広島市中区上幟町2−22
・一般1,200円(前売・団体1,000円)、高校生・大学生900円(前売・団体700円)、中学生以下無料