畠山鎮(はたけやま・まもる)七段が師事した森安正幸(もりやす・まさゆき)七段は、30分で指導対局が終局したとしても1時間以上を感想戦に費やし、その際は前回指した定跡とは違う形を丁寧に教えてくれる……そんな棋士だ。その精神を受け継ぐ畠山七段のもとに、一人の少年から弟子志願の手紙が届く。
それが斎藤慎太郎(さいとう・しんたろう)五段と師弟の縁を結ぶきっかけだった。

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時は流れて34歳のころ弟子志願の手紙がきた。10歳の斎藤慎太郎(現五段)だった。いつもなぜかスター棋士ではなく私の指導対局を受けに来るので知っていた。すでに大人の大会で入賞を重ねていたのだが、私は谷川浩司九段に「こんな幼い子供の師匠になる自信がない」と相談した。谷川先生は「子供なりに考えて手紙を出したのだから縁を大事にして引き受けたらいいよ」と優しくおっしゃった。
奨励会幹事時代に何人かの棋士に私も同じセリフを言って感心されたが、私の言葉ではないことをここに白状いたします。
斎藤の入門の条件に「将棋は指さないがそれでも良いのなら」と言った。直後の奨励会試験に落ちた後にも将棋大会に出ないで私の指導対局に申し込んで来るので、「それなら大会のない日に指そう」となった。月に2、3回で持ち時間はさまざまな設定で、一手20秒や10秒の早指しも指した。戦型は宿題を出したり、当日いきなり決めたり決めなかったり、1年間に100局以上を8年続けたので800局は超えていると思う。
私が奨励会幹事時代だったので、他の師弟のように斎藤の奨励会の将棋はチェック出来なかったのと、弟子なので例会日はほとんど口がきけなかったので制約のある師弟関係だった。
節目の一局を負けてこっそり励ました会員の次の対局相手が斎藤だったことも数多くあったが、奨励会幹事の弟子なのでしかたなかったのだ。
師弟関係は【1】戦後は師匠の家に内弟子として入門して修行。【2】昭和の時代は師匠の道場や教室を手伝いながら勉強をする。【3】ライバルと大会や、研究会でぶつかり稽古をしながら師匠の下に月に一度くらい通う。【4】主に地方に多いのが地元のアマチュアや指導者に教わり、紹介などで入門時に師匠と初めて対面する。だいたいはこの4つだと思う。
私の場合は紹介もあったので【3】から【4】の間、現代的で師弟の縁は昔より薄い。愛媛在住の私の三段の弟子は【4】になる。私と斎藤はどれも違うように言われる。
私は斎藤の対局日に控え室で検討したことはない。斎藤が私の対局を検討するのはうれしいが、私は弟子の形勢にドキドキして落ち着かないから、奨励会幹事時代も弟子の対局の盤面は見ていない。師匠として情けないことである。

斎藤が棋士になってからも2年は感想戦なども見ないつもりだったのだが、半年後に師弟戦がついたのだ。師匠のように全力で行ったが、完敗だった。練習以外で斎藤の対局姿や感想戦を見たのは5年ぶりで、不謹慎だが負けたのに楽しい気持ちになった。翌年も公式戦で負けて、イベントの対局も負けた。先日斎藤と他の若手たちから4人で研究会の誘いがあって、うれしくてすぐに引き受けたが改めて身が引き締まる思いだ。
師匠は全力で将棋に向かう姿勢を見せ続けるしかない。
時代は変わっても師弟とはそういうものである。棋士への道は厳しいが、師匠の道も大変なのです。
■『NHK将棋講座』2014年8月号より