すずさんは生きていた! 

こうの史代原作、松本穂香主演の日曜劇場『この世界の片隅に』が最終回を迎えた。93歳のすずさんが現役のカープ女子として広島カープに声援を送っているラストシーンに驚いた視聴者も多かったと思う。

最終回「この世界の片隅に」すずさんの現在に驚愕ラスト!心配したりもしたけれど、これは良いドラマでした
原作下巻

岡田惠和の筆がノッていた最終回


戦争は終わった。物資の窮乏に悩まされつつも、呉の北條家にも明るい笑顔が戻りつつあった。先週放送された第8話まででほとんどの原作のエピソードを消化しており、最終回はドラマオリジナルのシーンがふんだんに散りばめられていた。

すず(松本穂香)と径子(尾野真千子)の服をめぐるやりとり、物資を交換に行った幸子(伊藤沙莉)と成瀬(篠原篤)のやりとり、帰ってきたけどすずがいなくてむくれる周作(松坂桃李)と家族とのやりとりなど、ささやかながらクスッと笑えるシーンが続く。岡田惠和の筆もこれまでの回の中で一番乗っているように見える。

なかでも胸を打つのが、志野(土村芳)と消息不明だった夫・春夫(毎熊克哉)との再会のシーンだ。派手でもなく、いかにもなセリフもないのだが、土まみれの顔で夫を泣き笑いで見つめる土村芳の表情の良さで一気に持っていかれる。
短いカットだが、2人を見つめてうっすら涙ぐんでいる伊藤沙莉も良かった。朝ドラなら志野と幸子のスピンオフが作られたんじゃないだろうか。短いカットといえば、すずを探しにやってきた周作を見つめるすみ(久保田紗友)のうれしさと羨望の入り混じった表情もすごく良かった。

ふとした折に円太郎(田口トモロヲ)の「終わったんじゃのう、戦争」という言葉が胸にしみる。物がなくても、戦争さえ終われば、命の危険に怯えることがなくなれば、人はこんなにも明るく生きていける。

「ここはあんたの家なんじゃけえ。
我慢しとったらおかしゅうなるよ」


「広島も心配じゃけど、呉はうちが選んだ場所ですけ。うちは呉の北條すずですけ」

『この世界の片隅に』は、すずの居場所をめぐる物語だった。自分の意志ではないところで夫が決まり、住む家が決まり、その家のために働くことが決まる。今から考えれば、ちょっととんでもないことなのだが、その中ですずは夫との愛情を育み、家族から愛され、隣人たちとの友情を築いて、自分の居場所を見つけることができた。

原爆投下後、広島に残された家族の消息を伝える祖母のイト(宮本信子)からの手紙を読んだすずをいたわるサン(伊藤蘭)の言葉も胸にしみる。

「泣いてええよ。
我慢せんでええ。ここはあんたの家なんじゃけえ。我慢しとったらおかしゅうなるよ」

サンの胸の中で思う存分泣くすず。並んだ二つのシルエットはまるで本物の親子のようだった。こんな言葉を一緒に住んでいる人からかけられたら、誰だって安心して生きていけるよね。

長期にわたる仕事から帰ってきた周作とすずは広島で再会する。
荒廃しきった町の中で、出会った頃のことを思い出しながら語り合う2人。

「わしはどこにおったって、すずさんを見つけられる自信がある」
「周作さん、ありがとう。うちを、この世界の片隅に、うちを見つけてくれて、ありがとう」

誰かが誰かを見つけて、ともに生きていく。2人の言葉は、その後、2人の養女になった節子にも重なる。節子こそ2人に「この世界の片隅に、うちを見つけてくれて、ありがとう」と言いたかったに違いない。

「できることは、生きることだけじゃ」


ついさっきまで幸せな食卓を囲んでいた母子が、血まみれ、すすまみれになって、それでも手をとりあって、地獄のような町を歩いていく。原爆直後の広島の街を描いたシーンは、オープニングの闇市のシーンのエキストラの量とあわせて、ドラマスタッフの気合を感じた。


大好きだった母親。とても優しい母親。腕がちぎれても自分を守ってくれた母親。母親が息絶えても、幼い子はぴったりと寄り添う。でも、母親の遺体からは腐臭が漂い、大量の虫がたかるようになって、幼い子は母親から離れざるをえない。原作でも劇場版でも泣けて仕方のなかったシーンだが、ドラマでもやっぱり泣けたよ。


「この広島で、よう生きとってくれんさったね。ありがとう」

片腕のないすずを腕がちぎれた母親と重ねて甘える節子。すずと周作は節子をつれて呉へ帰る。節子に晴美の服を与える径子を見てまた泣ける。

「できることは、生きることだけじゃ。じゃけえね、一生懸命、海苔つくる。ええ海苔つくる。そう決めた」

祖母のイトがすずに語ったように、苛烈な戦争を生き残った人々は「生きること」にとても自覚的だ。こうなったらもう生きるしかない。生きて、生きて、生き抜いてやる。そんな覚悟が人々の言葉のあちこちからにじみ出ていた。

「戦時下のホームドラマ」らしく、最終回は食べるシーン、食べ物に関するシーンが非常に多かったのも印象的だ。進駐軍からもらったチョコレート、タバコの包紙入りの米軍の残飯雑炊、海水をたっぷり入れて塩味のしっかりした雑炊、円太郎が周作にそっとわけてやる芋、イトがつくったすみと囲む食卓、節子が最後に母親と食べた海苔のごはん、晴美の遺影にお供えされた雑炊、成瀬がうれしそうに語る職員食堂のコロッケ、志野の夫がもらってきたクッキー。生きることは食べることだ。

「ただいま。ただいま。生きるで!」

死地から戻ってきた水原哲(村上虹郎)は故郷の海に向かって叫ぶ。北條家ではまったく食事が喉を通らなかった哲だが、これからはきっとモリモリ食べるだろうなぁ。

ドラマスタッフからのダイレクトなメッセージ


93歳のすずさんは、たっぷり生きて、まだまだ存分に生きることを楽しんでいるように見える。高齢だから坂道のキツい呉の家は手放してズムスタの近くあたりに住んでいるんだろう。周作さんとは悲しい別れがあったのかもしれない。いろんなことを想像させてくれるラストシーンだった。

「すずさんは存命でカープ女子」という設定は当然原作にはなく、劇場版にも登場しない。劇場版の片渕須直監督が舞台挨拶の際に「すずさんはいま91歳。いまも元気に広島カープの応援していますよ!」と発言したものが元になっている(2年前の発言なので現在は93歳)。

ツイッターなどを見ると賛否両論のようだが、筆者は良かったんじゃないかと感じた。それだけに、「一切関知しておりません」とコメントした劇場版との関係性を案じてしまう。そのあたりモヤモヤした人も少なくなかったんじゃないだろうか。

なお、広島東洋カープという球団は原爆投下後の焦土と化した広島の復興のシンボルとして誕生したという経緯を持つ。先日の西日本豪雨の際は、松田元オーナーが「原爆のときも復興の支えになってきた。立ちあがる時には支えになる」とコメントしていた。きっと球団ができたときから、すずさんは熱狂的なカープファンになったに違いない。

最後の「負けんさんな、広島!」というセリフは、今も災害の復興に取り組む広島の人々に向けられたものだろう。叙情性をかなぐり捨てたダイレクトなメッセージは、ドラマスタッフが持つ人へのあたたかみを感じさせた。これはこれで、とても良いドラマだったと思う。
(大山くまお)

「この世界の片隅に」
(TBS系列)
原作:こうの史代(双葉社刊)
脚本:岡田惠和
演出:土井裕泰、吉田健
音楽:久石譲
プロデューサー:佐野亜裕美
製作著作:TBS