マルイの「太もも展」は女性に対する社会的DVです

百貨店の池袋マルイで2018年3月9日から開始される予定だった「ふともも写真の世界展(通称:太もも展)」が、多数の抗議を受けて中止になりました。アートと銘打っているものの、実態は未成年と思われる女性の太ももばかりが掲載された「ロリコン男性向けエロコンテンツ」と判断されるような内容でした。



百貨店ではゾーニングは事実上不可能


確かに、「様々なジェンダー、様々な年齢、様々な人種、様々な体型の太ももを題材に扱い、人体の美を表現した」というコンセプトであれば、アートになる可能性もあるのかもしれないですが、未成年と思われる女性ばかりを扱っているならば、「人体の美」よりも「未成年の身体という記号」に焦点が当たっており、中止は当然のことでしょう。

また、仮に未成年と思われる女性ばかりを扱っていたとしても、アンダーグラウンドの小さなギャラリーで展示を行うのであれば大きな問題にはならなかったかもしれませんが、百貨店は公共性の高い空間であり、ゾーニングされている環境(≒人目の付きにくい環境)とは言い難い。

たとえ入場料を払った人しか見られないような作りになっていても、誰でも見ることのできる展示スペースの入口には内容を示す看板が出されて、途中の通路等にも広告や誘導を行う案内版等が表示されると考えられます。それではゾーニングはなされているとは言えません。百貨店で開催する限り、ゾーニングは事実上不可能です。「見たくなければ見なきゃ良いだけ」は成り立ちません。

加害性のある行為を“好意”と履き違えている


一方、抗議によって太もも展が中止になったニュースが広がると、インターネット上では「何で自分たちは誰かを傷付けたわけでもなく、ただ太ももが好きなだけなのに、中止にされなきゃいけないのか!」のような心境を綴っている投稿が散見されました。

いかにも自分には非がないと言いたげですが、彼らはイジメ、モラハラ夫&DV夫、ストーカー、スカートめくりをする男児等と心情がそっくりです。


「かまってやっているんだ」
「お前のために言っているんだ」
「愛しているからその気持ちを伝えたいだけ」
「好きだから構って欲しいだけ」

彼らは自分の加害性のある行為を“好意”と履き違えています。自分が“好意”と思い込んでいるものでも、一方的に行えば、しばしば加害となることもあるということがまるで分かっていないのです。

今回のケースも「太ももを愛でる(展示を公の場で行う)」ことは誰かへの加害ではないと思っているのかもしれませんが、未成年の性をモノ化して消費することを肯定的に描き、社会に対して肯定的なメッセージを発信しているので、明確な性的搾取です。

そしてそれはもちろん加害行為です。たとえるならば「女性の身体を持つ者に対する社会的DV」です。おっぱい募金の際にも海外メディアから「時代遅れの女性観」と批判されましたが、今回も全く同じで、女性に対する社会的暴力だと思います。



加害している人の「加害じゃない」は説得力なし


「太もも展は加害行為ではない!」と考えているかもしれませんが、多数の被害者が被害を訴えている限り、それだけでもう加害だと断定すべきです。加害だと訴えられた側にその意図があるか否かは関係ありません。イジメをしている人間が「これはイジメではなくてイジリだ!」と言っても何の説得力もないのと同じで、何ら加害性を否定していることにはなりません。加害性を有するか否かを決めるのは加害者ではないのです。

もし、彼らが加害性がないことを証明しようとするのなら、「これは被害ではない」という女性が多数であることを証明しなければなりませんが、世界的に「これは被害ではない」という女性が圧倒的多数を占める先進国がどこにあるでしょうか? もちろんこんな未成年搾取の写真展、多くの先進国では一発アウトだと思います。

確かに女性でも「別に嫌とは思わない」という人も一部いるでしょう。でも、その大半は女性の身体を搾取し続けることを当たり前にしてきた日本の男社会に洗脳されてしまっているからだと思います。


また、イジメのようなことを先輩芸人にされても、「これはイジリだから!」「これはおいしいことだから!」と感じるお笑い芸人がいるようですが、それをマネして社会一般で行えばただのイジメです。それと同様に、太もも展も嫌ではない女性がいるからと言って、その一部の人権感覚が麻痺した人の声を標準意見として捉えるのは、都合の良い意見の抽出に過ぎません。

リアルとファンタジーの区別がつかない人たち


さらに、インターネット上では、今回の中止を受けて、「太もも展がわいせつ的だとして中止になるなら、リアルな女子高校生は歩くわいせつだと言うのか!」「フェミのせいでイスラム社会のように女性が肌を隠す社会になるぞw」という投稿をする人も少なくないようです。未成年の性的消費が話題になると、必ずと言って良いほどよくあがる意見ですが、自分の認知が著しく歪んでいることを自ら露呈しています。

というのも、彼らは、「未成年の女性の太もも(リアル)」と、「それを大人が切り取り性的にモノ化&消費する写真群(ファンタジー)」の区別が全くついていません。表現の自由の問題で彼らはしばしば「リアルとファンタジーの区別はついているー!(だから表現まで禁止するのはおかしい)」と言いますが、いかに彼らの言動が信用に値しないかを自ら証明してくれています。

もちろん、「これはファンタジーではなくリアルだ!」と言えば、その瞬間に彼らが名目とした「アート」という看板はガラガラと崩壊します。
写真であってもそこに表現者の意図が介入するからアートというファンタジーになるわけなのに、ただのリアルであればアートでも何でもありません。


丸井の女性管理職比率は案の定低かった


さて、これまで様々な企業や自治体のCM等が女性差別的表現や性的表現を用いたことで炎上し、中止になることが何度もありました。2015年には同じ百貨店のルミネがCMで大炎上を起こし、公開を中止しています。それにもかかわらず、同じような問題が繰り返されるばかりか、女性差別的表現が女性客中心の百貨店にまで触手を伸ばしている異常さには、さすがに驚きを隠せません。

本来、太もも展のような性的搾取要素の強いコンテンツは、抗議を受ける以前に採用段階で弾くのが当然だと思うのに、なぜ丸井は決裁をしたのでしょうか? 気になって人事情報を調べてみたら、女性を主なターゲットにしている企業のはずなのに、役員や部長級管理職の大半が男性でした。女性はほとんど見当たりません。問題の池袋店も店長は男性のようです。


もちろん役員が男性だらけの企業が必ずしも問題を起こすわけではありません。ですが、やはりこのような企業ほど、女性差別や未成年の性的搾取等の問題を犯すリスクは相対的に高くなると思うのです。


女生徒の性暴力被害は学校も共犯者だ


また、朝日新聞社WEBRONZAの連載でも常々言ってきたことですが、学生服がこれほどまでに性的搾取の対象とされるようになった今、制服は全国で廃止にするべきです。学生服を生徒が自ら着用したいというのであれば禁止にする必要はないですが、学生服を制服として義務化して強制的に生徒に着用させることは、女生徒が性暴力や性的搾取に遭うことを学校側もほう助していると言えるのではないでしょうか?

こういうと、「貧富の格差を隠してイジメを防ぐためだ!」等の反論があがりますが、それは昔の話であって、それこそ子供たちの被害状況を何一つ分かっていない。今はファストファッションでオシャレなものが十分揃いますし、モノを所持することに興味が薄れているミレニアル世代以降、そもそも着ているものでマウンティングする子供はどんどん減っています。子供たちを今苦しめているのはそれよりも性暴力や性的搾取のまなざしです。

学生服を着ればかなり高い確率でその被害に遭う、それがどれほど異常なことか分かっているのでしょうか? 未成年女子に対する痴漢被害が世界最悪で、「電車内における女性の性に関する治安が最悪な国家」という自覚はあるのでしょうか? 子供をみすみす危険に晒しているのは、己の過去を回顧して今の子供たちことなんて全然目を向けられていない化石頭な学校関係者や教育行政だと思います。


ジェンダー的課題における「腐ったリベラル問題」


最後にまとめとなりますが、性と抑圧の問題は「性に対する抑圧」と「性を用いた抑圧」の2つに分類することができます。前者はいわゆる伝統的な価値観から個人(とりわけ女性)の自由な性的行動に対して抑圧をかけることです(積極的自由の侵害)。一方、後者はセクハラ等、他者(とりわけ女性)への抑圧が行われる際に、性的なことが用いられることです(消極的自由の侵害)。

欧米の社会もいまだに性と抑圧の問題を克服することはできていないですが、この2つの面を同時に進めています。一方で日本は、前者はある程度進み始めているものの、後者への意識が本当に低い。#MeTooムーブメントがほとんど広がりを見せないこと等がそれを象徴していると言えるでしょう。数ある炎上CMに加えて、今回の太もも展のような性的搾取のケースが続発するのも、まさに後者への意識が低いからに他なりません。

マルイの「太もも展」は女性に対する社会的DVです


そしてこの手の問題において、「保守的な人のほうがよっぽどマシ」と思うことが少なくありません。「リベラル」を自称していながら、アメリカのリベラル派のように2つの抑圧に対して解消しようとするのではなく、むしろ「性を用いた抑圧」のケースにおいては、自由を掲げて加害者側に回ることが何と多いことか!

この日本特有とも言うべき、ジェンダー的社会課題における「腐ったリベラル問題」は、もっと批判されるべきです。私は、子供はいませんが、同世代にも小さな女の子を持つ親がたくさんいます。そして彼女たちを見る度に、用意した社会がこんな酷い社会で、本当に申し訳なく思うばかりです。彼女たちが安心して成長できるように、一刻も早くロリコン文化を一掃させるべきではないでしょうか?

(勝部元気)