「大学に行くよりオンラインサロン」論争から学ぶネットの不毛なすれ違い

ネットのインフルエンサーたちが「大学に通うことよりもオンラインサロンに入ることのほうが人生にとって有意義」というような趣旨の発言をして、波紋が広がっているようです。

たとえば、メディアアーティストの落合陽一氏が出演しているネット番組「WEEKLY OCHIAI」では、「オンラインサロンはすでに大学を超えている?」というキャッチコピーを打ち出し、落合氏も「オンラインコミュニティのほうが大学の授業よりも面白くなってしまった」「大学と同じコストを払う人がいたら7(つのオンライン)コミュニティに入れる」と発言。


また、ブロガーのイケダハヤト氏が「大学も行かないでもっと早くブロガーをやっていれば良かった」と音声ブログVoicyで後悔する発言をしたのに対して、ブロガーで作家のはあちゅう氏も以下のようなツイートをしました。

“イケハヤさんが、大学に行かず、ブロガーやったらよかった、ってボイシーで言ってたんだけど、超同意。私は会社勤めは後悔してないし、会社員だったおかげで社会の仕組みがわかったと思ってるんだけど、大学は行かなくてよかったと思ってる。当時はオンラインサロンなんてなかったけど、今大学生なら、オンラインサロンに複数入ってプロジェクトに積極的に関わって仲間増やしながら、自分の実績をためる。”

これに対して、インターネット上では以下のような批判が起こっていました。

・イケハヤ氏は早稲田大学卒業後半導体メーカーのルネサスに就職、はあちゅうさんは慶応大学卒業後電通へ就職しています。
(中略)ご自分の金儲けのために若者の人生を壊さないでください。
・「はあちゅうのオンラインサロン 卒」「慶應大学 卒」どっちが就職に有利かは一目瞭然
・オンラインサロン卒()で何らかの実績あげた人を聞かない
・はぁちゅうさんが大学を卒業していなかったら当時電通の総合職にはつけなかったはず。「東大に行ってよかったけど受験勉強は無駄だった」と似ています。手段は手段、目的は目的です。


みんな見ている景色が違うから噛み合わない


批判の内容は一見もっともだと思うのですが、やや話が噛み合っていないように感じました。というのも、インフルエンサーたちは日本社会一般で生きるための処世術について話をしているわけではなく、あくまで「インフルエンサーやその周りにいるような人々と近しい働き方や生き方をするならば」というケースに限定した話をしていると思うのです。

彼等の話を丁寧に聞けば、決して日本の大企業に就職するために必要な話や、学歴が必要なことにチャレンジする話、ムラ社会や義理人情の世界で生きる人々の話もしておらず、「インフルエンサー界隈」という非常に狭い世界の話をしていることが分かります。


つまり、彼等と批判をする人々では、話の前提条件が全く違うのです。そこが違うならば、当然「大学に通うことよりもオンラインサロン」という文章の意味も大きく異なります。ですから、もし彼等に対して何か指摘するとすれば、「インフルエンサー界隈限定の話だと注釈をつけてください」というのが唯一の反論のように思いました。

大学とオンラインサロンは別レイヤーの話


ただし、インフルエンサーたちの発言に一切問題が無いわけではないと思います。

大学に入ることとオンラインサロンに入ることは決して二者択一ではないわけですが、それをあえて二者択一的に並べ、比較対象(ここでは大学)の価値を低く評価することで、勧めたいもの(ここではオンラインサロン)の価値を相対的に上げているように見える“話法”に関しては、私はあまり好ましくないように思います。

江藤美帆氏など、既に指摘している人も多いですが、大学に通いながらオンラインサロンに入ることも十分に可能です。そこで得られる学びは質的にも異なるわけで、両者は全くレイヤーが異なるものだと思うのです。
どうしてもお金や時間等のリソースの関係で片方しか選択できないという場合もあるかもしれないですが、リソースの「選択と集中」をしたい人を除いて、そのような二者択一を迫られる人はこの世に多くいるとは思えません。


思考停止のままオンラインサロンに入ることも問題


確かに思考停止なまま大学に行くのは問題だとは思いますが、その概念と対をなすのは、思考停止せずに大学に行くことや、そもそも大学には行かないことであって、決してオンラインサロンに入ることではないわけです。

また、彼等は「目的意識も無くor思考停止のまま大学に行くこと」は問題だという話をしていますが、それを言うのならば、「目的意識も無くor思考停止のままオンラインサロンに入ること」も同様に問題だと思います。結局、どこに入るかは重要ではなく、目的意識も無いことや思考停止と、その背景にある日本の教育とサラリーパーソン至上主義が問題です。

本来彼等はそれを指摘したいはずなのに、なぜか話の力点が「目的意識の欠如」や「思考停止」という原因部分よりも「大学に通うこと」という結果部分に置かれ、「大学かオンラインサロンか」という「手段」に論点が設定してしまっているのが、今回批判を招いた原因だろうと思いました。

こうなると、皆それぞれ自分の経験から「こっちのほうが良い」「いや、こっちのほうが良い」という延々と平行線のままの無駄な議論が起こります。「目的意識の欠如」や「思考停止」という本来議論されるべき課題はスルーされるため、当然そこに着地点はありません。
ですからなるべく「●●するよりも〇〇」という“話術”は極力使わないほうが無難だと思うのです。

オンラインコミュニティは万能ではないが有用


ちなみに、前回の記事でもお伝えしたように、私自身もちょうどオンラインサロンを始めたところでした。インターネットを使ってこれまで出会えなかった人々と深い関係を構築できることはとても素晴らしいことですし、インフルエンサーがその結節点となれば、価値観の近しい人々とストレスの少ない環境や自分を高められる環境を作り出せる可能性は、かなり高いと思います。

ですが、一方でその仕組みを過大評価しないようにも心掛けています。今でこそ、私もネットを使った人間関係作りでストレス無い環境を構築できていますし、自己肯定感は誰よりも高い自負がありますが、それは私がこれまで35年間行ってきた選択の結果であって、それを模倣したいという人がいても、残念ながらすぐには変えられません。「すぐ変えられます!」というのは、それこそ詐欺かマルチ商法か怪しい宗教です。


でも、やはり普段懇意にしてもらっている人々に対して、自分の経験が何か活かせるものはないか、それを身近で感じて良い影響を与えられないかと思い、情報や価値観を提供し続けることがインフルエンサーの務めのように思うのです。私自身も彼等からいろいろと学ぶことはありましたが、これからは私自身も、評論とは別にそのようなノウハウやライフハックを、オンラインコミュニティ等を通じて提供していきたいと思っています。
(勝部元気)