寛之さんは昨年9月、同大会出場のために訪台。試合前にコースを試走していたところ落石に見舞われ、帰らぬ人となった。大会は事故発生を受け、中止になった。
良一さんはこの日、寛之さんが付けるはずだった221番のゼッケンと遺影を手にスタート地点を訪れ、あいさつをした。息子の事故によって昨年の大会が中止になったことを申し訳なく思う心情を明かした上で、「寛之は美しく愛がいっぱいの台湾が大好きでした」と話し、「(息子は)空の上からみなさんを応援しています」と出場者にエールを送った。
良一さんは、寛之さんの遺品であるカメラで出場者が自転車に乗る姿を収めたほか、日本人選手と写真撮影をした。
共催した台北市自由車協会の彭剣勇理事長によると、7回目となった今大会には380人が出場。35人の外国人選手中、日本人が20人と最多だったという。
(盧太城/編集:名切千絵)