お茶版「わんこそば」!? 長野のお茶飲み
こんな風に野沢菜などを食べつつ、延々とお茶を飲む習慣があるせいか、長野育ちの私もやっぱり便秘知らずです。
他県から実家のある長野を訪れた友人などが、きまって仰天することがある。それは、「お茶飲み」である。

長野では昔から、「お茶飲み」といって、長時間にわたってお茶を飲み、おしゃべりする習慣があるのだが、こう聞くと、「おばちゃんたちが、延々とお茶するんでしょ? ファミレスとかでもよくあるじゃん」と思う人もいるだろう。
だが、これがちょっと違う。驚かれるのは、お茶の注ぎ方である。

長野の「お茶飲み」の場合、客人の湯飲みが空いてしまう前に、注ぎ足すのが基本である。だが、これを知らない人は、次々と注がれ、慌てて飲み干し、また注がれ……というエンドレスの世界に引き込まれてしまうのだ。
「『わんこそば』かよっ!? いつまで飲めばいいんだ?」なんて嘆く人も少なくない。

でも、これは長野の人にとっては「完全に空いてしまわないうちに、注ぐのが礼儀」だからであって、決してお茶攻めしてるわけではないのだ。

これについて『おやき 56の質問』(柏企画)という本に、こんな記述がある。
「長野県の茶は、飲んだらすぐに注ぐことで有名である。話しては飲み、飲んでは注いで、また話す。この中で、他人の家の情報を吸収し、遠方から来た嫁の持っている料理情報や逗留する客の間接的情報まで話題とし、持ち帰ろうとする」
また、一説には、「冬が長い長野では、女性たちが囲炉裏端で長時間、縄よりをしながら、茶を飲んでいたところから始まった」などともいう。

基本的に、漬物など、保存食を多くとるお国柄のため、塩分の摂取量も多いはずなのだが、「長寿国」である理由として、「お茶飲みをするから、水分をたっぷりとるし、お茶うけに、お葉漬け(野沢菜)など食物繊維をたくさんとるため、便秘をしないから」という説もある。


わび・さびの世界の「お茶」とは明らかに違うが、次々に注いで飲む長野流の「お茶飲み」は、相手の湯飲みを空にさせない、もてなしの心のあらわれ。そして、情報交換の場であり、健康の秘訣でもあるようだ。
皆さんもゆっくり、「お茶飲み」、してみませんか。
(田幸和歌子)