森田理香子がゴルフを始めたのは8歳のときだった。祖父がゴルフ練習場を経営していたこともあり、ゴルフに触れることは自然な流れだったといえる。ジュニア時代から数々の大会で結果を残し、16~18歳までの3年間はナショナルチームでも活躍したが、けっして自分が秀でていると思ったことはないという。
同い年に金田久美子や宮里美香といった早い時期から注目を浴びた選手がいたことも大きい。彼女たちに追いつくためには、ひたすら練習するしかないと考え、ゴルフに没頭した。その姿勢は高校を卒業してプロに転向してからも変わらなかった。
むしろプロに転向してからの方が、ゴルフに対する情熱はますます燃え盛った。特に10年夏から岡本綾子に師事するようになると、人生の多くをゴルフに費やすようになる。
「とにかくゴルフひと筋の人生でした。
おしゃれをしたい年ごろではあったが、ほかの選手がネイルサロンに行っても興味を持つことはなかったという。そんな暇があるなら、練習場でボールを打っていたいという考え方だったからだ。
「ゴルフを教わっていた足立香澄さんから練習しないとダメだよといわれていたこともあり、昔から練習量は多かったと思います。ほかの人がやっていない時間に練習することで、その差を埋めるという考え方でした」
森田がさらに練習するようになった理由の一つに、岡本から紹介された実業団のソフトボールチームと一緒に練習したことが挙げられる。同じアスリートという立ち位置ではあるものの、明らかに体力面での差を見せつけられたのだ。「例えば、グラウンドをランニングしても3週ぐらい遅れるわけです。
もちろん、技術的な練習も欠かさない。「朝から晩までボールを打っていたし、岡本さんの指示に従っていれば間違いないと、言われたとおりの練習をこなすだけでした」。当時の森田はいいスイングを身につけることが目標であり、そのためにはアドレスからすべてを変えていた。
しかし、それでもまだ技術的には満足していない。ジュニア時代から海外の試合に出場していた森田だが、プロになってからも海外志向は少なからずあった。しかし、岡本からは、「フェードとドローを自由に操れないと海外では勝てないよ」と言われていた。
ただ、国内ツアーでは横峯さくらとの接戦を制して初の賞金女王のタイトルを獲得する。ついに日本一という目標を達成したわけだが、森田にとってはそのことが逆にツアープロ人生を縮めることになるとは、まだだれも予想していなかった。(文・山西英希)