「スランプは成長のとき」 日・韓・米で活躍したオランダ人元プロ野球選手に聞く、キャリア転換時に大切なこと
日本の国民的スポーツといえば野球が筆頭にあがるが、オランダでは驚くほど野球の影が薄い。そんな中でも、プロ野球選手になりたいという夢を実現させ、米メジャーリーグのほか、韓国、日本の野球界で活躍したオランダ人投手がいる。
その名はリック・バンデンハーク。

プロ野球生活の最後は東京ヤクルトスワローズに在籍していたが、22年に37歳で引退した。オランダに戻ってからは、メジャーリーグのコンサルタントを務めるほか、自らの経験を伝えるスピーカーとしても活動し、悩めるビジネスパーソンに助言を与えている。

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福岡ソフトバンクホークスの優勝を祝うリック・バンデンハーク氏。同クラブでは2015~19年に活躍した仕事のスランプやキャリアの大きな転換期をどう乗り越えればいいのか、話を聞いた。

仕事のアップ&ダウン克服のヒント

今年4月、オランダ南部の小さな街、オースターハウトで行われた野球クラブ「Oosterhout Twins(オースターハウト・ツインズ)」のイベント会場には、150人ほどのファンが集まった。オランダの野球コミュニティは小さいが、少数派ならではの熱いファンが多い。


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Oosterhout Twinsの集会で講演。韓国で学んだ瞑想のやり方も伝授するオランダ南部のこの小さな街を拠点とする同クラブで、リック・バンデンハーク氏は10~13歳のころに活躍していた。オランダ初のメジャーリーガーとなった彼は、地元野球界でヒーロー的存在だ。この日はゲストスピーカーとして登壇し、試合や仕事で経験する「アップ&ダウン」をどう乗り越えればいいのか、聴衆に秘訣を伝えた。

「いつも自分の心身が好調だとは限らない。不調の赤信号が灯ったら、それが学びのときです。
悪循環に陥らずに、どうやって青信号に持っていくか、プログラミングするのです。具体的に僕が試合でやっていたことは、まずステップ1として身体的なアクションを取ること。(滑り止めの)粉をつかんで、何回か空や地に向かって投げる。ステップ2は注目点を見つめる。スタジアムにはいつも自分のクラブの旗がかかっているので、それを見ながら1度深呼吸をする。そして自分に言い聞かせる。
『Vendy, right here, right now(自分は、今ここにいる)』……」(バンデンハーク氏、カッコ内以下同様)

スポーツイベントのみならず、ビジネス会議で登壇することもある。人より早くキャリアを築き、数々の波や引退の試練を乗り越えてきたバンデンハーク氏の人生ストーリーは、多くの人々の共感を得ている。

16歳で始まったプロ野球人生

バンデンハーク氏はスポーツ好きの一家で生まれ育ち、小さいときから野球のほか、柔道、サッカー、水泳、スケートなどさまざまなスポーツを楽しんできた。その中から最終的に「マイナースポーツ」の野球を選んだのは、熱狂的な野球ファンの父の影響だったという。

地元アイントホーフェン市のチームで頭角を現したリック少年は、まもなく国家レベルで試合に参加するオースターハウト・ツインズに移籍。11~12歳のときにはナショナルチームとして2回、日本にも来日したことがある。

「日本は完全に異世界でした」。
オランダと違って、日本ではいたるところに球場があり、子供たちがいつもキャッチボールをしているのに新鮮な驚きを覚えたという。「将来、日本のプロ野球チームに入るとは夢にも思わず、スーツケースいっぱいに日本文化を詰め込んで帰りましたよ(笑)」

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2009年9月3日、フロリダ・マーリンズ対アトランタ・ブレーブス戦で投球するバンデンハーク氏(写真:Wikipediaより©Larrysw)16歳のとき、アメリカからスカウトされ、現地で学校に通いながら野球のトレーニングを受けるプログラムに参加。9カ月のプログラムを終えた後は、米マイナーリーグとの契約で、アメリカの野球システムの中に組み込まれた。5年間さまざまなレベルの野球を経験した後、メジャーリーグで6年間プレイした。

「もちろん、いい時も悪い時もありました。とても孤独でした。
何度か手術も受けたし、ケガもした。これが野球選手として最後の年なのか、それとも続けられるのか、と疑問が渦巻く中、それを乗り越えなければならなかった。前に進めたのは、野球選手として最高レベルで競争をしたいというビジョンがあったからです」

メジャーリーグからアジアへ

アメリカで活躍して11年目、ピッツバーグ・パイレーツとの契約が切れた段階で、キャリアの転機が訪れた。

「メジャーリーグのチームは、僕の契約を売ろうとしていました。それは僕が彼らにとって『Aプラン』ではないことを示していた。僕は先発投手でありたかったし、その機会を与えてくれる韓国のサムスン・ライオンズに移籍することに決めました。28歳のときでした」

言語を解さず、文化の違いに適応するには時間がかかったが、韓国のトップレベルの球団で戦えたことは、彼の人生にとって大きな収穫だったという。
韓国でマインドフルネスに出会ったことも集中力や感情に好影響を与え、それは彼の目覚ましい成績にもつながった。サムスン・ライオンズは韓国シリーズで優勝を果たした。

2年間、韓国で過ごした後、バンデンハーク氏は15年に福岡ソフトバンクホークスに移籍。同チームは当時、工藤公康監督が率いる最盛期にあり、バンデンハーク氏も日本シリーズの優勝に貢献した。彼は日本の野球文化について振り返る。

「日本人は人間関係において、リスペクト、ハーモニー、階層を重視する。目上の人にダイレクトに意見を言わないことが多いため、チーム内やコーチとの間にプランやビジョンについての誤解が生じ得る。何でもダイレクトに言うオランダとは明らかに違う文化ですね。一方で、チームとして集団的に戦うことに焦点を当てていて、それが日本のチームの強みだと思います」

引退、そして新しいアイデンティティへ

チームは絶好調だったが、バンデンハーク氏は肉体的な老いを感じはじめ、19年には本格的に腰を痛めた。21年に東京ヤクルトスワローズと契約し、回復を信じてトレーニングに励んだが、再び腰を痛める結果となってしまった。

「もう最高レベルでピッチするのはどんどん厳しくなっていると感じました。心ではそこに到達できると思っていても、身体が言うことを聞かない。最後のシーズンに“引退”が心に浮かぶと、自分の中でとても激しいバトルが始まりました。それはとても苦しい戦いでした」

シーズン終了後、バンデンハーク氏は妻と話し合って、引退を決意した。何人かの先輩やコーチとも会って、人生のこういうステージで彼らがなにをしたか、どうやって乗り越えたかについて話を聞いたという。

「苦しみの渦中にあると、人はそれを自分だけが経験することだと思いがちですが、ほかの人と話すと、意外と多くの人が同じ状況を経験しています。だから、1人で抱え込まずに誰かとシェアすることはとても重要だと思います。そして、あなたに影響を与えてくれて、正直でいてくれる人に囲まれることは、とても大切です」

「スランプは成長のとき」 日・韓・米で活躍したオランダ人元プロ野球選手に聞く、キャリア転換時に大切なこと
ハイテク企業のビジネス会議に登壇するバンデンハーク氏次の仕事についてなにをするかは分からなかったというが、野球と繋がっていたいという思いと、自分の知識や海外での経験を活かしたいという方向性はあった。

「それは古いアイデンティティを失い、新しいアイデンティティを得るプロセスでもあります。時間のかかることです」

森林浴で自分を振り返る時間を

新たなキャリア形成についてバンデンハーク氏は、自分を振り返ることを勧めている。新しいことへのチャレンジには経験がないことが足かせとなることもあるが、まずは自分が達成してきたことを振り返り、自分のユニークなスキルセットを信じることが大切だと強調する。

バンデンハーク氏によれば、振り返りのために必要なのは、自分のために時間を取ること。自分の内部でなにが起こっているのかをじっくりプロセスする時間だ。彼は特に、日本で学んだ「森林浴」を勧めている。

「公園でも温泉でもいい。自然のあるところに行けば、ホルモンレベルで自分の身体と心を取り戻すことができます」

「スランプは成長のとき」 日・韓・米で活躍したオランダ人元プロ野球選手に聞く、キャリア転換時に大切なこと
日本の自然を楽しむバンデンハーク氏。温泉が大好きだというさらに、もう一つ大事なこととして、バンデンハーク氏は次のように付け加えた。

「キャリアのスランプに陥ったとしても、『自分は失敗者だ』と定義しないこと。例えば、野球の試合に負けても、自分は失敗者になるわけじゃない。自分はまだいいピッチャーだけど、その負けた経験から何かを学ぶ必要があるんです。試合でさらけ出された欠点を改善するために努力するのです。スランプはとても孤独で深い苦しみです。でも、それはなにかを教えてくれている。学びや成長の時期に差しかかっていることを意味します。いつも絶好調だったら、どうやって学ぶ?なにも学べないですよね。それは全く違う視点です。スランプは成長し続けるための助けになるんです」

野球文化の乏しいオランダに帰ってきた今、バンデンハーク氏は選手生活のルーティンや日本の野球文化を恋しく思うという。野球中心に回ってきた生活を新たな生活に切り替えるのにも、相当の時間がかかる。

しかし今は、家族との時間を楽しみながら、欧州と米メジャーリーグの交流をサポートしたり、週末には息子の野球チームのトレーナーを務めたりしている。そして今後は、さらにスピーカーとして活動の場を広げ、多くの人々を助けたいというビジョンを持っている。

「僕が辿ったジャーニーからみんながインスピレーションを得てくれれば嬉しいです」

バンデンハーク氏の正直で真摯なアドバイスは、今後も多くの人の胸に直球で届くに違いない。

取材・文:山本直子