『開幕ベルは華やかに』(新潮社)著者:有吉 佐和子Amazon |honto |その他の書店

◆女流ミステリーの華麗な開花
最近、女性作家の書いた推理小説がいくつか話題になっている。ミステリーのおもしろさは謎ときの興味にあることはもちろんだが、登場人物の性格やその複雑な人間関係、彼らの生活環境などが鮮明で、被害者や加害者、また探偵役などの心理がたくみに描かれている、つまり小説としての骨格がしっかりしているものほど、興味が加わるのはいうまでもない。


その意味では、ストーリーのおもしろさも推理小説の大きな要素となるが、有吉佐和子の「開幕ベルは華やかに」は、そういった条件をたっぷりと備えたエンターテインメントだといえよう。この作品は有吉佐和子のはじめての推理ものだが、彼女の知悉している演劇の世界に材をとった書き下ろしで、それだけに舞台裏の人間模様に殺人事件をからませたその構成は、心にくいほどである。

芸術院会員の八重垣光子と中村勘十郎という大物二人が、来月の帝劇で共演することになり、すでに広告も出され、前売り券も売れている段階で、脚本の執筆予定者だった演劇界の長老が突然おりてしまう。芝居は“男装の麗人”とか“東洋のマタハリ”などといわれた川島芳子をモデルとするもので、芳子は清朝の王族の血をひき、日本の大陸浪人の養女として育ったが、清朝再興のために特務機関と結んで活躍したため、後に中国で処刑された日中戦争の影の女性だ。

東竹演劇が急遽起用したのは駆け出しの劇作家・小野寺ハル、彼女はそのチャンスに挑み、離婚した推理作家の渡紳一郎に演出を依頼する。だが老大女優の光子のわがままぶりや、光子と勘十郎の心理的軋轢(あつれき)もあって、初日を迎えるまでハルをはじめ、関係者はとまどわされることが多い。
それでも舞台に上がると、光子は相手役の勘十郎をくってしまうほどのふしぎな演技力を発揮し、大好評で連日観客がつめかける。

ところが光子に文化勲章の授与が発表された日、劇場に脅迫電話がかかり、二億円を用意しないと芝居の大詰めで光子を殺すと予告した。警察はただちに捜査を開始し、厳重な警戒を行うが、その中で観客二人が殺害された。

事件は警視庁の捜査一課長や定年退職した元刑事の活躍、渡の推理などによって解決されるが、その過程で演劇界のさまざまな内幕が暴露され、大女優の存在の影で多くの人々が夢をふみにじられ、恨みや憎悪が渦まいていることが知らされる。

八重垣光子は水谷八重子、中村勘十郎は勘三郎を思わせるし、東竹や松宝といった社名も、演劇界の二大会社をうかがわせるが、作品はその世界のどろどろした人間模様を述べながら、舞台で進行する川島芳子の軌跡をも語り、一方もと夫婦だった渡とハルの交渉をたどると思うと、脅迫と殺人事件の経緯もかさねて描いてゆく。いわば四つの話が同時進行する構造になっているわけで、ストーリーテラーとしての作者の力量はさすがである。


とくに八重垣光子の像はあざやかで、人間的な欠陥をもちながら、大女優として君臨する秘密にふれており、それを浮かび上がらせるために、推理の手法をとったのではないかとさえ思われる。この作品は本格派のミステリーではないが、推理小説の畑にとっても個性ゆたかな収穫のひとつであろう。

【書き手】
尾崎 秀樹
(1928-1999)文芸評論家1928年、台北生まれ。台北帝国大学付属医学専門部中退。引き揚げ後、新聞記者や編集者等を経て執筆活動に入り、大衆文学の研究に取り組む。1966年『大衆文学論』で芸術選奨、1990年『大衆文学の歴史』で吉川英治文学賞を受賞。
1994年、紫綬褒章を受章。1993年~1997年日本ペンクラブ会長。日本文芸家協会理事。大衆文学研究会を主宰。1999年9月21日死去。著書に『生きているユダ』『ゾルゲ事件』『魯迅との対話』『旧植民地文学の研究』『さしえの五十年』など多数。


【初出メディア】
週刊朝日 1982年5月28日

【書誌情報】
開幕ベルは華やかに著者:有吉 佐和子
出版社:新潮社
装丁:文庫(406ページ)
発売日:1984-12-20
ISBN-10:4101132216
ISBN-13:978-4101132211