東村アキコさんの『かくかくしかじか』が、第19回文化庁メディア芸術祭 マンガ部門で大賞を受賞した。文化庁メディア芸術祭は、アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において毎年優れた作品を顕彰する。
1997年からの受賞作は、それぞれの時代を反映し、世に中に大きな影響を与えてきた傑作ばかりだ。
『かくかくしかじか』も、そんな作品のひとつである。東村アキコさんの少女漫画家になることを夢見た子供時代から漫画家デビューするまで、漫画家になってからのこれまでの半生を描いた。自伝的作品であると同時に普遍的なメッセージがこめられている。人々の共感を呼ぶ作品となっている。
2016年2月3日から2月14日にかけて、東京・六本木の国立新美術館ほかにて文化庁メディア芸術祭受賞作品展が開催される。開幕を前に、作者である東村さんに作品への想い、受賞しての感想を聞いた。

第19回文化庁メディア芸術祭 受賞作品展
2016.2.3―2.14 国立新美術館
http://festival.j-mediaarts.jp/

■ 嘘偽りなく漫画家になるまでの自分を描いた

──大賞の受賞、おめでとうございます。受賞の知らせを受けた時はどう感じましたか?

東村アキコさん(以下、東村)
とても驚いて、同時にすごく嬉しかったです。この賞はいつもすばらしい作品が受賞していて、私の大好きな『夕凪の街 桜の国』(こうの史代)も受賞していて。ずっと憧れていた賞でした。受賞後は親戚のおじちゃんおばちゃんからすごく電話がかかってきましたね。
文化庁の賞、つまり公的なスゴイ賞をもらったぞ!……と(笑)。両親もこれまでで一番喜んでいました。年配の人からの反響が違いましたね。

──1999年のデビューから今年で17年。これまでの漫画家人生は、東村さんにとってどんなものだったでしょうか。

東村
私、嵐とデビューした年が一緒なんですよ。彼らがハワイでデビューイベントをやっているのをTVで横目に見ながら投稿作を描いていたのを今でも覚えています。ちょうど2年前に嵐が15周年イベントなどで盛り上がっているのを見て「私も漫画家になって15年経ってた!」と気づいて。それで祝ったりなど特に何もしませんでしたが、それまで何も考えずにひたすら突っ走ってきて、気がつけば17年。何も考えずただただ走り続けてきたという印象です。

──マンガ部門 大賞の受賞コメントにも作品を「思い出すままに何も考えず描いた」とあり、作品からも東村さん自身からも、ひがすら描き続けるという姿勢が強くみてとれました。

東村
『かくかくしかじか』は後悔や懺悔、面白くて笑っちゃう思い出もたくさん描きました。
楽しくいことも、上京してからもずっと目を背けてたことも、思い出さないようにしていた自分のダサい部分も全部さらけ出したことで「他の作品も気取らずに描けばいいんだ」と気付くことができたと思います。手にしていたお守りを返して、お焚き上げしてもらった時のような、浄化されたような。最終回を描き終わったあとはそんな気持ちでしたね。

──すごく自伝的な作品なのに、誰もが共感するようなメッセージが随所にあると感じます。師匠である日高健三さんを描こうと思ったきっかけは?

東村
まずは漫画家になるまでの自分をエッセイにしようと考えたのがスタートですね。でも1話目を描いて「これはヤバイぞ」と。日高先生のことは描くつもりではありましたか、もとはもっとギャグっぽくやろうとしていたんです。でも描いていてそうじゃないなとすぐに気づいて。過去と向き合って、自分でも恥ずかしいことをたくさん描かないといけない。当たり前ですけど、漫画であるからには紙に印刷してみんなに見せるので、勇気がいりました。

──描いている最中、苦しい気持ちになることはあったのでしょうか。

東村
日高先生には謝らないといけないことがいっぱいですよ、本当に。
漫画の中でたくさん謝っているのですが、本気でそれが天国に届いているとは思っていません。死んだら終わりで、ここに描いても結局は遅い。それが頭をよぎるのがつらかったですね。最終回では、それでもやっぱり届いているかもしれないと思えたんですよ。でも幽霊は信じない、スピリチュアルなものも好きじゃない。なのに日高先生には漫画で語りかけていて、心じゃそうしなきゃいられない。その矛盾もありつつ、たとえ無意味であっても私は描くしかない、と。

──初対面から竹刀でビシビシしごかれて、高校生であればやっぱり反抗的になったりすると思うんです。でも、東村さんは日高先生についていった。今ではこうして漫画に描くほど強い存在になっています。それはなぜですか?

東村
全く嘘をつかない人なんです。私含め、日高先生以外に嘘をつかない人に出会ったことがありません。
とりつくろったり、お世辞をいったり、表現をマイルドにしてあんまり意見を言わないとか。そういったものが全くない。私が仮病で絵画教室を早退した時も全く疑わなかったのも、自分が嘘をつかないから他人も嘘をつくという発想にならなかったからなんです。それが子供心にわかったからですね。

──宮崎、大阪で漫画を描いていた頃と東京での現在。大きく変わったことは何か教えてください。

東村
東京はすごく暮らしやすくて好きですね。宮崎では母や親戚のおばちゃんに手伝ってもらって内職のように漫画を描いていました。今では、東村プロダクションでたくさんのスタッフに支えられて、漫画家志望の若い子もいっぱいで、すごく部活っぽいというか。昨日も10人以上のアシスタントさんたちと、部屋にぎゅうぎゅうになって漫画を描いていましたよ。にぎやかですごく楽しい。〆切は身体的にはつらいですけど、最近は精神的につらさと感じなくなりました。


──逆をいえば、わりと最近まで精神的なつらさを感じることがあったんですね。

東村
ここ2~3年くらいでつらいと感じなくなりました。ようやく、本当にようやく、35歳を過ぎてからやりかたわかってきたんです。漫画の描きかた、仕事のまわしかた。どんな職業でも同じだと思いますが、波に乗るまでがつらいですよね。『かくかくしかじか』は波に乗る前、つらいと感じていた最後の時期に描いた作品。これを描き終わったことで自分の何かが抜けてクリアになったというか。そういった意味でも大切な作品になりました。

──現在も多数の連載を同時に進めていると思います。驚異の執筆スピードですよね。

東村
1月10日までお正月休みをいただいて、そのあとの8日間で『海月姫』『美食探偵 明智五郎』『雪花の虎』の3本の原稿を仕上げました。なので今月はもうお休みです!(笑) 他にネームや下書きをしている時間もありますが、1月はもう月末まで〆切がありません。
よく徹夜してるとか、休みが無いと思われがちですが。結局は人海戦術でいくしかないと思っています。作業量は人数と比例するので細分化して。私は悩んで手を止めることがないし、人に任せてもいいっていう性格なので(笑)、それが幸いしているのかも。

──決断の早さも仕事量につながる。

東村
仕事は早くないと意味がない、と個人的には思っています。

──食、歴史、ファッションと多彩なジャンルの漫画を描かれています。今後はどんな作品を描いてみたいですか?

東村
いっぱいありますね。田中圭一先生のような名作パロディもやってみたいです。例えるなら『ベルサイユのばら』の絵でSFを描くとか。そいうった類のパロディ。日本には名作がたくさんあるし、私は他の先生の絵を模写するのも大好きだし、いつかやってみたいですね。描きたいストーリーもたくさんあるので、もっとアシスタントにデビューしてもらって私が原作をやりたいです(笑)

──東村さんのアシスタントはデビューしている方が多いですよね。

東村
多いですよ。これまでにも『ZUCCA×ZUCA』のはるな檸檬さん、『きのこいぬ』の蒼星きままさん、『リアルアカウント』の渡辺静さん、『本日、あかね日和。』の桜庭ゆいさん、『平成甘味録 さぼリーマン』のアビディ井上さんと萩原天晴さん。他にもたくさんいます。東村プロにきたからには必ず世に出てもらいます。

──最後にメッセージをお願いします。

東村
『かくかくしかじか』は嘘偽りなく、漫画家になるまでを描いた作品。メインテーマが「絵を描くこと」なので絵を描いている人はもちろん、自分の子供が美大を目指している人、尊敬する師匠がいる人、たくさんの方に読んでいただきたいです。連載誌だった『Cocohana』は女性向けなので男性の目にとまりにくいですが、ぜひ男性にも読んで欲しいですね。受賞作品展もぜひ楽しんでいってください!

第19回文化庁メディア芸術祭
マンガ部門大賞『かくかくし かじか』 東村 アキコ
(C)Akiko HIGASHIMURA/SHUEISHA
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