【神田須田町発】営業畑を歩み続けた後、事業再編やM&Aにより経営者としての仕事を託され、親会社の経営破綻をきっかけにMBOを行い自らオーナー経営者となった砂長さん。ふつうのサラリーマンがあまり経験することのない濃密で波乱に富んだキャリアだが、一貫しているのは「メーカーとしてどうあるべきか」を考え続けてきたことだ。
それが窮地からの脱出につながり、新たなビジネスモデルの構築に発展する。頑迷でなく柔軟に、しかし筋の通った考えを持ち続けることの大切さを再確認した。
(本紙主幹・奥田喜久男)

●BtoBビジネスへの転換により
社業の立て直しに成功
 砂長さんは、いったん海外資本の手に渡り、破綻企業の子会社となったオンキヨーデジタルソリューションズ(現オーディーエス)を買い戻して再生を図られたわけですが、ビジネスの立て直しということでは、どのような施策をとられたのですか。
 かつてのように、家電量販店にPCを置いてもらうBtoCのビジネスでは立ち行かないため、同じPC関連でも、BtoBのビジネスモデルに切り替えました。
 BtoBというと、具体的にはどのようなビジネスを展開されたのですか。
 自社開発のタブレットPCを、業務用に使っていただくビジネスです。
たとえば、居酒屋、回転寿司店、ファミリーレストランなどのオーダー端末や、ホテル、家電量販店、携帯電話ショップなどの従業員が持つ接客用タブレット、それに塾の教室で生徒が使う学習用のタブレットなどを、カスタマイズしたシステムとともに供給しています。
 また、エンターテインメント施設向けの業務用オーディオシステムも提供しています。業務用オーディオは、2018年に全株式を取得したオンキヨーマーケティングが製造しており、タブレット端末に加えて、より幅広いサービスの提供が可能になりました。
 タブレットは、自社でつくられているのですか。
 開発・設計は社内で行い、製造のみ中国企業に委託しています。当社はメーカーという立ち位置にあるため黒子的ですが、システムの構築は、東芝テックや日本ユニシスといった大手ICT企業の力をお借りして、お客様にトータルなサービスを提供する形をとっています。

 なるほど、砂長さんは「メーカーであること」を大切にされておられるように感じますが、ご自身の考えるメーカーの定義とかあるべき姿というものはありますか。
 いま展開している事業のように、単にモノをつくって提供するだけでなく、お客様にソリューションを提供するということが、これからのメーカーが生き残っていく上で大切な要素になると思いますね。それから当社の場合は、国内メーカーとして、お客様からの信頼を得ることも大事にしています。
 国内メーカーとして、ですか。
 かつて私が社長を務め、ソーテックのPC生産工場だった鳥取オンキヨーは、ODSコミュニケーションサービスとして当社の100%子会社になっていますが、そうした意味でとても大きな役割を果たしています。
 現在、同社のコールセンターは120席あり、サポート業務を一手に引き受けているのです。
また、中国で生産されたタブレットはいったん鳥取の同社に着荷し、そこで検査を行った後に出荷されます。そして、出荷後の修理・サポートも鳥取で行われます。つまり、国内で一連のサービスをすべて提供することが可能であり、それが信頼感につながっているわけです。
●他社を巻き込みソリューションを
提案するのがメーカーとしての役割
 ところでちょっと答えにくい質問かもしれませんが、ご出身のオンキヨーをはじめとする老舗オーディオメーカーはみな厳しい経営状況にあります。その点を砂長さんはどうとらえていますか。
 「音にこだわる」といったオーディオメーカーの性(さが)から、なかなか抜け出せないということがあるのだと思います。
もちろん、高い品質を追求することはメーカーにとって重要なことですが、マーケットやユーザーの価値観が変わっているのに、自らの価値観を変えることを躊躇したことが、現在の状況につながっているように思えます。
 それは、たとえばどんな?
 グーグルやアマゾンなどが展開するAIスピーカーはまさに時流に乗ったヒット製品だと思いますが、換言すればこれはユーザーの新しい価値観をつかんだものといえるでしょう。つまり、GAFAには、先ほどお話ししたようなユーザーに対するソリューションの提供ができているということです。
 もちろん、オーディオ市場全体のシュリンクやアナログからデジタルへという大きな状況の変化はあるものの、既存のオーディオメーカーは、そこで舵をうまく切れなかった部分があったのではないでしょうか。
 今後の事業展開は、どのような方向を目指されるのですか。
 私は、自社製品だけでお客様に豊かさや利便性をもたらすことには限界があると思っています。
そのため、他社を巻き込みながら自分たちが主体となって提案することが大きなビジネスにつながると考えており、LG、BenQ、ViewSonicなど海外の有力メーカー、そしてソフトウェア開発各社と提携した形で、さまざまなソリューションを提供していきます。
 オーディーエスが全体の核となって、ビジネスをつくっていくということですね。
 そして、これまでは飲食業界やエンターテインメント業界向けのサービスが主軸となっていましたが、この分野を拡充・伸長させるとともに、今回のコロナ禍をも見据え、教育、医療、産業用などに向けたサービスを新たに開発していきたいと思っています。政府の推進するGIGAスクール構想向けサービスや医療・介護施設向けサービス、高齢者向けサービスなどが主なところですが、単なるメーカーのエゴで製品開発をするのではなく、世の中のニーズをとらえて、そこに付加価値をつけていくことが肝要だと考えています。
 海外展開についてはどうですか。
 中国の潜在的なパワーを使い、深圳で製造した製品を日本にある当社で品質管理を行い、メイド・イン・ジャパンとしてグローバルに展開するという構想もあります。

 これは、おそらく私たちのようなフレキシブルに動ける中小のメーカーにしかできないことであり、そうすることが日本の製造業の価値を上げることにつながると信じています。
 日本の製造業の地盤沈下が言われて久しいですが、それは心強いですね。
 私にとってメーカーの新しい形をつくっていくことが、残された人生のテーマだと思っているんです。
 今後の砂長さんの事業展開を楽しみにしております。
●こぼれ話
 “オンキヨー”という言葉を何度聞いただろうか。およそ90分のインタビューの間に砂長潔さんは、何度もこの言葉を口にされた。社会人の人生を語る時、今から明日に向けての事業計画を語るとき、あらゆる場面でオンキヨーが登場した。
 「こんにちは」と、いつもの調子で訪問先であるオーディーエスの受付を訪ねた。どうも私を待っていたかのような人がいる。微笑みながら「お久しぶりです。砂長です。オンキヨーの……」と。それでも思い出せないのだ。取り繕いながら会議室に入る。
 机の上に、BCN AWARDで撮った記念写真があった。「ああ、あのとき、エイデンの岡嶋さんからトロフィーを受け取られた砂長さん」。この瞬間にお互いの関係性が成立して、インタビューにスイッチが入った。70年代から80年代家電業界はうなぎ上りに成長した時代である。面白い家電機器が続々生まれ、業界も一般の人たちもワクワクしていた。そんな環境に砂長さんはアルバイトの身分で飛び込まれた。大学を中退してでも家電業界に入るというほどの魅力を私も共有できる。私は電波新聞社の編集記者として、コンピューター業界を担当しながら、横目で家電業界の爆発的な躍進ぶりを見ていた。当時、家電担当の記者を羨ましく思っていたことを記憶している。
 音響機器メーカーも威勢がよかった。ところが70年代の半導体、80年代のソフトウェア、90年代のインターネットの誕生と、さらなる技術進歩によって、機器と生活の融合に新しいデジタルの時代が生まれた。IoT、AI、DXといった言葉は国会討論でも普通に使われ始めている。ようやく日本にデジタル時代が到来したことを実感する。「ライフとデジタルの融合」である。砂長さんは今、ハード開発、ソフト開発、納入設置、サポート体制を固め、ニッチな業務市場に向けて営業活動に入った。サポート、納入設置といった顧客接点からの事業設計に砂長さんの知恵をみた。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。