元ヤクザでクリスチャン、今建設現場の「墨出し職人」さかはらじんが描く懲役合計21年2カ月の《生き直し》人生録。カタギに戻り10年あまり、罪の代償としての罰を受けてもなお、世間の差別・辛酸ももちろん舐め、信仰で回心した思いを最新刊著作『塀の中はワンダーランド』で著しました

実刑2年2カ月!
 いよいよ、じんさん、帯広刑務所からシャバに出ます。
 そんな直前の今日はちょっぴりキュンとくる人の「良心」のお話です。



■塀の中のジーザス・クライスト

【帯広刑務所編・最終回】塀の中のジーザス・クライスト《さかは...の画像はこちら >>



 刑務所というところは、満期3カ月前になると、大方の懲役は「甘シャリ」を自主的に他の者にあ げて、食べなくなる。シャバが近い者がそうするのは、塀の中の慣わしなのだ。もちろん、ボクもそ うして、部屋の老囚二人に交互に甘シャリをあげていた。



 あるとき、工場で、ボクが部屋の松本老人(66歳)から「シャリ上げ(食い物を脅して取り上げる)」をしているという、おかしな噂が広がっていることを、八王子のFという関西弁を使う不良が 教えてくれた。



「ほら、部屋の松本さん、おりますやろ。その甘シャリを、サカハラさん、シャリ上げしているっていう噂が広まってますねん。ほんまでっか?」



 驚いたボクは、さっそく兄弟が残していった舎弟たち三人を集めると、その話の出どころの究明に 乗り出した。果たして、犯人はすぐに見つかった。部屋のもう一人の老人で68歳になる町井、通称 「マッチ」だった。



 なぜ、そんな嘘を言いふらしたのか。

還房後、点検が終わって飯をすませ、仮就寝の寛ぎの時間に なったとき、ボクは、〈出所前の人間が年寄りからシャリ上げをしている〉と工場中に噂が広まった 件で、マッチを問い詰めた。



「マッチ、何でオレが松本さんの甘シャリをシャリ上げしているという嘘を、『松本さんから聞い た』と周りに言ったんだ。松本さんは一言もそんなことは言ってないぞ。オレや松本さんに何のみが あるんだ。正直に話してみろ」



 松本老人は、身体の悪い母親がクリスチャンで、その母親に付き添って日曜日の教会の礼拝へ行く ようになってからは、自分も信仰を持つようになり、洗礼を受けたというような人で、温和な人柄の人だった。



 マッチはというと、鳥取刑務所に収監されている双子の兄弟の兄とドロボー一筋に生きてきた人間 である。

今川焼きのように扁平な顔に張りついている細い目をなおさら細くして、ドロボーで貯めた 800万ほどの資金があるから、今度は足を洗って帯広に住みつき、駅前で一杯飲み屋の屋台を出すんだと言っていた。そんな老人だったが、身体はしっかりしていて元気がよかった。



 するとマッチは、胸のポケットに入れているチリ紙を取り出すと、今にも垂れ落ちそうになっている鼻水をしきりに拭きながら、



 「オレ、何にも言ってないよ。松本さんが嘘をついているんだよ」
 と、平気な顔をして言った。



 しかし、人間、目だけは嘘がつけないようになっている。マッチの、そのズル賢い目の動きは、嘘 をついている人間特有の落ち着きのないものだった。

同時に、ドロボー人生を長らく歩んで来た、卑しい目をしていた。
 ボクはマッチに本当のことを話すように、何度か諭したが、マッチは頑迷だった。



■もう赦してやってくれませんか

 すると今度は、松本老人が話し始めた。
 「町井さんがそこまで嘘をついていないと言うなら、私が嘘をついていることになります。私一人が責任を取ってこの部屋から出て行けば丸く収まると思うので、私が出て行きます。ですから、サカ ハラさん、もう町井さんを赦してやってくれませんか」



 この松本老人は人を責めることをせず、自分が責任を負おうとしている。

それだけでなく、自分を 陥れた者を赦そうとしているのだ。



 同じ塀の中にいる者同士であっても、こんなに清い心を持った人がいることに、ボクは心打たれた 。正に獄衣を着た、塀の中のジーザス・クライストだった。



「マッチ、松本さん、責任を取って上がると言っているけど、それでもいいのか?」



 マッチは黙っていた。そんなマッチに対してボクは言いしれない怒りが込み上げてきて、
「この野郎ォ! 正直に言いやがれ! 松本さんはテメエの罪を背負って、なおかつテメエを赦そ うとしてるんじゃねえのか! テメエはそういう人の心に、何も感じねえのかァ! この大バカ野郎 !」



 そう怒鳴りつけると、ボクは股に挟んでいた自分の枕を掴み、マッチ目がけてブン投げた。枕は勢い余ってマッチの顔の横をかすめて飛んでいった。



 その途端、今川焼きにも似た大きなマッチの顔がクシャクシャに崩れたかと思うと、急に「ワーッ 」と泣き伏した。



「サカハラさんが松本さんばかり可愛がってコーヒープリンとかお汁粉とか、松本さんばかりにあげるから、焼き餅を焼いたんだァ、羨(うらや)ましかったんだァ。オレが悪かったよォ~」



 腹の底から絞(しぼ)り出すような、見るも哀れな声を出し、涙を畳にポトポト落としている。
 ボクは呆れながらも、分別のある70歳近い老人が修羅を燃やして見境がなくなったことにショッ クを受けた。



 結局、この件で人に迷惑をかけて騒がせたマッチが、次の日に工場から「ケジメをつけて上がります」という話で収まったのだったが、翌日、工場へ出役して行っても、マッチはシカトを決め込んで 上がろうとしなかった。



 かといって、ボクはこの問題を看過するわけにはいかない。機械場で作業をしている出射の舎弟に なった正晴を班長に言って呼びつけると、チロリン村で作業をしているマッチのところへ行かせて、「責任を取って上がれ」と言わせた。



 ところが、性根の腐っているマッチは、ボクがあと何日かで上 がっていくことをズル賢く計算していて、台風が通り過ぎていくのを待ってり過ごそうとしている。
 ボクはとうとう堪忍袋の緒が切れてしまい、チロリン村の部屋に入って行くと、「マッチ。男らしく責任を取れ!」シカトしているマッチの背後から怒鳴りつけた。



 すると途端に役席を立ったマッチは走ってチロリン村の部屋から出ると、そのまま担当台まですっ 飛んで行き、部長に何か言ったかと思うと、大きな今川焼きに似た顔をボクの方へ向けて指差した。



 たぶん、ボクに無理やり上がれと強要されたとでも言ったのだろう。
 マッチが連れていかれ、しばらくするとボクも、現れた警備隊員に連れていかれた。この日は12月28日、暮れも押し迫った雪がちらつく寒い日だった。



 取調室で区長がボクの話を聞き、すぐに松本老人の事実確認を取ると、ほどなくしてボクは区長の計らいで、刑務所の中では一番過ごし易く、綺麗で、広く、暖かい医務課の独居へ入れられた。



 ボクは区長の言った、「松本は取り調べしてないから安心しろ」という言葉に安堵して、逆に読書 三昧の楽しい正月を過ごさせてもらった。これは明らかに区長からボクへのささやかな仮釈放代わり のプレゼントだった。



 こうやってボクは、2回(5年4カ月)にわたる「帯広刑務所生活の旅」を終えたのだった。







(『ヤクザとキリスト~塀の中はワンダーランド~つづく)