日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。

 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️
 今日はみなさんとともに福岡県の「地名」の旅です。■「福岡」と「博多」の軋轢

修験の場でもあった英彦山。中腹には英彦山神宮奉幣殿、山頂には上津宮がある。" />



《福岡県の由来》「福岡」の由来は「岡山」にあり

 慶長5年(1600年)に筑前国の領主となった黒田長政は、現在の福岡市中央区に新たな城を築く。そして、完成した城には、黒田家にゆかりのある備前福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)から名前をとって「福岡城」と名づけた。



 ただ歴史的には博多の地名の方が古く、呼称に関して様々な論争が起きた。

「博多」の名称は、「博多大津」として『続日本記』に登場しており、鳥が羽を伸ばしたような地形である「羽形」、あるいは「泊潟」が由来など諸説ある。



《地名の由来》◉英彦山(ひこさん)天照大神の子が御祭神

 山形の羽黒山、和歌山の熊野大峰山とともに日本三大修験山のひとつ。当地に鎮座する英彦山神宮は、天照大神の御子の天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が御祭神であることから「日の子」、すなわち「日子山」と呼ばれた。



 その後、嵯峨天皇の詔で「日子」を「彦」と改め、霊元法皇の院宣で「英」の一字が加えられた。



◉水城(みずき)敵を食い止める土塁

 天智2年(663年)、白村江の戦いに敗れた倭国は、唐や新羅の侵攻を危惧し、各所に国防施設を構築した。



 そのひとつが、博多湾から侵入する敵を大宰府の手前で防ぐために築かれた巨大な土塁「水城」で、これが地名の由来。





◉門司(もじ)古代より残る海の関所

 「門司」とは「門を司る」、つまり関所のことで、古来、海上を往来する船をチェックする機能を果たしていた。



 文献上の初見は、延暦15年(796年)の太政官符にある「豊前門司」で、「文字」「文司」「毛字」などとも記された。





◉夜明(よあけ)開拓に起源がある地名



 『和名類聚抄』には「夜開郷(やけごう)」とあり、江戸時代以降「夜明村(よあけむら)」として存在。



 その由来は、開拓者のために公的な施設を供給したという意味合いの「 屋処(やか)」にあったと推測される。



(『2020年一個人5月号』より構成)