世界のどこかに咲く植物を、あなたの隣に。



ここではないどこかに行きたい。

自分ではない誰かになりたい。



憧れや夢という非現実を見ることは、不思議と現実を強く生きる力を与えてくれるものです。



旅で出会った植物と人間の叡智をお届けします。



「植物採集の七日間」連載第5回は「訪れたい場所は私がつくる。人生は試行錯誤」。植物採集家の感性と行動の旅路を追います。





https://www.youtube.com/watch?v=JbftivMtZqA





第5回 訪れたい場所は自分で作る 人生は試行錯誤- Plants enrich your life‒ 



■物事は好転する時が最も辛い 冬の終わり、春の手前 







 3月の始まりは太陽の動きに合わせて季節を区分した「二十四節気」でいう、啓蟄(けいちつ)にあたる。桜の花開く季節、春分(しゅんぶん)の一つ手前にあたり、暖かな日が増え、冬が終わりゆく時。「二十四節気」では、2月の上旬に立春(りっしゅん)から一年がスタートするが、立春、雨水(うすい)の後、3番目にあたる啓蟄の今は春を待ちわびる時期。気温と気圧の変化がジェットコースターのように激しく、人々の自律神経も乱れやすい。私には、頭痛や目眩に悩まされる日々が訪れるのだ。





 一年の中では、梅雨や冬の期間にも気圧の変化の多い時期はある。

春の手前、啓蟄が最も厄介なのは、「世の中が物事の始まりや、楽しい予感に溢れてくる」からだ。不調や不安を感じている人も、ネガティブなことを言い出しにくい空気がある。



 周りの人間だけではない。庭の植物を見ても、自分だけが置いていかれる気分になる。冬の間じっとしている草木も、啓蟄からは目に見えて新芽が出て、蕾も膨らみはじめ、変化は大きい。「ちょっと待って、春が来ちゃう」と、喜びよりも焦りを感じるのではないだろうか。



 三寒四温が繰り返される時期は、春の訪れを期待した分だけ、寒の戻りに落ち込みは大きい。逆戻りするという揺さぶりが辛い人は、実際とても多いようだ。体にとっても、心にとっても。





■季節の変化と転地療法 







 私たちが病院などで受ける医療は主に投薬などを行う、西洋医学と呼ぶ。西洋医学を補う、または代替するものを補完代替医療といい、漢方、鍼灸、クレイセラピー、植物療法、温泉療法などが該当する。補完代替医療の専門家たちは啓蟄の時期に注意を促す。

「どうか無理をしないように」「全部気圧のせいにして無理はやめましょう」と。季節の変わり目、特に春の始まりは、行き場のない不安定なエネルギーが至るところに渦巻いているようで患者数も多くなるそうだ。



 転地療法も補完代替医療の一つで、治療方法が不明な難病、克服困難な病気を患った場合に、住む場所を変えて緩和ケアをするのが始まりだった。現代では中長期的な旅行や、1日限りのハイキングでも効果があるという研究結果もあり、転地療法は広義に捉えられている。私は気候の変化を大きく受けやすいため、3月はいつも補転地療法を活用していた。













■人生の冬からは逃げ出せない 季節は早送りできない



 春の手前、啓蟄の転地療法と称した逃避行。

2年前は念願の新居に引っ越したばかりなのに、2週間も中央ヨーロッパの植物採集へ旅に出ている。初めてチェコ、オーストリア、ハンガリー訪問。植物、建築やアートに触れて学びは十分、全てが自由な時間だった。街並みは美しく、オーストリア最古の薬局に行ったり、近代アートやクリムトを見たり。



 充実したスケジュールなのに、モヤモヤした気持ちは一向に消えなかった。世界のどこかで特別な何かを見つけたい。

とっておきの時間を過ごしたい。一つでも多く学びたい。欲張りな気持ちが強くなり、オーストリアの植物採集は日が経つにつれて気持ちが重くなっていった。





 場所を変えることは気持ちを切り替える効果があるはず。けれども、逃げ続けているような罪悪感が溢れてきた。挑戦や変化を選んだように見せかけて、現実逃避をしている時に起こる現象だ。









■本当に価値のあるものは、待つことで訪れる

 



 追い詰められた気持ちの中、ヘンゼルという女性に出会う。ウィーン市内にある彼女のお店henzls ernteは、野生のハーブで溢れていた。「この植物はここで取れたのよ」「今回のジャムは大成功だから食べてみて!」 片言の英語とジェスチャーで、嬉しそうに真剣に伝えてくれる。



 野草を食べたり、探したりするのはオーストリアでは一般的なのかと尋ねたら、笑いながら首を横にふった。「私のやっていることは、多くに人には理解されないわね」と。



 彼女の諦めと覚悟にハッとする。3月から11月は野草採集のシーズン。これから彼女は毎週Wild plants(野草)を採集しに行く。私たちが出会った啓蟄のタイミングは収穫がスタートする、彼女にとって最高の時である。冬には冬の仕込みがあり、時には理解されないことをやり過ごす忍耐が必要。忍耐を示す相手は、人間相手の場合もあるし、時間や自然が相手の場合もあるのだ。









 自分の心が冬のままでは、世界のどこに行っても「人生の季節」は冬のまま。準備のない畑に実りはない。だから粛々と、淡々と、手入れをしていく。覚悟を決めて植物のことを学び、丁寧に仕事をしていくことを改めて誓った。転地療法としての旅は日常を生きるためのカンフル剤。自分の逃げを改めて気付かせてくれたオーストリアの植物採集だった。





 誰かにとっての大切な日常。その中に潜む植物の力を発見し、デザインして、伝えていく。受けた仕事に一つでも多く自分にしかできないことをプラスする。どんなプロジェクトにも、植物がもたらす魔法をこっそり、少しずつ仕込んでいく日々がはじまった。











■植物のように育てていく、訪れたい場所 



 気がつけば独立して5年。プロジェクトごとに喜んでもらえる機会は増えても、徐々に焦りは募っていった。私の訪れたい場所は、いつになったら形になるのか。そんなことは実現可能なのか。世界中の建築や植物園、ギャラリーを回ったが、日本で実現できるのだろうか。





 大きなヒントは、生まれた場所からすぐ近くに存在していた。実家から車で15分。母が面白い場所があるからと誘ってくれたギャラリー noir/NOKTAは、世界遺産である韮山反射炉のすぐ近くに。初めて訪れた時にオーナーの平井さんに声をかけ、話を聞かせてもらった。30歳を超えて建築デザインを独学で学んだこと。40歳を過ぎてから、実家をカフェにし、目の前の材木所をギャラリーとして増築したこと。一気に全てができたわけではなく、少しずつ育てていったこと。



 私も、誰かが丁寧にこの場所を作ってきたのだとわかる、そんな場所を作りたいと思った。外壁には青々としたツル科の植物が生い茂り、長い期間この場所が愛されてきたことが窺える。noirとNOKTAと呼ばれる2つのギャラリーはそれぞれの過去の用途、住宅と倉庫だった歴史をほのかに感じさせ、展示する作家のアトリエにお邪魔したかのような気持ちにしてくれる。









 訪れたい場所を作るためには、訪れたい場所を作る「空気」が必要だ。空間デザインはもちろん、植栽計画や音に香り、何より人が重要である。急ぐことや、焦ることでダメになってしまうこともある。



 建築家である平井さんは、建築以外にも経験を積んで、仲間を増やして、人生とギャラリーを育てていった。「好きなことを、どうぞ続けてください。自分が楽しくないと続けていけないからね」



 自分が覚悟を決めれば、どこででも、どんな形でも実現可能だと教えてくれた。たとえ時間はかかっても。





 ここではないどこか、私ではない何者かになりたい気持ちは生きる勇気をくれる。それでも逃げられない自分の人生。星に願いを託すのではなく、自らの手で耕して行こう。











古長谷莉花  植物採集家 



1986年静岡生まれ。幼少期よりガーデニング好きの母の影響で生け花・フラワーアレンジメントなどを通し、植物と触れ合って育つ。様々な視点で植物を捉え、企業やクリエイターと植物の可能性を広げる試みを行っています。





撮影協力



ギャラリー noir/NOKTAオーナー:建築家 平井英治





毎週月曜配信、植物採集家の七日間。



次回は植物採集の旅最終回、静岡編第六回。



「鍵は過去にある。知恵と植物が開く未来。」