なぜ人を傷つけてはいけないのかがわからない少年。自傷行為がやめられない少年。

いつも流し台の狭い縁に“止まっている”おじさん。50年以上入院しているおじさん。「うるさいから」と薬を投与されて眠る青年。泥のようなコーヒー。監視される中で浴びるシャワー。葛藤する看護師。向き合ってくれた主治医。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた牧師がありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月を綴った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)が話題の著者・沼田和也氏。コロナ禍で倒産・廃業・リストラにあえぐ人たちへかけられる言葉とはなにか? 希望よりもむしろ聖書のなかの絶望の言葉かもしれないと沼田氏が語る真意とは。







 先日、月一度の病院の帰り、いつも立ち寄るお蕎麦屋さんへ行った。格別高級とか伝統の味とか、そういう特別な店ではない。

一杯500円前後くらいの、昼間はビジネスパーソンでにぎわうチェーン店である。のれんをくぐれば何人かのスタッフがいっせいに「いらっしゃい!」と声をかけてくれる。席につくと、有線放送の演歌が流れてくるのが聴こえる。演歌を聴きながらそばを啜っていると、自分も大人社会のなかで働いているんだなあと、子どもじみた感慨を抱くのだった。



 店の前に、わたしは立ち尽くした。お蕎麦屋さんはラーメン屋さんになっていた。値段もちょっと高めの設定。お蕎麦屋さん、そんなに廃れていたっけ? いやいや、そんなはずはない。数か月前に行ったときにも、ビジネスパーソンでにぎわっていたではないか。月一度の通院のたび必ず寄っていたのだが、ここ二か月ほど、ちょっと他の店に浮気をしているあいだに、まさか閉店してしまうとは。いったいなにがあったのか。笑顔で「いらっしゃい!」と迎えてくれていた店員さんたちは、どこに消えたのか。

彼ら彼女らの当たり前の生活は、どうなったのか。



 コロナ禍のなか、閉店する飲食店が相次いでいるとはニュースで聞いて知っていた。店を閉じた当事者の方々には申し訳ないが、どこか他人事であると感じていた。だが、通院のルーティンにしていた、生活の一部のようなお蕎麦屋さんが消失した(まさに「消えた」という体感)のを目の当たりにしたとき、わたしは「これがコロナ禍か」と痛感したのである。この実感が次に押し寄せたのは、妻がコロナに感染したときのことであった。そのことについては、また次の機会に書くことにする。



 経営者が店を閉じたり、従業員を解雇したりする。そこには人数という数字ではなく、人間がいる。一人ひとり、人生を生きてきた、固有の顔と名前とをもつ人間がいるのだ。さらに、ラーメン屋さんとなった場所の隣は、コンクリート剥き出しのがらんどうになっていた。ここにはかつて、やはり繁盛していたカレー店があったはずだ。冷たいコンクリートの壁を見つめながら、わたしは幼稚園の理事長兼園長をしてきた日々のことを想い出していた。

今までの任地には、教会の関連施設として、キリスト教系の幼稚園があった。わたしは教会の牧師と同時に、それらの責任者も務めていたのである。



 わたしは牧師である。牧師というのは、礼拝で聖書を読み、信仰にまつわる話をし、祈るのが仕事である。それと不可分に、悩み苦しむ人々の話に耳を傾け、適切なタイミングで慰めの言葉をかけることも必要とされる。だが幼稚園の経営責任者としての園長は、事情がまったく異なる。わたしは園長として、職員の「首を切った」ことがある。その人にも生活があると分かっていながら、である。職員室に該当者を呼び出し「申し訳ないが、辞めて頂きたいんです」と、最初の一言を発するまでのしんどさ。発したあとの相手の、ぽかんとした顔。その人の家族は熱心な教会員でもあった。家族はわたしを憎んだ。

いつも笑顔でわたしに挨拶してくれたその人は、二度と教会に姿を現わさなくなった。誰かを解雇するということは、ときにその人、あるいはその家族からの、憎しみを背負うということでもある。



 理事長あるいは園長がなにもかも一人で決断するわけでは、もちろんない。そこに至るまでの理事会の話しあいがある。とはいえ申し渡しをするのは園長、つまりこのわたしであった。解雇のエピソードは究極の事例であるが、その他にも、職員たちに「経営が苦しいので、減給しなければなりません」と告げたこともある。やはりそのご家族からは「牧師を辞めて、ここから出ていきなさい」と激しく抗議されたものである。



 





 コロナ禍にあって、自営業の経営者たちは断腸の想いに迫られていると思われる。それまで和気あいあいと仕事をしてきた。しかし経営縮小を、場合によっては廃業を余儀なくされている。事業を存続させるにしても、いや、させるためにこそ、このメンバーのうちの誰かに、自主退職を志願してもらわねばならない。志願者がいない場合、経営者が選ばなければならない。

ベテランを残すのか。未来ある新人を残すのか。どんな基準を設けるにせよ、その基準を満たさない誰かを、はじかなければならないのだ。和気あいあいと働いていた人は、あるいは事情を呑み込んでくれるかもしれない。「社長もたいへんですね」と辞めてくれるかもしれない。だが、あれほど慕ってくれていた経営者を睨みつけながら、あるいは絶望に俯きながら、その人は会社を去っていくかもしれない。



 10年ほど前、わたしは牧師として赴任する任地のない、無任所教師と呼ばれる立場にあった。要するに無職である。借家の家賃でどんどん貯金が消えていく。真夏なのにエアコンもつけず(つけられず)、病身の妻とわたしは共に床に横たわり、このまま熱中症で死んでしまうのだろうかと不安のなかにあった。任地が与えられたときにすぐ動けるよう、辞めにくいアルバイトを控えていたのだが、そうも言ってはいられなくなり、わたしは郵便局で配達のアルバイトを始めた。



 神学生だった20年以上昔にも別の郵便局で働いたことがあったので、それほど不安はなかった。

だが郵政民営化とAmazonの時代を経た郵便局は、過酷きわまりない職場と化していた。時間指定の配達物が膨大にあり、コース通りに配達することなど不可能だった。時間指定に1分でも遅れれば、客は猛然と怒った。「局長を呼べ!お前をクビにさせる!」怒鳴り散らす客を前に、わたしは郵便局に電話する。すると「あほか!お前がなんとかしろ」と電話は切られる。そしてわたしは屈辱に震えながら、客の前に土下座して謝るのである。



  そんなある日わたしは電車の駅で、中年の女性にぶつかられた。ぶつかられたといっても、なんでもない程度のことである。だがわたしは猛然と怒り、「死ね!ばかやろう!」と、その女性に大声をあげた。そばに妻がいなかったら、わたしは警察沙汰を起こしていたかもしれない。怒りが冷めてみると、あまりにも自分が情けなく悲しかった。毎日上司から怒鳴られ、客からは罵られ、自分を無能だと思い、そのやりばのないはけ口を、キレてもやり返されなさそうな、自分より立場の弱そうな相手に暴力として向ける。どんな言い訳も赦されない行為であった。わたしは想いだしていた。わたしにクビにされ、わたしを憎んだ幼稚園の職員やその家族のことを。わたしは自分の任地が見つからない、自分を必要としていないキリスト教世界を憎んでいた。



 





 わたしはこういうやりきれない記憶を、今、コロナで苦しんでいる人々に投影してしまうのである。聖書のなかにある、きわめてネガティヴな言葉に、当時わたしは慰めを見いだしていた。





「わたしは虫けら、とても人とはいえない。 人間の屑、民の恥。 わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い 唇を突き出し、頭を振る。 『主に頼んで救ってもらうがよい。 主が愛しておられるなら 助けてくださるだろう。』」 詩編 22:7~9 新共同訳



 



 詩編は一つひとつの詩が成立した背景が不明であることが多い。だからかえって自分の状況に重ねやすい。自分などクズだ。虫以下じゃないか。なんの尊厳もありゃしない。そういうきわめてネガティヴな言葉を、わたしに代わって数千年昔の誰かが、すでにツイートしてくれていたのだ。大昔の誰かが、わたしの肩をポンと叩く。「あんたもか。わたしもだよ」。こういうとき、どんな前向きな言葉よりも、絶望的な聖書の言葉が、わたしを慰めるのである。数年前に『JOKER』というあまりにも絶望的な映画が流行した。絶望的だからこそ、希望よりも深い慰めが与えられるのだろう。



 コロナ禍にあって、わたしは宗教者として希望を語るべきなのかもしれない。おそらくそれが牧師としての本分なのだろう。だが、語れない。語ることができないのである。あのお蕎麦屋さんの活気あふれる店員さんたちは、どこへ行った。あの人たちの笑顔は、元気は、どこへ行った。





 文:沼田和也(小さな教会の牧師)



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