昨年暮れに始まり、今も騒ぎがおさまっていない松本人志のスキャンダル。発端は「週刊文春電子版」が配信した「呼び出された複数の女性が告発 ダウンタウン・松本人志(60)と恐怖の一夜『俺の子供産めや!』」という記事だ。



 その後も続いた報道に対し、松本は反発。SNSでは、



「いつ辞めても良いと思ってたんやけど…やる気が出てきたなぁ~」「事実無根なので闘いまーす」



 などと発言して、数億円単位の損害賠償などを求める訴訟を起こした。その裁判に注力するとして、現在は芸能活動を休止中。お笑い好きのあいだでは「松ちゃんロス」も生じつつある。



 とはいえ、真相はよくわからないし、裁判にまで発展した以上、あとは当事者たちで決着させればよいだけのこと。いわゆる「文春砲」は芸能にとって百害あって一利なしなので、松本には頑張ってほしいが、筆者の応援だけでどうにかなるものでもない。



 ただ、ここで注目したいのは「俺の子供産めや!」という発言をめぐる世間の反応だ。とりあえず、ネガティブにとらえた人が多いようで、そのことについてちょっと考えてみたい。もちろん、その発言自体が虚偽な可能性もあるが、もし事実だとしたらという話である。



 たとえば、筆者の妻はこの発言を知った際「究極の愛情表現だと思った」と言う。その後、報道内容を聞きかじったものの、それでも「この言葉自体は素晴らしい」と言い続けている。恋愛も性交も種の存続のためにあるのだから、こういう言葉で男が女を口説くのは自然で健全なことだというわけだ。



 妻はパワハラやセクハラについても「みんな、威張ったりエッチなことをしたくて頑張ってるのにね」と同情する。たしかに、このままでは政治家や芸人のような職業は成り手がいなくなるかもしれない。



 愛人を作ったり、女遊びをしたりするのも、成功した証し。法に反していなければ、メディアや世間に文句を言われる筋合いはない。松本には妻子がいるが、子供ができたら婚外子として認知すればよいし、彼なら十分に養えるだろう。



 なお「文春」の続報では、彼は別の女性にこんな発言をしたとされる。





「最近は俺、図書館にいる司書さんみたいな人と付き合いたいんねん。君みたいな真面目な子に俺の子供を産んでほしいねん」



 例によって、虚偽である可能性もあるが、この言葉自体は悪くない。男は本来、さまざまなタイプとの子供を残したいはずなので、自然かつ健全な願望といえる。



 もちろん、人間は社会性とやらを持ってしまったため、一夫一妻制などを作り、社会の安定を保つべく、こうした本能を抑制してきた。が、それが行き過ぎたことにより、少子化などという種の存続をおびやかすような問題が起きている、ということはちゃんと認識され、共有されたほうがよいのではないか。



 そういえば昔、モーニング娘。

で当てた頃のつんく♂が「全都道府県に恋人がいるのが理想だ」という趣旨の発言をしていた。これまた、自然で健全な願望だ。モー娘をはじめとするハロー!プロジェクト系のアイドルには、結婚・出産に積極的な人が多く、それはこんな「つんくイズム」とでもいうものが、その人選や進路選択に反映されてもいるからだろう。



 一方、松本的発言と対極にあるような発言も最近耳にした。大谷翔平が結婚会見で、子供について聞かれたときの、



「もちろんそうなるといいですけどね。自分以外のことは言うと叶わないような気がするのであんまり言いたくないです」



 という回答だ。

対極にあるような、と感じたのはこれが絶賛されていたからで、なかには、相手女性にプレッシャーをかけない優しさを感じるという声もあった。賢くて慎重な大谷らしい言葉選びとはいえ、これが絶賛されて松本のそれが気持ち悪がられるのは、不公平というか、いかにも前出の行き過ぎた本能抑制状況を象徴している。



 叩かれたといえば、数年前の杉田水脈もそうだ。LGBT問題について、



「生産性のあるものと無いものを同列に扱うには無理があります。これも差別ではなく区別」



 と、ブログに書いたことが批判された。





 ここでいう「生産性」とは、子供を産めるかどうかということを指しており、別に間違ってはいない。

また、彼女は基本的人権があれば、性別による特権は不要であり、障害者などへの支援だけで十分だと主張、これも至極真っ当な意見だろう。筆者の妻もおおむね同意できるのに、と首をひねっていた。これもまた、行き過ぎた本能抑制状況の象徴といえる。



 ちなみに、ロート製薬の意識調査「妊活白書」によると、18~29歳の未婚男女400人のうち「将来、子供をほしくない」と回答した割合は今回ついに半数を超えたという。



 ただ、少子化は日本だけの問題ではなく、韓国はもっと深刻だし、欧米の先進国も似たようなものだ。欧米ではそこを移民で補おうとしたため、新生児の名づけ上位に「ムハンマド」のようなイスラム系の名前が登場するようになったらしい。日本はまだそれほどでもないが、埼玉県のクルド人問題のように、地元の日本人との軋轢も生じ始めている。



 そのあたりについて、SNSで興味深い指摘を見つけた。



「ハンガリーの少子化対策ワイドショーとかでたまに評価してるけど、性的少数者にくそ厳しかったり、大学でジェンダー学部を廃止したり、移民どもが来るのいやだろ?ハンガリーの国家と文化のために子供うめよー、みたいな国家主義バリバリのナショナリズムセットメニューであることをわざと無視して報道してたらいみねぇのよね」(もへもへ@gerogeroR)



 なるほど、そういうやり方もあったりするのかと得心したが、日本でそれを真似るのは難しそうだ。ただ難しくても、それをやれば国力は上がる。戦後の急激な人口増加が高度経済成長やバブル経済の原動力となったように、国民の数は国の強みなのだ。



 そんなわけで、少子化対策には子供を産む人、作る人がもっと得をする状況にするのが一番だ。が、それは産まない(産めない)人、作らない(作れない)人が損をする状況でもある。後者にはLGBTのほか、筆者が偏愛する痩せ姫という存在も含まれるかもしれないものの、それでも、あくまで前者が多数派で、そうでない人は少数派という状況にしておかないと、種が存続できなくなる。



 筆者は人間が好きだし、そのなかでも日本人が好きなので、日本人が減っていくのは残念だ。そして自身、現時点で子供をひとりしか持てていない状況を申し訳なく感じていたりもする。ひと組のカップルが2~3人の子供を持つか、産みたい人、作りたい人が複数の相手とそうできることを推奨するくらいでないと、日本人の数は維持できないのである。



 なお、後者であっても、子供を育てることはできたりするし、少子化対策への貢献方法はさまざまだ。しかし、そもそも、自由に稼げて、自由に使えて、自由に生きていけるのが今の日本。産む人、作る人がこのまま減っていくなら仕方ない。





 とはいえ、松本人志の発言(虚偽の可能性もあるが)や杉田水脈の発言が叩かれるのはおかしい。人間も生き物である以上、種の存続こそが第一義であり、そのためにはやはり恋愛や出産なのだ。その前提があったうえで、LGBTや痩せ姫が持つ少数派ならではの魅力や矜持が評価される、というのが理想のバランスだろう。



 あと、松本問題についてはジャニーズ問題同様、一部のメディアと一部の世間が虚偽かもしれない情報によって私刑(あるいは天誅)をするという、最近流行りのエンタメ潰しのひとつと見ることもできる。不倫バッシング全般についても、またしかりだ。



 こうした現象も、前出の行き過ぎた本能抑制状況と地続きなのではないか。それこそ、ジャニーズにしても、長年、女性の疑似恋愛の対象として機能してきた。母娘二代、あるいは祖母から孫の三代でジャニーズアイドルのファンというケースもあり、日本の女の子の通過儀礼ともなってきた存在だ。それがエンタメ潰しという新たな快楽の犠牲にされてしまったのである。



 そんな非生産的な快楽にうつつを抜かす人が増えるより、恋愛や性交、出産といった本能に近い快楽が尊重される世の中であってほしい。相田みつををもじるなら、いきものだもの、の精神で。





文:宝泉薫(作家、芸能評論家)