「まさかオレが!? 脳梗塞に!」ある日突然人生が一変した現役出版局長。衝撃の事態に仕事現場も大混乱。
リハビリで復活するまでの様子だけでなく、共に過ごしたセラピストや介護士たちとの交流、社会が抱える医療制度の問題、著者自身の生い立ちや仕事への関わり方まで。 笑いあり涙ありの怒涛のリハビリ生活を公開していく。
第17回は「電車やバスなど公共交通機関を利用するリハビリは社会復帰への大事なチャレンジ」。50代働き盛りのオッサン必読。
第17回電車やバスなど公共交通機関を利用するリハビリは社会復帰への大事なチャレンジ
◆リハビリ病院は「病院」ではない
■10月26日日曜日
独歩タイムトライアル。
3分13秒。
秋の長雨なのか晴天を久しく見ていない。
リハビリテーション病院に限らず、全国の病院が経営的に厳しい状況になっている。
世間では値上げラッシュとなっているが、診療報酬は国が定めた点数の金額のため勝手に値上げすることができない。
入院患者の食事の材料費高騰や、医療機器の値上がり、さらに大切なスタッフの賃金上昇とコストは増えるばかり。
ところが診療報酬を決める点数の単価は諸々のコストの上昇を補えるほど上がっていない。
ある報道では8割の病院(国立含)が赤字経営だそうだ。
私がこの日記でリハビリテーション病院の存在意義をいくら強調しようと、それ以前に経営的に成り立たない制度が大問題である。
今の40代以下は、これまで私たち(50代以上)が受けられた医療レベルが危ういことに真剣に向き合わないと、将来病院難民となってしまう可能性は大きい。
リハビリのスタートが9時50分と遅く、朝食を終えてからの時間の長いこと。
1日のスケジュールはリハビリがメインとなるため、合間の空き時間の有効活用が悩ましい。
健康なら合間に本を読むことやテレビや動画を観て時間を潰せるだろう。
右手麻痺で紙の本は読みづらく、映像は脳が疲れて15分位が限界。
廊下を歩くのが自主トレにもなるから最適なんだけど、休息日に頑張るのもなんだかなぁ。
以前にも書いた時間のやり過ごし方は本当に頭の痛い問題だ。
人間の身体って不思議なものだ。
昨日はギクシャクとしか歩けなかった足が、今日は滑らかに踏み出せている。
明らかに安定性が向上している。
しかしながら長いこと歩くとギクシャクとなるから、あとは筋肉の持久力だな。
リハビリは装具を装着せずに歩いた。
2階の病棟では廊下を一周(約100m)してタイムを測ると、5分10秒とまずまずの早さ。
杖無しで安定的に滑らかに歩けるようになったら、杖を使ってだともっと速く歩けるのではないだろうか。
外界を安全に歩くための身体に近づいて来ているようだ。
この日記でリハビリテーション病院の存在意義を多くの人に知ってもらいたい。
これまで何度も書いてきた。
今日は私なりに気がついた問題点を挙げていこうと思う。
最大の問題点は、患者側(家族含)が大きな勘違いをしてしまう要因となる「病院」という名称が付いていること。
リハビリテーション病院では基本治療行為はない。
けれど「病院」と付いているから、治してくれる場所と思ってしまう。
総合病院のような病気を治すところと混同してしまうのだ。
リハビリテーション病院へは治療のために入院するのではなく、身体機能を回復させるために入院し集中的に訓練する場所と認識しなくてはならない。
多くの、いやほとんどの入院患者は最初の認識が間違っているから、リハビリに対して受け身なのだろう。
これは病院側の認識にも問題がある。
例えば高齢者の施設(介護や老人ホーム等)で入居している高齢者へのスタッフの接し方。
幼い子どもへ接するような言葉使いなど問題視されている。
介護を要する施設ほどその傾向が強いのではないだろうか。
リハビリテーション病院の疾患別の入院患者の割合から、介護を要する高齢者が多い。
ここでもその様な患者さんへの接し方は、介護士さんやセラピストさんが幼児に接する時とほとんど変わらない。
私は頭の障害がなく、それだけは健常者だ。
だからか、対等な人として接してくださる方々には感謝しているが、認知機能の低い高齢者のように扱われると釈然としない。
そんな接し方をされるのは、高齢者でなくても脳卒中の患者には、そのように対応されても何も感じない人がいるからだろう。
【お世話する人>お世話される人】
この関係性を直さないと入院する人たちの多くは、リハビリテーション病院は治してくれる場所、と思い込んでしまう。
一つの解決案として名称を改めるのはどうだろう。
「リハビリトレーニングセンター」
入院でなく入所。
患者でなく訓練生。
期限が決められ、自分で機能回復の運動や様々な訓練をする場所。
介護士さんやセラピストさんは手助けをしてくれるサポーター。
治してもらうために受け身になるのではなく、自分でトレーニングを行い失われた身体機能を回復又は強化する。
これならリハビリが辛くて当たり前。
脳卒中患者で歩けなくなった人が、入院期限一杯まで居ても回復はほとんどしないで、杖でヨロヨロ歩きがやっと。最終的には車椅子で退院。
こんな人が何人も、それも私より若い人でいたのを実際この目で見てきた。
入院期限一杯に居て、リハビリだけで治してもらえると思っていたのではないかと推測する。
断言する。
絶対に治らない。
私は最初に、
「治りますよ」
と急性期病院でも回復期病院(リハビリテーション病院)でも言われた。
「治してあげますよ」
ではない。
リハビリテーション病院の主治医も、
「リハビリで可能な限り治ります」
としか言わなかった。
言葉が足らないとすれば、
「リハビリ(とご自身の努力)で可能な限り治ります」
と言うことが最初のボタンの掛け違いを防げるのかもしれない。
多くのセラピストさんが悩んでいる。
なんで患者の多くはリハビリに消極的または否定的なのか、と。
私なりの答えは書いたとおりだ。
言葉の持つ力は恐ろしい。
「病院」ではなく「リハビリトレーニングセンター」。
認識を改めていくことが、多くの患者に積極的にリハビリに取り組む決意をもたらすのではないだろうか。
◆正気と狂気が紙一重の入院生活
■10月27日月曜日
独歩タイムトライアル
3分32秒。
ようやく雲り空から晴れ間がさす空模様の朝。
今日最初のリハビリは大浴場で一人での入浴。
不安定な足の力では、滑りやすい風呂場は危険だ。
大浴場は脱衣場が温泉施設のような広さ。
ゆったりした場所でゆっくりと服を脱ぐ。
2階の浴場とは比べ物にならない贅沢な空間。
洗い場と浴槽も温泉施設と同じで、一人一人余裕のスペース。
身体を洗うのも左腕と背中の一部以外は自分で洗うことが出来た。
浴槽へ慎重に歩いていき、湯船に全身を沈めると本当に温泉に入った気分。
日頃から烏の行水だけど、今日だけは久しぶりの解放感を存分に堪能。
充分に満足して脱衣場へ戻り、バスタオルで身体を拭いて服を着たら終了。
退院までこの大浴場で入浴が出来ることになった。
水曜日からは一人で大浴場へ行くことが許されたのだ。
以前に大浴場で入浴をするにはどうすればいいのかを聞いた。
どのフロアの患者さんも大浴場を使えるのは、頭はもちろん身体も不具合が無い人と聞いて諦めていた。
ところが右手が不自由でも、しっかりした足の機能と頭に異常がなければ入れるらしい。
安全第一のセラピストさんは慎重になって大浴場を使わせないのかもしれない。
理学療法士O橋さんは、私のような積極的に身体の機能を回復させようとする人に、とても真摯に向き合ってくれる。
お陰で諦めなくてもよいことが増えた。
不自由なことは頭を使って考えて対処する。
それだけのことだ。
午後の足のリハビリは久しぶりに公道を歩いた。
坂路コースを距離を延ばして歩行。
公道を歩くのは久しぶりで、往復の行程を歩ききって戻った時はかなり疲れてしまった。
ここ数日は雨だったから外へは行けず、2階病棟内を歩いていたが、外を歩くのとは違った。
やはり実践的な歩行訓練は距離は短くても公道を歩かなくては体力がつかない。
明日以降は可能な限り独歩で外へ行くよう、セラピストさんにお願いをする。
私が過ごしている場所。
病室と食堂とラウンジと浴場とリハビリトレーニングルーム。
日常生活と社会生活が地続きのリハビリテーション病院という閉じられた空間。
誰でも入院は非日常。
けれどこの時間が長くなると日常となる。
朝起きて病室で自主トレ。
三度の食事は食堂。
リハビリはトレーニングルームや病室。
リハビリの合間や食前食後にラウンジ。
月曜日水曜日金曜日は入浴で浴場へ。
朝起きてすぐに着替えるのは病院が用意したリハビリ用のウェア。
リハビリが終わったら15時でも16時でも17時でも病院のパジャマに着替える。
毎日同じ格好で同じことの繰り返し。
6月24日に入院してから8月31日まで、メリハリのない生活を送っていた。
9月1日からメリハリをつけた。
オンとオフの切り替えを自分なりに決めて、まずパジャマは寝る前に着替えることにした。
病室とそれ以外の場所を意識的に別の場所と認識を改めた。
10月4日に外泊から戻ると、感覚が健常者の世界になってきた。
周りは認知機能の衰えた高齢者や脳卒中の頭に障害がある少し難のある人ばかり。
せっかく健常者の世界の空気で頭がスッキリしたのに引き戻されそうになる。
退院の日が決まり先々を想定して意識を常に外へ外へと向けて引き戻されるのを防いだ。
独歩自立となり完全に頭は障害のない健常者に戻れた。
周りの老人や身体や頭に障害がある人たちを、ただそこに居るだけの人と思えるようになった。
障害がありお世話をされている人たちの世界には、ひととき立ち寄ってるだけ。
私には私が本来居るべき場所がある。
そこへ戻るために期間限定で閉じられた空間で過ごしているだけなのだ。
正気と狂気の紙一重を日記を書き続けることで越えられるということはない。
右手は多少不自由だけど健常者たちが社会生活を営む社会へと戻る。
身体機能の回復のために、あとしばらくだけ非日常を過ごす。
◆半身不随の身体が歩けるようになるまでに
■10月28日火曜日
独歩タイムトライアル。
3分22秒。
足のリハビリでスタート。
膝と股関節の動きを滑らかにするため、バイシクルで15分ペダルを踏む。
風景は変わらないけど気分はサイクリング。
車椅子で自主トレしていた頃は他の患者さんがペダルを漕いでいる姿を眺めるだけだった。
今は自分の足でペダルを踏み漕いでいる。
発症して一週間は急性期病院のHCU病棟で、動かない身体で周りを眺めるだけだった。
そこから歩く機能を回復し、ここまで来られた。
やれば出来ることを実感している。
5ヶ月近く時間は掛かったけど、半身不随の身体は歩けるようになるまでに回復した。
セラピストさんたちの助言を頼りに自主トレを続け、動かない足の筋肉と体幹を鍛えたから歩けた。
歩くことは社会生活に復帰するのに最重要課題だったから、独歩自立は達成感で満たされた。
二つ目も足のリハビリ。
1時間の枠だから公道を距離を延ばして歩く。
昨日より足取りが軽くなっている。
毎日毎日足の筋肉は確実に強くなっており、まだまだ衰えるということはないようだ。
病院に戻り一休みしてから階段を使って2階へ。
廊下で後ろ向きに歩く練習を初めて行った。
何気なく後ろ向きに歩いていたが、麻痺してから後ろ向きに歩くことの難しさを体感。
普段の生活で後ろ向きに歩くことはあまり無い。
しかし何かの拍子で後ずさりすることがあるかもしれない。
とっさに対処出来るように、あらゆる事を想定してリハビリをするのである。
セラピストさんたちは患者さん一人一人の戻るべき生活に寄り添ったリハビリを提案してくれる。
マニュアルのない仕事に従事されているセラピストさんたちのお陰で、多くの患者さんたちが元の生活へ戻っていけるのだ。
感謝しかない。
三つ目は手のリハビリ。
初めてのセラピストさん。
スケジュールの関係で私を担当されているAチームでなくBチームの方。
メルツで指の開閉の練習をするも、少し勝手が違って新鮮。
40分のリハビリの時間はあっという間に終わった。
最後は足のリハビリ。
1日リハビリや自主トレで歩いた足の筋肉を解(ほぐ)してもらう。
何度も入っているセラピストさんだから、私の筋肉の強ばり具合はよくご存知。
その方が、前に比べて格段に柔らかくなっていると驚いていた。
独歩自立になってから、変な緊張や歩き方で筋肉が固くなることが少なくなったようだ。
だいぶ自然な歩きに近づいているからだそうだ。
杖で自立するまでは足の出し方や地面の踏み方を考えながら歩いていた。
それが無意識に歩けるようになってきたようだ。
今でも右足が躓くことがあり、その時は咄嗟に立ち止まって頭で足の戻し方を考えたりする。
しかし躓くこともかなり減ったからか、スムースに歩けるようになった。
あとは持久力と体力。
問題点は明確だから対策も簡単だ。
根気よく歩こう。
◆脳梗塞を発症してから144日目
■10月29日水曜日
独歩タイムトライアル。
3分6秒。
マルチタスク。
健康で仕事をしていた頃は当たり前にこなしていた。
脳梗塞で身体機能が失われてからは、同時に幾つかのことをするのが難しくなった。
脳疾患の患者さんで頭の障害がない人ほど、それまで出来たことが出来ずにイラついたりする。
回復の進捗にも焦ったりして、イライラのスパイラルに落ち込んだり。
気持ちを切り替えてと簡単に言うけど、これがかなり難しい。
私の場合は感情は焦ったりイライラはしないけど、身体は焦っているのか変な力みがでる。
歩いていても力みで足が絡まり危険極まりない。
個人的にこの焦り対策は時間をかけて慣れるしかないと思っている。
あとは出来ないことは出来ないと開き直る。
最初のリハビリは昨日と同様にバイシクルを20分漕ぐ。
陽射しが強くて眩しかったけど、気分は爽快に走っていた。
ペダルを踏むことが出来るまで回復している足ではあるけれど、本物の自転車はさすがに無理。
なぜなら足をペダルに固定しなければならないから。
あとはハンドルを片手でしか持てないのもある。
安全運転義務違反だ。
いつかは本物の自転車に乗れるようになる日が来るかもしれない。
気長に行こう。
今日は大浴場で一人での入浴を堪能。
久しぶりの杖を使って入浴セット一式を左手で引っ掛け病室を出る。
まずはナースステーションで入浴用の札の半分を渡す。
エレベーターで5階へ。
リハビリに行く患者さんたちは1階へ。
N村さんから
「乗らないの?」
「5階の大浴場へ風呂に入りに行くから上なんです」
「えっ?」
驚いた顔のN村さんを乗せたエレベーターが閉まった。
私はエレベーターで5階に行き大浴場へ。
扉を開けると薄暗い脱衣所。
電灯を着けて入室。
隣の浴場からかけ流しのお湯の音が。
まずは服を入れる籠を棚から出す。
洗面台前の椅子に腰掛け服を脱ぐ。
タオルを一枚持ってゆっくりと浴場へ。
中は誰も居らず、少し肌寒い。
洗い場の椅子は別の場所にあり、左手で持ち上げシャワーの前に移動。
初めは頭から洗い流して、次にタオルにボディソープをたっぷり付けてから身体を洗う。
座ったままでは洗いづらいから、立って腰や内股を洗う。
左腕以外を洗い終えシャワーでしっかりと流す。
特に足の裏は入念に!
ここで滑りでもしたら水の泡ならぬ、お湯の泡。
よちよち歩きで浴槽へ。
肩までしっかりと浸かりアチコチを揉み解す。
烏の行水なだけに、ものの1分ほどで湯船から上がって脱衣所へ戻る。
バスタオルで頭から爪先まで拭いたら着衣。
濡れたタオル類は専用の籠に投げ込み、電気を消したら大浴場から退場。
2階へ戻りナースステーションで残りの札を渡したら入浴時間は終わり。
病室に戻って時計を見たら25分掛かっていた。
湯上がり後は100%果汁ジュースで水分補給。
脳梗塞を発症してから144日目。
ここまで戻って来られた。
明日は公共交通機関を使ってのリハビリが朝からある。
そのため自主トレは控えめに、リハビリも公道を歩くことはせず、明日に体力温存とした。
大浴場へ行くのに久しぶりに杖を使ったら、感覚がわからず左足で杖を蹴ってしまった。
杖での歩きを思い出すために病棟の廊下を一周歩いたら、あまりのスピードに怖くなった。
明日は丁寧にゆっくりと歩くようにしなければ。
作業療法士のA塚さんが言っていた。
転倒は歩く形態が変わった時に起こりやすいと。
独歩から杖での歩行に変わることで、右足の出方が全然違う。
明日だけでなく明後日も総合病院へ行くから気をつけなければ。
◆約5ヶ月ぶりに電車に乗れて感無量で目頭が熱くなる
■10月30日木曜日
独歩タイムトライアル。
3分5秒。
理学療法士O橋さんと一緒に杖を片手に午前9時に病院を出て最寄りのバス停へ。
社会生活に必要なリハビリの開始である。
ちょうどバスが出たばかりで次のバスが来るまでベンチに腰掛けて待つ。
空は快晴。
のんびりと話していたら、あっという間にバスが来た。
ステップが少し高く、どちらの足から乗るかを考えて、階段の要領で左足から。
Suicaでタッチをする時は中腰(へっぴり腰)に。
けっこう乗客が乗っており手摺に掴まっていたら、優先席の高齢女性に譲ってもらい着席。
10分程で駅前のロータリーに到着。
他の乗客が全員降りてから降車。
そこから駅まで人波を避けつつ歩き、エレベーターでなく階段でコンコースへ。
前からだけでなく後ろからも続々と人が近づいてくるけど、性格がオラオラだからか怖くはない。
改札も中腰(へっぴり腰)でタッチ。
ホームへの下りエスカレーターに向かいながら、足はどっちからだっけ?と思いながら右足から乗っていた。
そのまま次は左足から降りたら、案外スムースで安堵。
ホームに着いた早々に電車が入線。
ホームドアが開き電車とホームの隙間に気をつけながら乗車。
約5ヶ月ぶりの電車に感無量で目頭が熱くなった。
1駅で降車して、またバスに乗り換え。
エスカレーターで改札まで行き、そこからエレベーターで1階へ。
バス乗場にはちょうどお目当てのバスが停まっており、多くの乗客が降車中。
列の一番最後に並んでバスへ乗車。
今度は席を譲ってもらわずとも優先席に着席。
駅一つ分をバスで移動したら、最初に乗り換えたバス停に到着。
病院方面へ向かうバスはしばらく来ないのでベンチでのんびりと日向ぼっこ。
O橋さんと四方山話をしながら待つ。
「どうでしたか、久しぶりのバスと電車は?」
「動作が遅いから流れに乗れないのが大変だけど、もっと回復すればなんとかなるかな」
「真柄さんは前向きだから(笑)」
「脳梗塞のお陰で体重は減るし、膝の痛みも無くなったし、右手以外は健康だからね(笑)」
「新しい身体を手に入れたんですね」
それだ!
新しい身体。
脳梗塞は大変な病気だけど、それに負けないくらいの身体を手に入れたのだ。
新しい身体に障害があっても、公共交通機関を利用することにさほど支障が無いことが分かって嬉しい。
時刻通りに発車したバスで病院の最寄りのバス停へは順調に到着。
車体が左に寄せきらずステップと歩道の距離が微妙に広かったけど、右足が頑張って無事に降車。
杖で歩くのは独歩よりも速くて、予定の時間を余らせて病院に戻ってきた。
時間にして2時間20分の小旅行。
脳梗塞で半身不随になったけど、リハビリのお陰で、また一つ社会生活へと戻ってこられた。
16時から40分の腕のリハビリで今日はおしまい。
この時間にサプライズが起きた!
このリハビリ日記をwebサイトに連載してくれる出版社の社長がお見舞いに来てくれたのだ。
面会は1日一組3名(中学生以下不可)まで。
時間は30分と決められている。
厳しい制約だけど、これはコロナ禍の感染対策の名残り。
ここ1~2年でだいぶ緩和されたそうだが、相当に厳しく制限されている。
そのような状況でお見舞いで来てくれたことに感謝である。
私の身体のことを心配してくださり、ここまでの回復具合に驚かれるとともに喜んでくれたのには、心から嬉しくなった。
私が一番懸念していた、この日記がweb掲載に耐えうるレベルにあるのかを直接聞くことも出来て、まさにサプライズだ。
自分の経験したリハビリで回復していく様子が、誰かの役に立つと言われたことは、とても誇らしく心が晴れやかになった。
明日は心臓の診察で総合病院へ行く。
これが済めば退院後の社会復帰に向けての展望も見通しが立つ。
退院までの残された時間に、可能な限り出来るリハビリに取り組んでいこう。
脳梗塞で半身不随となっても、リハビリと周りの協力で社会復帰も出来ることを、私自身が証明する。
病気で苦しんでいる人たちとその家族の方々へ、リハビリテーション病院の存在意義と、リハビリに前向きに取り組むことをしっかりと伝えていきたい。
◆立ち上がるために体幹を鍛える。歩くのは腹筋とお尻の筋肉
■10月31日金曜日
独歩タイムトライアル。
3分2秒。
2週間前までは眠る時に心がざわざわして目が覚めてしまうことが頻繁に起きて困っていた。
19時にシーパップを着けて寝ようとしても、50分~1時間おきにざわざわ。
23時頃までずっと続いていた。
主治医に相談しても脳の不調だけども脳梗塞の後遺症かは分からないとのこと。
セラピストさんに愚痴ったら、
「糖分が足りてなくて脳疲労かも」
と言われたから、栄養士さんに相談して100%果汁ジュースを1日1本飲むことを許された。
脳がエネルギーを求めていたのか、いまはざわざわで目が覚めることはなくなった。
ざわざわが治まって次に始まったのが、寝ているときの手足の力み。
なぜか手足、特に腕に力が漲って手のひらが全開や握りしめられていて目が覚めるのだ。
足は手に比べたら回数が少ないのか、または目が覚めるほどでない力みなのか、あまり気にはならない。
けれど手は力が漲ってしまうと目が覚めるし、力を抜くのにハッキリと覚醒しないとならない。
深く考えてストレスになってもだから、これといって誰かに話したりはしていない。
勝手な想像で、前は麻痺で腕も足も動かないから力むことがなかったんだと思うようにしている。
筋肉が鍛えられ、腕も足も動けるようになったから、寝ていても動ける喜びに力んでいるのだろう。
脳梗塞になり体質も変わったし、麻痺で身体のアチコチが不自由にもなった。
初めての経験だから気に病むよりは、この状態を楽しんだほうが得と思うことにした。
誰もが経験出来ることじゃないからね。
こういう風に考えられるのが能天気なんだろう。
昨夜はこの日記のwebに連載する際のタイトルを考えていたら、興奮して眠れなくなってしまった。
いまは能天気な脳梗塞患者のリハビリ(地獄)日記と題してるけど、これじゃあまりよくわからないのかもしれない。
どんなタイトルにするか、出版社の社長と相談しながら決めよう。
本日は朝から心臓の診察で総合病院へ。
受付けが早いから朝食を普段より30分早く出してもらった。
8時30分には妻が迎えにきてくれてタクシーで向かう。
9時には到着したけど、案の定すでに行列が!
そこから総合受付だの循環器内科の受付だのを終わらせてから心電図やエコーや採血。
採血からスタート。
番号札は105番。
朝から大盛況だ。
50分近く待ってから呼ばれた。
採血はサクッと終わり、続いては心電図。
右足の装具を外すことなく終わり。
最後はエコー。
ここで初めて身体障害者だと検査受けるのも大変と感じた。
服を脱ぎ少し高いベッドに横たわるのに一苦労。
終わって服装整えて部屋を出るのも時間が掛かる。
それでも無事に終えて診察の順番が来るまでひたすら待つ。
名前を呼ばれて診察室に入室。
主治医の先生と約3ヶ月ぶりの対面。
結論は11月中旬から12月初旬で心臓ペースメーカーの手術を行うことに決定。
最終的な日程は後日改めて病院から連絡が来ることに。
前回33%だった心臓の機能数値は45%まで微妙に回復。
普通の人は60%台だそうだ。
微妙にでも回復したのは、体重を減らして規則正しい生活を送っていたからだろう。
脳梗塞で半身不随になるも、リハビリで歩けるまでに回復。
心臓の手術も年内で終わらせて、来年からは新しい身体で生き始めよう。
いま脳卒中で身体の半分が麻痺で苦しんでいる人たちへ。
リハビリで身体の機能を回復させることは、日常を取り戻すために重要だ。
特に歩けることを最優先で目指してもらいたい。
ネットで調べた。
脳卒中で半身不随になった人の歩ける(杖や歩行器を使ってでも)ようになる確率を。
結果は60~70%である。
3割以上が車椅子や寝たきりだ。
もちろん身体の機能不全で歩けない人も含まれるが、リハビリを経ての人が3割は多い。
だからこそ、回復期はリハビリで立ち上がる、そして歩くことを最大限頑張ってほしい。
立ち上がるために体幹を鍛える。
私も寝たきりでも出来る筋トレで立ち上がれた。
歩くのは腹筋とお尻の筋肉。
立ち上がれて腹筋とお尻の筋肉が鍛えられたら歩けた。
6月8日に発症して、翌日には完全な半身不随になった私が、10月31日の時点で独歩で歩いている。
すべてはベッドの上で今も続けている筋トレのお陰である。
諦めずに続けてきたことで脳梗塞を発症して半身不随になった身体も回復している。
103日目で杖を使って歩けた。
121日目で車椅子とお別れが出来た。
137日目で独歩で歩けた。
144日目で一人で入浴が出来た。
145日目でバスや電車に乗ることが出来た。
146日目にはタクシーで総合病院へ行き、広い院内を杖を使って検査や診察を受けるのに歩き回れた。
こうなるまでの最初にしたことが、病室のベッドの上での筋トレなのである。
いま実際にリハビリをされている人は、セラピストさんにどのような筋トレをすれば良いのかを相談してほしい。
その時の最適な筋トレをアドバイスしてくるはずだ。
病気になったことを悲観しないでほしい。
その時、その時で出来るベストを尽くせば、限りなく目標に近づけることを、私はこの身体で立証した。
右手は相変わらず動かない。
だけど、その不自由は知恵を使えば解決することもあることを知った。
リハビリは諦めず挫けず続けることが、回復への唯一の方法だと私は実感している。
だけど一人ではなかなか難しいからこそ、セラピストさんたちと一緒に取り組んでいくのだ。
是非ともこの日記を参考としてほしいのが、私の願いである。
文:真柄弘継
(第18回 「出会いと別ればかりのリハビリテーション病院」につづく…)
◆著者プロフィール
真柄弘継(まがら・ひろつぐ)
某有名中堅出版社 出版局長
1966年丙午(ひのえうま)の1月26日生まれ。1988年(昭和63年)に昭和最後の新卒として出版社に勤める。以来、5つの出版社で販売、販売促進、編集、製作、広告の職務に従事して現在に至る。出版一筋37年。業界の集まりでは様々な問題提起を行っている。中でも書店問題では、町の本屋さんを守るため雑誌やネットなどのメディアで、いかにして紙の本の読者を増やすのか発信している。
2025年6月8日に脳梗塞を発症して半身不随の寝たきりとなる。急性期病院16日間、回復期病院147日間、過酷なリハビリと自主トレーニング(103キロの体重が73キロに減量)で歩けるまで回復する。入院期間の163日間はセラピスト、介護士、看護師、入院患者たちとの交流を日記に書き留めてきた。
自分自身が身体障害者となったことで、年間196万人の脳卒中患者たちや、その家族に向けてリハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を日記に書き記す。
また「転ばぬ先の杖」として、健康に過ごしている人たちへも、予防の大切さといざ脳卒中を発症した際の対処法を、リアルなリハビリの現場から当事者として警鐘を鳴らしている。
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