●ポイントはコラムに合わせた漫画にはしない(それぞれが勝手に書き、描く)
●連載テーマは極めて自分の日常生活の中での感慨、つまりレリゴー、ありのままの「自由」。
歌謡界のこまどり姉妹、お笑い界の阿佐ヶ谷姉妹ならぬ出版界の極辛系「潮・地獄」姉妹が立ち上がります!では早速、始めます!
第1回目は【喪失感】・・・ペットロスのお話■47年間で人生最大の喪失感
47歳にもなると、いろいろ失ってきたと痛感する。恥じらいとか、憂いとか、モチベーションとか、膝関節の柔軟性とか、肌の弾力などなど。信頼や信用を失ったこともある。もう数えきれないほど大切ななにかを失っているわけだが、昨年体験したのは人生最大の喪失感だった。19年間ともに暮らしてきた猫が死んだのだ。
公園でカラスに襲われていた子猫を保護した知人から譲り受けたのが、2000年の5月。避妊手術を受けさせたとき、獣医から「生後1年」と言われたキジトラのメスだ。耳の色や触感が似ていたので、「キクラゲ」と命名した。
その後、私が離婚して夜逃げ同然で家を出たときの所持品はパソコンと机、そしてキクラゲだけだった。19年間、計4回の引っ越しをともに経験したことを考えると、私の47年間の人生で最も長い時間を一緒に暮らした生き物である。
昨年4月中旬からキクラゲの体調が悪くなり、部屋の隅っこにうずくまり、時折呼吸困難で尿失禁するようになった。彼女は20歳という高齢で、病院が大嫌いだったため、家で看取る決意をした。
それでも最期を看取ることができたのは幸運だった。ちょうど私は仕事で外出しなければいけない日。家を出る3時間前に急変し、呼吸が止まって徐々に冷たくなる姿を見守ることができた。享年20。5月24日のことである。ペット専門の火葬業者からは「人間で言えば100歳以上。20歳にしては綺麗で立派な骨です」と言われた。真っ白でしっかりとした形の骨は骨壺に入れて、今も家に置いてある。
この間の1か月は仕事も妙に立て込んでいたお陰で、外に出ると異様にハイテンションだった。過剰な笑顔で顔の筋肉を保たないと、涙腺崩壊するからだ。
思い出しては号泣する私を心配した夫が、保護猫カフェに連れて行ってくれた。そこで2匹のきょうだい猫(1歳8か月のオスとメス)と出会ってしまい、8月から引き取ることになった。ダメになりそうな私を救ってくれたということで、ダーとメーと命名。黒白MIXの元気な猫らである。

本当の喪失感は時間をおいてやってくるものだと知った。遊び盛りで懐っこい2匹を日々相手にしていると、余計にキクラゲを思い出す。
実はキクラゲ、超凶暴で気位が高い女王様気質の猫だった。故人ならぬ故猫を悪く書くのもなんだが、何度となく本気噛みされて、手足がぼんぼんに腫れて穴があいた。
喪失感との闘いは長期戦だと思った。闘う必要はないのだが、喪失感を死ぬまで抱えて生きていくのだと覚悟した。亡くなった直後の劇的な喪失感が10段階の10とすれば、やや小さな喪失感がその後も積み重なってゆく。
ちょうど友人がペットロスの人に最適な事業を始めた。ペットの遺骨を核にして真珠にするというビジネスだ。モニター参加させてもらい、来年あたりにはキクラゲが大粒の真珠になって帰ってくる予定である。「愛しいペットが海の中で自然の力を借りて育つのを待つ」行為は、喪失感を前向きにスイッチするのに役立つ気がする。新入り2匹に真珠化計画。キクラゲの思い出を前向きに昇華していくつもりだ。
この一連の「キクラゲ・ロス」をきわめて冷静に見守ってくれたのが、我が姉・地獄カレーである。調子が悪くなり始めたときは「毛並みが目に見えて劣化してきたら外出予定をキャンセルしたほうがいいかも」「カロリーエースなら舐めるかも」などのアドバイスもくれたが、「夏までもたないから今のうちに可愛がってあげな」「キクが死んだら、あんたうつ病になるね」「キクの目がサヨナラって言ってる」などの突き放した猛毒コメントも多数あった。
今思えば、喪失感への準備体操をさせてくれたのだ。同情や憐憫の言葉は言わず、「ちゃんと死を受けいれろ」という導きでもあった。
私は周囲に弱音を吐きまくったが、姉は愛猫の死に慣れているせいか、人知れず喪失感を噛みしめるタイプだ(たぶん話す友達もいない)。それでも姉がずっと多頭飼いを続けているあたりに、喪失感の深さと闇を感じる。人それぞれに喪失感の往なし方がある。悲しみで途方に暮れるだけではない、喪失感の咀嚼法があると知る。
今後の人生でも、喪失感を経験する予定が目白押しだ。この年だからな。ほどよく往なしていくしかない。