真珠湾攻撃は日本のだまし討ちではない? 驚きの真実をあぶり出す、インテリジェンスヒストリー!『日本は誰と戦ったのか』 を上梓した江崎道朗氏が日米開戦の新たな事実を語ります。 歴史見直しが始まっている!

 歴史というものは、新資料の公開や研究の進展によって次々と見直されていきます。

 たとえば、日米戦争の発端となったパールハーバー、つまり真珠湾攻撃がその代表です。一九四一年十二月、日本軍が真珠湾攻撃をした当時、それはアメリカにとって「卑劣なだまし討ち」でした。

 ところが、その後、アメリカの著名な歴史学者チャールズ・ビーアド博士が一九四八年に『ルーズベルトの責任』(邦訳は藤原書店、二〇一一年)を書き、大意、次のようなルーズヴェルト謀略論が登場します。

「時のルーズヴェルト大統領は暗号傍受により、日本軍による真珠湾攻撃を知っていたのに、対日参戦に踏み切るため、わざと日本軍攻撃のことをハワイの米軍司令官に知らせなかった」

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炎上する真珠湾

 その後もアメリカでは真珠湾攻撃について議論が続いてきました。

 平行して一九六二年、ハワイの真珠湾では、真珠湾攻撃によって撃沈された戦艦アリゾナの近くにアリゾナ記念館が建てられ、真珠湾攻撃で亡くなった方々を慰霊するとともに、一九八〇年にはアメリカ合衆国国立公園局によってビジター・センターが建てられ、真珠湾攻撃に関する歴史展示館が併設されました。

 真珠湾攻撃五十年にあたる一九九一年十二月七日、このアリゾナ記念館ビジター・センターにおいて、ジョージ・W・ブッシュ大統領が参加して記念式典が開催されました。

「リメンバー・パールハーバー」は変遷している
アリゾナ記念館ビジター・センター

 この式典開催にあたって大きな議論が行われました。

 式典の名称を「真珠湾攻撃(Pearl Harbor attack)五十年式典」とするか、それとも「真珠湾五十年式典」とするのか、ということです。問題になったのは、「攻撃(attack)」という言葉です。 

 日本はソ連を相手にした冷戦において同盟国だ。その日本を非難するかのような式典の名称はどうなのか。特にハワイにおいては日系人たちが多数活躍しており、日本を敵視するような式典は控えるべきだろう。

 今回で五十年も経ったことだし、この際、「攻撃」という言葉は外して、日本の「だまし討ち」を批判するのではなく、いついかなるとき、外国から攻撃をされるかもしれない。そのことを念頭に国防の重要性を理解する記念式典にその趣旨を変更すべきだ。

──そんな議論が行われたのです。

 

 結果として、式典の名称からは「攻撃」という言葉は削られました。そしてブッシュ大統領の記念演説も国防の重要性を強調するものでした。私もこの式典に参加し、その経緯を取材しましたが、アリゾナ記念館の関係者はこう述べていました。

「同盟国の日本をいつまでも批判するのは得策ではないのだ。それに真珠湾攻撃の当時はわからなかった歴史的な経緯も判明してきていて、真珠湾攻撃を『日本軍による卑劣なだまし討ち』と非難するのも適当ではない。ただし、真珠湾攻撃を受けた当時の軍人たちが生きているうちは、真珠湾攻撃に関する『神話』、つまり日本軍による卑劣なだまし討ちという評価を変えることは難しいだろう」

 この発言には、三つのポイントがあります。

 第一に、歴史の評価は、政治的な関係によって変わっていくということです。アメリカからすれば、日本は同盟国、大事な友好国です。その同盟国を批判する歴史観は打ち出しにくいと言っているのです。

 昔は仲が悪く、その人のことを悪く言っていたが、今は友人なので、悪口は言わないようにしている、ということです。確信的な反日派を別にすれば、アメリカの大半は、仲良くなれば、その歴史観を変更してくれる、実に「友人」を大事にする国なのです。

 第二に、そもそもアメリカの歴史学者たちが批判しているように、真珠湾攻撃は日本軍による卑劣なだまし討ちなどという簡単なものではありません。真珠湾攻撃に至るまでに日米両国の間では激しいやり取りがあり、戦争が起こるのは不可避であったと考えられるようになったのです。そうした歴史研究の成果をさすがに無視することはできないと考えるアメリカ人が増えてきているということです。

 第三に、アメリカは軍人の国で、退役軍人たちの政治的影響力は絶大です。

そのため、真珠湾攻撃を受けた当時の軍人たちが生きている間は、表立って歴史を見直すことはできない、ということです。これは言い換えれば、第二次世界大戦当時の軍人たちがいなくなれば、歴史の見直しが進んでいく、ということでもあります。

「リメンバー・パールハーバー」は変遷している
アリゾナ記念館に飾られている解説版

 真珠湾攻撃から七十六年後、真珠湾五十年式典から二十六年が経った二〇一七年九月、久しぶりに私は、ハワイのアリゾナ記念館を訪問しました。アリゾナ記念館ビジター・センターの展示の担当者から説明を聞きながら、歴史展示も見学したのですが、目を引いたのは、その入り口に飾られていた一枚の解説板でした。そこには、こう記されていたのです(著者の私訳)。

「迫りくる危機」アジアで対立が起きつつある。

旧世界の秩序が変わりつつある。アメリカ合衆国と日本という二つの新興大国が、世界を舞台に主導的役割を取ろうと台頭してくる。両国ともに国益を推進しようとする。両国ともに戦争を避けることを望んでいる。両国が一連の行動をとり、それが真珠湾でぶつかることになる。

 真珠湾攻撃は、日米両国がそれぞれの国益を追求した結果起こったものであるとして、日本を「侵略国」であると決めつけた東京裁判史観を事実上、否定しているのです。

「リメンバー・パールハーバー」は変遷している
炎上する戦艦アリゾナ

 このビジター・センターを管理しているのは歴(れっき)としたアメリカの政府機関です。

 正式には、アメリカ合衆国国立公園局と言って、この公園局が専門家に委嘱して展示内容を決定しています。担当者は「できるだけ史実に沿って歴史的な事実を描こうとしている」と説明してくれました。

 日本人が知らないだけで、アメリカではさまざまなレベルで、「真珠湾攻撃=卑劣なだまし討ち」説や東京裁判史観が見直されているのです。ハワイには、在日米軍を含むアジア太平洋地域を管轄するアメリカ太平洋軍司令部があります。

 この太平洋軍司令部の情報将校だった方々とも、分厚いステーキを食べながら、いろいろと話をしました。そこで、アリゾナ記念館の展示について話をしたら、日米戦争が両国の国益の衝突であったというのは当然の話であり、何か問題があるのかという顔をされました。

 戦後も七十年が過ぎ、当時はわからなかった経緯も知られるようになるにつれ、アメリカでは、日米戦争についての評価も自ずと変わってきているのです。

『日本は誰と戦ったのか』より抜粋)