現在では年間売上高は2000億円以上、国内外で2000人以上の社員を抱え、日本を代表する総合インターネット企業の1社である同社であるが、1999年にわずか3人で創業された当初はサービス開始も危ぶまれるほどの危機に見舞われ、以降現在まで急成長を遂げる一方で数多くの苦難を乗り越えてきた。
そんな同社創業者で元社長、現在は取締役ファウンダーを務め、6月には『不格好経営―チームDeNAの挑戦』(日本経済新聞出版社)を上梓した南場智子氏に、
「経営コンサルタントの経験は、実際に企業を経営する上で役に立たない」
「ディー・エヌ・エー創業時の危機を、どのように乗り越えたのか?」
「創業以降、数多く訪れた苦境を乗り越え、急成長を遂げられた秘訣とは?」
「ヒットにつながる新サービスは、どのように生み出されてきたのか?」
「優秀な人材を獲得し、育てるための仕掛けとは?」
などについて聞いた。
--経営コンサルタントとして“マッキンゼーライフ”を謳歌していた南場さんは、99年になぜ突然起業されたのですか?
南場智子氏(以下、南場) 食事の席で、ソニーコミュニケーションネットワーク(現・ソネット)の山本泉二社長にネットオークションの事業化を勧めたときのことです。当時はまだ、日本に本格的なネットオークションは存在していませんでしたので、一番乗りすれば強大な事業を築くことができると信じていたからです。私はソネットの山本泉二社長(当時)に事業化の構想を熱く語っていたのですが、山本社長から「それほど熱く語るなら、自分でやったらどうですか」と言われたのです。この一言が、私の人生を変えました。
企業にアドバイスをすることはあっても、「自分がやる」という選択肢は、まったく頭の中にありませんでした。「自分でやったら?」という一言を聞いた瞬間、まるで熱病にでもかかったようになってしまいました。そして次の日からは、自分で新しい事業を手掛けることで頭がいっぱいの毎日を送ることになったのです。
--経営コンサルタントとして成果を上げてきた自分が起業すれば、うまくできるという自信はあったのですか?
南場 当時経営コンサルタントとしては順調でしたが、一方で自分がアドバイスする事業に十分に関われないことが、ちょっとしたフラストレーションになっていたのです。そして「私が経営者なら、もっとうまくやれるのに」と思うこともありました。だから社長の言葉を聞いて「自分でやってみたい」という意識が覚醒してしまったのだと思います。
しかし、完全に経営をなめていました。
当事者ではなかった私が当事者になり、「自分でやる」つまり会社を経営するということがいかに難しいかを思い知らされました。
●「あなたはバカですか?」--起業間もない頃、特許事務所の先生の元に駆け込み、「もしかして、あなたはバカですか?」とまで言われたそうですね。
南場 出資元のソネットの親会社であるソニーから、いきなり段ボールが数箱送られてきました。中身は、ディー・エヌ・エーが始めるネットオークションに関係する特許、申請中特許の公開情報のコピーでした。そして「他人のいかなる特許も侵害していないし、する可能性もないことを南場智子個人が保証し、もし特許侵害により被害を与えた場合には南場智子個人が全額補償する」と書かれた紙が同封されており、「サインして資本金の振込日前までに送り返さなければ振り込みはしません」とも書かれていました。
私は特許事務所に駆け込み、先生に「作業をお願いしたい」と言ったら、「もしかして、あなたはバカですか?」というようなことを言われたのです。つまり、「どんなサービスを提供しようとしているかわからないのに、判断できません」ということでした。それでも先生を捕まえて、「この特許はこういう意味だから、恐らく自分たちのサービスのこの部分に関係しそうだけど大丈夫そうだね」みたいに一つひとつ確認していき、あとはやり方だけを教えてもらい、自分一人で作業することにしました。

--結局、ソニーからの出資は受けられたのですか?
南場 はい。結局はソニーに締め切りを延ばしてもらうなどして、出資の遅れは会社が私個人から借金することで、なんとか切り抜けることができました。私個人が保証する旨のサインを行うことは、周囲全員が反対しましたが、最後はもう「するしかない!」という感じでサインして送り返しました(笑)。
--そのほかにも、ネットオークションのサービス開始を3週間後に控えた最終テスト前日に、なんと開発が完了していたはずのシステムが、実はまったくできていないことが発覚するトラブルにも見舞われたそうですね。
南場 これは、いまだにわが社最大のトラウマですね。実は、私どもがシステム開発をお願いしていた会社は、過去に一度きちんと動くシステムを開発してくれていたので、信頼して開発を委託していました。
結局、最終テストの前日になって、開発会社の社内のいざこざが原因で実は開発チームは存在しておらず、コードが一行も書かれていないという事実が発覚したわけです。また、自分たちがネットオークションで国内一番乗りになるはずが、ヤフーが数カ月前にサイトをオープンしてしまうという誤算も重なり、焦りが極限に達している中での大失態でした。
--その難局を、どのように乗り切られたのですか?
南場 問題が発覚した翌日、もろもろ起業のアドバイスをしてくれていたベンチャーキャピタル・NTVP(日本テクノロジーベンチャーパートナーズ)の村口さんから「諦めるな。この規模なら天才が3人いれば1カ月でできる」と言われ、さっそく「天才エンジニアを集めよう」となりました。そして自社で出資している企業に次々と声をかけてくれたのです。ただ、集まってくれた天才エンジニアの方々は、「これほど素晴らしい仕様書は見たことがない。しかし、残念ながら、年内に僕ができるものはありません」と続けました。
そうした中で「なんとかなるかも」と言ってくれたのが、システムのデータベース連携を事業とするインフォテリア・北原社長でした。
--そして1999年11月に生まれたのが、貴社として最初のサービス、ネットオークション・ビッダーズ(現DeNAショッピング)ですね。
南場 ビッダーズはマスメディアでも頻繁に取り上げられ、また大手ポータルサイトとの提携も功を奏して成長していきました。ただ、すでに99年9月に始まっていたYahoo!オークションとの差は縮まらないどころか、ますます開いていきました。このようなネットワーク効果があるサービスは、利用者を増やし、先にサービスを軌道に乗せたところが圧倒的に有利です。その上、住所確認をしなければ出品できないなどセキュリティーを厳しくしていたこともあって、すぐには成長軌道に乗れませんでした。一方で、Yahoo!オークションはどんどん成長していきました。
--しかし貴社は、03年3月期下半期には黒字化を達成していますが、黒字化の要因はなんだったのでしょうか?
南場 その後もオークションでとことん頑張り、できることはなんでもやったのですが、ダメでした。敗北したわけです。
実は、敗北したとはいえ、総力戦でものすごい悪あがきをして頑張っていたことで、結果的にビッダーズは120万人ものユーザーを抱え、日本有数のアクセス数を誇るサイトへと成長していたのです。このユーザーの動向調査から、「オークションそのものに参加する」というよりは、「欲しいものを探しに来ている」ということがわかりました。それならオークション方式にこだわる必要はなく、固定価格で売ってもいいのではと考え、ショッピング事業を強化したことが功を奏しました。
--初めて黒字化を達成した時は、どのようなお気持ちでしたか?
南場 とても感慨深いものがありました。赤字というのは資源を食いつぶしている状態ですから、世の中の役に立っていない証拠です。やはりすごく肩身が狭かった。ただ、黒字になったとはいえ、オークションでも2番手、ショッピングでも2位グループです。やはり何かでナンバーワンになりたいという思いはありましたね。それで、1番を目指す勝負を挑むための新規事業の模索が始まったのです。
--それが、04年に開始した携帯向けオークションサイト・モバオクですね。
南場 それまでは、出品するにはまず撮影して、それをパソコンに取り込んでという形で、とても手間がかかりました。
実はモバオクは以前から検討はしていたのですが、導入に踏み切れなかった理由は、従量課金制で高額になってしまうパケット料金にありました。しかし、このころパケット定額制が普及し始めたことで、サービス開発を急いだのです。
「パケット定額制の普及という時代の波をとらえ、タイミングに合ったものを一番使いやすい形で出す。これを実現してナンバーワンになったものだけが、拡大の良循環を手にする」
モバオクの成功は、この真理を我々に刷り込みました。さらに、この成功は単にインターネットサービスの一端末としてモバイルを位置づけるのではなく、モバイルに特化したサービスの重要性を認識させ、同時に新しい巨大市場の可能性も示してくれたのです。
●Mobageの誕生--そして、06年に始まった携帯電話専用ゲームサイト・モバゲータウン(現Mobage)で成長はさらに加速するわけですね。
南場 もともと、モバゲーはゲームサイトというよりは、モバイルSNSです。そこにカジュアルゲームがついているだけであり、SNSとカジュアルゲームのコンビネーションといえます。実は、「ネットオークション」「ショッピング」に続く事業として、「ゲームサイト」を立ち上げようという検討は、その前年の05年の夏に始まっていました。そして、その検討チームから「これならいける」という話があったのは秋になってからでした。やはり使いやすさ、楽しさが最大の成功要因だと思っています。私自身、ヘビーユーザーです。
--そうした成長軌道に乗り始めた最中の07年、総務省が携帯電話会社に対して「携帯フィルタリング」を義務化を要請したことで、一転逆風に見舞われることになりましたね。大きな危機だったと思いますが、そこはどのように乗り切られたのですか?
南場 とにかくできることをすべてやりました。経営トップの意思として、「利益よりもユーザーの保護を最優先する」という指示を明確にし、ユーザーに対する啓発活動、悪いユーザーをはじき出す仕組み、やってはいけないコミュニケーションが行われないような仕組み、また行われたらそれを排除できるような仕組み、そして行われる前に阻止できるような仕組みなど、被害者を少なくするためのありとあらゆることを全部やってきました。
具体的には、啓発活動として小学校、中学校に出かけていき、安全な携帯電話の使い方について紹介しています。また、東京と新潟にカスタマーサポートセンターを開設し、24時間365日、総勢400名の体制でサイトパトロールを行っています。そして、社長を委員長とする「健全コミュニティ促進委員会」を発足させ、具体的な事例を徹底的に分析しながら、対策を講じています。
その結果、事故件数はゼロに近い数になったのですが、でもまだゼロではありません。ゼロになるまで手綱を緩めずに取り組んでいきます。
--翌年の08年初頭には、売上拡大がピタッと止まるという事態に見舞われますが、その理由はなんだったのでしょうか?
南場 一言で言えば、モバゲーの収益源であるアバターが飽きられたということです。あの時は苦しかったです。それから2年弱にわたって苦しみました。
アバターとは、サイトの中で自分を表すキャラクターのことです。いろいろな素材を組み合わせて着飾り、自分とは似ても似つかぬような美男美女をつくり上げてしまう人も多いのです。そして、そういう人は頻繁に着替えるヘビーユーザーでもあるわけです。アバター関連の売り上げが拡大を続けている中で、経営陣全員が、売り上げがヘビーユーザーに大きく偏り、盤石な構造とはいえないと認識していました。そして、その認識が現実のものになってしまったわけです。
●ゲームの素人が生んだ怪物ゲーム--そういう中で、モバゲー事業の再起を懸けて投入されたのが、『怪盗ロワイヤル』ですね。
南場 当時はアバターの3D化など、さまざまな対策を打ちましたが、効果が出ませんでした。そこで起死回生を懸け全部で5つの新しいSNSゲームを投入し、中でも『怪盗ロワイヤル』が大ヒットしました。このゲームは本当に面白い。私が言うのも変ですが、これより面白いゲームはいまだにありません。歴史に残るゲームの一つだと思っています。
--『怪盗ロワイヤル』の開発プロジェクトリーダーは、それまでほとんどゲームをやったことがなく、しかも直前に担当していたプロジェクトが頓挫した方が務められたそうですが、どうしてそのような社員に社運を懸けたプロジェクトを任せたのですか?
南場 彼はその前に『モバまち』という口コミで成り立つタウン情報サービスを立ち上げたのですが、思ったほどリピート率が上がらず、結局打ち切りになってしまったのです。でも、わが社では失敗が減点になることはありません。それどころか、彼の評価はさらに上がったのです。大事なのは、プロセスです。『モバまち』での彼の作戦の練り方、実行の徹底ぶりはどれも高いレベルだと評価されたからこそ、社運を懸けたかけたプロジェクトに抜擢されたわけです。
--プロジェクトなどを任せる時などは、これまでの実績や経験、ノウハウ、そういうもので判断するのが一般的ですよね。
南場 経験が豊富だと、逆に常識にとらわれて柔軟な発想ができず、いいものをつくれないという場合も多いです。私たちは、常識に沿ったサービス、今までにあるようなサービスをつくりたいとは思っていません。つまり、今までにないようなサービスをつくろうとしており、そういう私たちにとって、常識は大敵です。
また、そのように成果を上げた社員は、当社では配属先の希望が優先的にかなえられるような仕組みになっています。『怪盗ロワイヤル』を成功させたその社員も、英語がまったくできなかったにもかかわらず米国勤務を希望したので、英語学校の研修を定期的に受けさせ、今は希望通り米国で活躍しています。
--貴社は「人が育つ」と人材業界内でも評価が高いことで知られていますが、その理由はなんでしょうか?
南場 それは、裁量権を与えて任せるからです。入社1年目でも「こういうことまで任されるのか?」と思うほど任せます。人は人によって育てられるのではなく、仕事で育つのです。そして、成功体験でジャンプするのです。しかも、簡単な成功ではなく、失敗を重ね、のたうち回って七転八倒した挙げ句の成功なら大きなジャンプとなります。
採用に対しても、すごく時間とエネルギーを使っています。いい人材を採るためなら労を惜しまないという素晴らしいチームで採用をしています。もちろん私自身も率先して採用には関わっています。それは創業時代から変わっていません。優秀な人材が多い集団にすると、社外からも優秀な人が来たがりますから。
創業時も私が心の底から惚れ込んだメンバーだけで始めましたし、10人になってもそうです。その10人が、自分よりもすごいと思う人を連れてくれば、さらに優秀な集団になりますね。内定を出しても入社してくれない場合には、3年くらい追いかけ、口説くこともあります。とにかく、プラスになることはなんでもします。
●突然の社長退任--11年5月、病気療養中のご主人の看病に時間を割くため、「6月の定時株主総会で非常勤の取締役に退く」という発表をされましたが、それまで会社を引っ張ってきた創業者の突然の退任発表に、社員の方々は動揺したのではないですか?
南場 みんなビックリしたと思いますね。でも、主人のことがなくても、ちょうど50歳になる12年を区切りにしたいとは考えていたので、私の心の中では周到な準備ができていました。
私は、会社というものは、私の寿命や能力を超えて持続的な発展を遂げていかなければいけないと考えています。そのためには、その時点でのベストな人物がトップを担うべきです。だから、私自身に課せられた重要な仕事として、退任の仕方を見せるということを意識して準備してきました。そこで、今後当社の経営の舵取りを担ってほしいと思う社員には、次から次へと難しい仕事をいくつも任せました。その結果も出て、あとは会社自体に問題がいくつか残っていたので、その問題解決の基盤をつくってから退任しようと考えていました。
しかし、その前に事態が急転してしまい、予定よりも1年早い退任となりました。
--本書の中で、「社長の一番大事な仕事は意思決定」と書かれています。意思決定をされる際に、どのようなことに気をつけていますか?
南場 私の場合は、性格的にロジカルなので、感情を入れず論理的に判断します。つまり、トコトン議論をして、聞くことを聞いて、その上で決めますが、最終的な意思決定をする場合には迷うこともあります。そこで普通であれば「もう一週間かけて慎重に検討しよう」と「継続討議」にしたくなるわけですが、私は「継続討議」にせず、「決定的な重要情報」が欠落していない場合は、決断します。そして、それに向かって迷いなく進むほうが、いい結果になる場合が多いようです。
トップが決定を先送りしていると、組織全体を迷いに陥れてしまうことがあります。例えば、今日の経営会議で決まるはずのものが決まらないと、決まると思って準備していたパートナーさんに待ってもらわなければなりません。そして、「この次は決まるはずですから」と言っても、「もしかしたら次も決まらないかも」と思われ、現場にすごく迷惑をかけることになります。特に動きの速い我々の業界では、それが致命的になることもあります。
--最後に、今後貴社が力を入れていく新事業や取り組みなどについて教えてください。
南場 当社は現在、ソーシャルゲームのほか、eコマース、インターネット広告、トラベルなど多岐にわたる事業を展開しています。そうした中、新規事業として昨年12月にはコミュニケーションアプリ「comm」を、今年3月にはスマートフォン向け音楽プレイヤー「Groovy」をスタートさせ、現在もいくつかの新規事業立ち上げを検討中であり、今後さらに総合インタネットサービス企業としての展開を加速させていきます。
インターネットアクセスのグローバル市場シェアの推移を見ればわかるように、わずか3年で様相が一変しています。他の業界では何十年がかりの変化かと思うようなシェアの塗り替えが、ネット業界ではたった数年で起きているわけです。
実は、当社は実力勝負のこの業界で、その頂点を目指して挑戦しようと考えています。これまで世界の頂点に立った「日本発」のネット企業はありません。当社はとても負けず嫌いなチームなので、どうしてもやり遂げたい。そして、世界中のユーザーにアップルやグーグルよりも大きな驚きと喜びを届けられるような企業になりたい。
この挑戦には世界中の人材が必要です。チームが真からグローバルにならないと、世界市場では戦えません。まずは、世界から多様な仲間を迎え入れ、心と力を合わせて真のグローバルチームをつくることから、世界ナンバーワンを目指した挑戦を始めたいと思っています。
(構成=編集部)