2018年12月28日、東京株式市場は年内最後の取引である大納会を迎えたが、日経平均株価は17年の大納会(12月29日)の終値と比べて2750円17銭安の2万14円77銭で取引を終えた。前年末の終値を下回るのは7年ぶり。

アベノミクス開始以来、初めてである。

 多くの企業の株価が値を下げるなか、ドンキホーテホールディングス(以下、ドンキ)は気を吐いた。大納会の終値は6820円(210円安)。それでも前年の大納会の終値5890円と比較して15.8%上昇した。

 この株高によって、皮肉にもドンキのユニー・ファミリーマートホールディングス(以下、ユニー・ファミマ)傘下入りが延期となった。

 ドンキは17年8月、ユニー・ファミマと資本業務提携。同年11月、ドンキが総合スーパー(GMS)のユニーに40%出資、ユニーを持ち分法適用会社にした。

 両社は18年10月、ドンキがユニー株式を全株取得し、ユニー・ファミマがドンキ株を20%買うと発表した。

 ユニー・ファミマは11月7日から12月9日まで、ドンキ株を1株6600円でTOB(株式公開買い付け)を実施した。ところが、ドンキの株価は期間を通じて買い付け価格を上回り続け、12月19日の終値は7110円。買い付け上限の3220万株に対してTOBで取得した株は、わずか2万4000株(0.02%)だった。

 この結果、ユニー・ファミマがドンキを持ち分法適用会社にするプランは仕切り直しとなった。
ユニー・ファミマは改めてTOBを実施するか、市場内で買い付けるかを検討するとしている。

●仕掛け人はドンキの創業者、安田隆夫氏

 今回のM&A戦略は、ドンキが提案したものだ。ユニー・ファミマにとっても渡りに船だった。親会社の伊藤忠商事は不振が続くGMSを切り離したがっていたからだ。ユニー・ファミマはドンキにユニーを売却して再建を委ね、その一方、ユニー・ファミマがドンキ株を最大20.17%握ることで合意した。ドンキによるユニーの買収総額は、有利子負債を含め約1800億円。ユニー・ファミマ側は2119億円の出資を計画していたが、TOBが不調に終わったことで出資額が増える可能性が出てきた。

 この買収劇には“仕掛け人”がいる。

「実は、今回の交渉で中心的な役割を担ったのは、代表権を持たず取締役でもない『創業会長兼最高顧問』という肩書きの創業者、安田隆夫氏。交渉関係者は『ユニー・ファミマの高柳浩二社長と安田氏の対話なくして実現しなかった』と話す」(18年10月15日付日経MJ)

●65歳で引退した安田隆夫氏の猛烈人生

 安田氏は、商品をうず高く積み上げる「圧縮陳列」の売り場づくりで知られるドンキの創業者だ。1949年生まれの団塊の世代で、岐阜県大垣市の出身。慶應義塾大学法学部に進んだが、シティボーイの環境になじめなかったという。
港湾労働、新聞拡張団で日銭稼ぎの無頼な青春を送った。

 1978年、29歳の時にドンキの前身となる「泥棒市場」を開業。処分品やバッタ品を現金で安く仕入れて売ることで商売を覚えた。安田氏は、小売業のなかでもっとも早く深夜営業に目を付けた一人だ。人手不足のため深夜に荷解きをしなければならず、その間も店を開けていた時、意外なほど来客数が多かったことから、「夜は儲かる」という確証を得た。

 89年、ディスカウントストア「ドン・キホーテ」1号店を東京都府中市に開いた。成長過程では軋轢もあった。2004年に死傷者を出した放火事件では、所狭しと積み上げる「圧縮陳列」が一因と報じられ、深夜営業に反対する激しい住民運動に見舞われた。

 一方、訪日外国人の急増がドンキの業績を押し上げた。ドンキのインバウンド事業への対応は早く、08年から始めた。海外の旅行博覧会にブースを出し、免税店であることを前面に押し出して存在をアピールした。現地の旅行会社が作成する日本観光旅行向けガイドブックに、ドンキの店舗が紹介されたことが大きかった。
訪日観光客が、百貨店の営業が終わった後に訪れる定番の店となった。

 小売業時価総額ランキング(18年の大納会・12月28日終値)でドンキは、1兆791億円と1兆円の大台に乗せて小売業第6位。ローソンや三越伊勢丹HDを上回った。深夜営業という“すき間”から誕生したドンキは小売業の異端児だったが、今では既存の大手企業と肩を並べる存在となった。

 安田氏は「かねてから65歳までに引退すると決めていた」として、15年6月に会長兼CEOを退任。社長の大原孝治氏にCEO職も譲り、グループ各社のすべての取締役を退いた。

●「税金逃れ」と叩かれた大富豪

 16年5月9日付「しんぶん赤旗」では、「税逃れ」と指弾された。

「(米フォーブス誌で)資産額1792億円の安田隆夫ドンキホーテホールディングス最高顧問も、15年12月と16年1月に保有する自社株あわせて約1550万株をオランダの自らの資産管理会社に約650億円で売却(移転)しました。(中略)日本は、租税回避地への資産移転を防ぐため、15年7月1日以降に海外へ移住する人物が保有する株に課税する制度を導入しました。安田氏は、同制度開始直前の6月26日に自らの住所を東京都港区からシンガポールに移転。巨額の課税を逃れたとみられます」

 安田氏は17年3月、シンガポールのセントーサ島の超高級一軒家を17億円で購入したと報じられた。名義人はシンガポール人の妻だという。


●海外展開を陣頭指揮していた

 引退後は優雅な晩年を過ごすという大方の予想を覆し、ドンキの海外展開を指揮していた。

 シンガポールに本社を置くパン・パシフィック・インターナショナルホールディングスのトップに就任。17年12月には日本食材などをリーズナブルな価格で販売する「DON DON DONKI(ドンドンドンキ)」をオープンした。シンガポール在住の日本人に「革命的」とまで言わしめ、ヒット商品の「焼き芋」には行列ができる人気ぶりだという。

 その安田氏がユニー・ファミマとの資本提携をまとめ上げた。ドンキは19年2月1日付けで社名を「パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス」に変更する。

 併せて、シンガポールのドンドンドンキ出店の指揮を執った安田氏が19年1月に本体の非常勤取締役に返り咲くことになった。

 中間所得層が伸びる中国や東南アジアなどでの海外展開のノウハウは商社が持っている。伊藤忠の海外ネットワークを生かし、海外事業の拡大を見込む。これが、安田氏がドンキに復帰した最大の狙いだ。

「ドンキが伊藤忠を取り込んだ」と評されている。“ドンキ王国のドン”安田氏の野望はとどまるところを知らない。

(文=編集部)

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