●日本ブランドへのこだわり

 マツダは2012年以降、初代「CX-5」を皮切りに、新型「アテンザ」や「アクセラ」など、「魂動デザイン」採用のクルマを次々に送り出した。のちに詳しく述べるが、同時に展開した低燃費技術「スカイアクティブ」との組合せが支持され、世界販売は11年度の124万7000台から15年度の153万4000台へと23%拡大した。



 次なる課題は、「魂動デザイン」の進化だ。「命」あるものが放つ「動」の美しさに加えて、何を表現するか。前田育男(現マツダ常務執行役員)は貪欲だった。

「ユニバーサルな骨格をつくり込みましたから、次はそのうえにどう日本の美意識をのせていくかを考えたいと思った。日本の美意識というと、すぐに障子や竹が出てきますが、そうした短絡的な表現では、日本の美意識の本質が消えてしまう。精神論にもっていかなければいけないと考えました」

 ドイツ車がドイツ車らしいのは、国の歴史や文化を背負っているからだ。それに対して、日本のクルマはどうか。日本らしさを打ち出しているといえるのか。技術は優れていても、どこかアピール力に欠けるのではないか。

「われわれは、日本のブランドであることの責任、そしてメイド・イン・ジャパンであることに、もっとこだわるべきじゃないかと思うんですね」と、デザイン本部デザインスタイル統括本部主幹・田中秀昭は言う。

 前田が強く意識したのが、「凛」と「艶」である。「魂動デザイン」で表現した「動」に加えて、研ぎ澄まされた品格の「凛」と命あるものが放つ色気の「艶」が加わってこそ、クルマに命を与える「魂動デザイン」が完成すると考えたのだ。


「魂動デザイン」の進化形として、2台のビジョンモデルが発表された。「艶」を表現したのは、15年の東京モーターショーで発表したスポーツカーのコンセプトモデル「マツダ RX-VISION」だ。キャラクターライン(車両の表面に入れる溝や折れ目などの線)はまったくなく、光と影による造形の柔らかで曲線的な「艶」をつくり出している。

「プレスラインのないデザインは、ジャパンオリジナルであり、欧米はマネできない」

「RX-VISION」のダイナミックな光の変化は、クレイモデラーの手でつくり出されている。田中は言う。

「アーティスティックな表現をするのに、造形でやってしまうと、うるさくなってしまう部分がある。光と影の表情でアーティスティックな表現ができないだろうかとつくったのが、『RX-VISION』です。キャラクターラインがまったく入っていないのですが、光の当たり方でいろいろな表情を出すんですね」

 最大の課題は、デザイナーが意図した光の反射をつくり出すことだった。これまた詳細はのちに述べるが、それを可能にしたのが、金型製作部門が導入した「ゼブラ投光器」だ。CADデータと照らし合わせて、デザイナーが意図した光の反射が再現できているかどうかが確認できる。

 16年、当時の社長の小飼雅道のもとに、独BMWグループから1通の招待状が届いた。招待状には、イタリアで開かれる名車イベント「コンクール・ド・エレガンス」にぜひ、この「RX-VISION」を持ってきてほしいとあった。
大変な名誉である。

「コンクール・ド・エレガンス」の会場となったのは、北イタリアのコモ湖の湖畔にある「ヴィラ・デステ」というホテルだった。会場には、世界中のコレクターたちが何億円もするヒストリックカーを持って集まっていた。

「RX-VISION」が入場してきた。ハンドルを握るのは、前田だ。上がり始めた朝日が車体に映り込み、コモ湖周辺の深い緑が車体に融け込んでいった。息をのむ美しさだった。前田自身、屋外の景色の中の「RX-VISION」を見るのは、初めてだった。

「イタリア人のお金持ちが僕のところに近づいてきて、『なんか、このクルマ、すごく色っぽいね。その一方で、日本庭園のような繊細な印象がある』と言ってくれました。もう最高の誉め言葉ですよね」 

「RX-VISION」に続き、17年10月には、4ドアクーペのコンセプトモデル「マツダ VISION COUPE」が発表された。表現したのは、「凛」だ。
前から後ろまでひとつのモーションで全体が結ばれ、直線的な硬質の光を放つ。サイドパネルがえぐられた独特の面構成は、光の当たり方で微妙な変化を見せる。

 じつは、「VISION COUPE」は「RX-VISION」と同時にスタートしたにもかかわらず、発表までに2年余計にかかった。「RX-VISION」以上に繊細な光を表現しようとしたからだ。

 クレイモデラーとデジタルモデラーが共創し、手でつくったクレイモデルをデジタルデータに置き換えて、リフレクションの検証をし、再びクレイモデルをつくる作業を何度も繰り返した。このクレイモデラーの努力については、また別稿で触れる。

「メルセデスのデザインチーフがクルマを見にきて、ずーっと眺めているんです。『どうやって光のリフレクションができているのかがわからない』と言われました。じつは、光のリフレクションは、一般的なクルマのフォルムづくりでは御法度の連続なんですね。ドイツ人は合理的なので、こういう難しいことはやらない。だから、彼らからしたら、いったい何が起こっているのか理解できない。理解できないけれども、何か思うところがあったのでしょうね」

「VISION COUPE」には、「引き算の美学」が取り入れられている。
「削ぎ落しの美学」ともいわれる。古来から培われてきた崇高で繊細な日本の美意識だ。田中は、その美意識について、次のように説明する。

「与える情報を少なくしながらも、その中にあるわずかな情緒を見る人が感じ取れるようなデザインです。100輪の花を見せる西洋のフラワーアレンジメントの世界ではなく、1輪挿しに挿した一輪の花からたくさんの花の咲き乱れる景色を想像させるようなデザインです」

「削いで削いで削ぎまくる」――。前田は、「引き算の美学」をカーデザインに表現することに命を懸けた。前田は次のように述べる。

「単にシンプルにするのは、ドイツデザインでもやる。でも、本質だけを残すところまで徹底的にやるというのは、過去に例がない。デザイナーは基本、加えていくことを考える。加えれば安心する。削ぐのは怖いですよ。
価値や魅力を削ぎ落としてしまうんじゃないか。何もなくなってしまうんじゃないかという恐怖と日々、戦っています」

 ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、桂離宮を前に感涙したといわれる。なぜか。タウトは単なる形の美ではなく、その背後に存在する日本の精神性を見抜いたからだ。削いで削いで削ぎまくった後に残るのは、「余白」「移ろい」「反り」「間」からなる日本の美意識だ。

「この4つに的をしぼって、それをクルマのデザインにしたらどうなるかというアプローチで挑んだのが、『VISION COUPE』です」

 私は若い頃、ジャズを聴きまくった。そのとき、本場のアメリカンのジャズに比べて、日本のそれには独特の「間」があると思った。演奏している当人同士しかわからない絶妙の間。繊細なことに気を配ろうとする日本人の心の在処を象徴しているのだろう。その意味で、「余白」も日本人独自の世界観だ。田中は言う。

「書道では、余白をどうするかを考えながら、字で埋めていく。
日本画にしろ、龍安寺の石庭にしろ、全体の世界観や精神性を感じさせるためにあえて『余白』がつくられている」

「反り」もまた、微妙なカーブを美しいと感じる日本人ならではの感性だ。日本刀や神社・仏閣の屋根の形状に使われている。代表的なのは、唐招提寺の金堂、東大寺の大仏殿だ。

「もっとも難しかったのは、『移ろい』の表現です」と、前田は言う。永遠なるものを追求し、そこに美を感じ取る西洋の人たちに対し、移ろいゆくものに美を見いだすのは、日本人独特の感性だ。前田は、「移ろい」をボディサイドの光と影で表現してみせた。

「RX-VISION」は、フランスのパリで開催された第31回国際自動車フェスティバルにおいて、「Most Beautiful Concept Car of the Year」を受賞した。「VISION COUPE」も、第33回の同賞を受賞した。

●クルマの美しさへの危機感

「クルマはアートだ」――。そのスローガンには、マツダのデザインの底上げと同時に、コモディティ化するクルマへの警鐘の意図が込められている。

「そのくらいの覚悟でクルマをよくしていかないと、絶対にいいものはできない。その意味では、スローガンよりもっと上のものかもしれない」

 前田が「クルマはアートだ」と宣言したのは、自らを奮い立たせる意味もあるが、それ以上に生産部門のやる気に火をつける狙いがあった。

「自らを奮い立たせておかないと、量産に入ったとたんに妥協が生まれる。クルマはプロダクトだとあきらめた瞬間に、ダーッとなし崩し的に目指していたものができなくなってしまう」
 
 田中はこう言う。ドイツのデザインチームからはさっそく、クレームがきた。ドイツには、バウハウスを起源としたデザインのスタイルが存在する。モダンデザインの基礎をつくり、いまなお世界中の建築やデザインに影響を与えていることから、ドイツはデザインに強い自負を持っている。

「『クルマがアートなわけないだろう』と言うんですね。『それはわかります。われわれは、クルマがアートと言えるくらいのハードルの高いところを狙いたい。表現したいんです』といったら、そういうことかと納得してもらえたようです」

 自動運転やカーシェアリングなどにより、クルマのあり方は大きく変わろうとしている。何よりも車が「所有」するものから「共有」「利用」するものへと変われば、スタイリングに求められるものは大きく変わる。そうしたなかで、次のジェネレーションに向けて、マツダのデザインはどう変わっていくのか。

「今のジェネレーションを否定するところから始めなければいけない。だから、まずはいったん否定します。そのうえで理想を目指して最初から積み上げ直す。変わるところはあると思いますが、変わらないところもたくさんあるはずです」

 前田は、ヒット車をつくろうとは決して考えない。追い続けるのは、あくまでも美しさだ。その覚悟は半端ではない。

「われわれは、マーケットインのデザインはまったくしていない。むしろプロダクトアウトのデザインといっていいかもしれない。理想のクルマをつくったらこうなったというだけです」

 だから、マーケット志向のクルマづくりとは相いれない。いってみれば、唯我独尊だ。

「お客さまが求めるデザインをつくるなんて嘘だと思うんです。市場調査の結果からできあがったものを見せて、お客さまに選んでもらうなんて、プロの仕事じゃない。かつてはそうだった。我々はずっと楽をしてきたんです」

 いいクルマは、マーケティングではつくれないというのだ。

「ヒットさせるためのデザイン、つまりマジョリティを狙うのでは、マツダのクルマではなくなってしまう。だから、自分の引き出しをすべて開けて、最高のものを妥協なくつくることしか考えていない」

 マツダのクルマは、大量生産時代のアンチテーゼだ。だから、マツダは世界市場の2%に共感してもらえればいいと考える。実際、マツダの世界市場の占有率は2%にすぎない。日産カルロス・ゴーンは世界市場の占有率8%を目標にし、17年に3社連合の生産台数1060万台を達成した。トヨタを抜いて世界生産台数第2位に躍り出た。しかし、数値におぼれ、ゴーンは失脚した。マツダは逆である。すべての人に受け入れられる必要はない。世界市場の2%に共感してもらえればいいと言い切るのだ。ただし、コアなファン層をつかむのは、容易ではない。

「ものすごい緊張感ですよ。自分のすべての引き出しを開けてつくったものが受け入れられないとなると、お前のすべてが受け入れられないということになってしまいますから」

 マツダが世界市場の2%に共感してもらえればいいと割り切れるのは、経営規模が小さいからこそだ。それこそ、1000万台規模の自動車メーカーは、口が裂けても言えない。そこにこそ、マツダの経営の自由度がある。

 小よく大を制すという言葉がある。マツダは経営規模が小さいことを強みに、どこまでデザインに挑戦することができるか。日本のクルマの姿をいかに世界に発信できるか。それは、大規模自動車メーカーにはできないマツダだけのチャレンジだといえるだろう。
(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

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