このところの文化の動きを見ていて、とても不思議に思うことがある。それは、日本の社会が次世代の人々の心を鍛えることを放棄して、ますます過保護な方向に進んでいくことだ。
グローバル化の時代などと言われ、心を厳しく鍛え上げられた海外の超タフな人間たちとやり合っていかねばならないときに、なぜ子どもや若者の心を鍛え上げるという方向ではなく、むしろ逆の方向、つまり過保護なやさしさに包みこむ方向に行こうとするのだろうか。
●「やさしさ過剰」に歯止めがかからない
今の日本では、やさしい人が大人気だ。やさしくない人は敬遠される。嫌われたくないため、だれもがやさしさを売り物にしようとし、厳しいことは言いたがらない。別にやさしいことが悪いとは思わない。だが、どうも行き過ぎのように思われてならない。
ユング心理学者である河合隼雄の『母性社会日本の病理』が刊行され、子どもを温かく包み込むばかりで社会に押し出す力が欠けている現代日本の文化状況に対する問題提起がなされたのは1970年代後半のことだった。
その後も日本の社会は、ますます過保護なやさしさで包み込む方向に進み続けた。不登校の段階を過ぎ、大人になっても社会に出ていけない人たちが増えてきたため、引きこもりという言葉が広まり、2000年あたりからはニートという言葉も登場した。その後も、そうした動きは止まるところを知らず、今や学校段階を超えても社会に出ずに引きこもり続ける人たちがあまりに多いことが深刻な社会問題となっている。
それにもかかわらず、なぜグローバル化の時代に生き残っていけるように、子どもや若者の心を鍛えて、生きる力を高めるという方向に行かずに、過保護な方向に行くのだろうか。
親も教師も子どもの心を傷つけないようにすることばかりを気にして、「ほめて育てる」「叱らない子育て」に徹している。
だが、教育も子育ても楽をすればよいということではないだろう。次世代の将来がかかっているのだ。
これでは社会性を身につけさせることはできないし、厳しい社会の荒波を乗り越えていけないと思う教師が厳しさを発揮すると、保護者から糾弾されて処分問題に発展しかねない。ゆえに、もはや学校では心を鍛えることはできない。
そうして育った若者たちが傷つきやすく、厳しいことを言われるとへこんだり反発し、休んだり辞めてしまったりするために、企業でも「ほめて育てる」に徹し、やさしい言葉づかいで対応しようといった試みも始まっている。
企業としても、心が鍛えられず、傷つきやすい若者が目の前にいるわけだから、対症療法としてほめたりおだてたりせざるを得ないわけだが、はたしてこれでよいのだろうか。
●欧米追随ばかりの日本だが、なぜかここだけは決して真似をしない
教育もグローバル化の時代に対応が必要だといわれるが、なぜ心を鍛える方向にだけは行かないのか。多くの国々では、子どもや若者はものすごい厳しさの中を潜り抜けて大人になっていく。
たとえば、わかりやすいのが留年だ。欧米諸国では、小学生ですら留年は当たり前であり、小学校低学年でさえ、学力がその学年にふさわしくなければ留年させられる。なんでも欧米の追随をしたがる日本だが、小学生どころか、中学生でも滅多なことでは留年などさせることはない。
留年しないように力をつければよいという方向には行かずに、留年させるのはかわいそうだから学力は足りないけど学年は上げるという方向に行く。
規則を守らせるということに関しても、日本は異常なほどに甘い。自由や権利は責任や義務と一体であり、自由や権利を行使するからには一人前に自立していなければならない、逆にまだ一人前でないなら自由や権利は行使できないというのが欧米式だ。
ところが、今の日本では、子どもや若者を一人前に鍛え上げる前に、自由や権利を平気で行使させようとする。
フランスの親は、子どもに厳しいのが自慢で、子どもに欲求不満を与えるダメージを心配するどころか、子どもの頃にフラストレーションに耐えることが大事だと考えている(ドラッカーマン『フランスの子どもは夜泣きをしない』)。それに対して、日本の親の大半は子どもの自由を尊重し、ものわかりの良い親でありたいという。
親が子どもにどのようなことを期待するかを調べた国際調査を見ても、「親の言うことを素直に聞く」ことを子どもに強く期待するという親は、フランスでは80.1%、アメリカでは75.2%であるのに対して、日本ではわずか29.6%しかいない。
私の恩師たちがアメリカの研究者と行った日米比較研究でも、子どもが言うことを聞かないとき、アメリカでは親の権威に訴えて言うことを聞かせる、理由はわからなくてもとにかく親の言うとおりにさせようとするという母親が50%と圧倒的に多かったが、日本では、そのような母親はわずか18%だった。
日本で最も多いのは、言うことを聞くことにどのような意味があるかを理解させようとする母親で37%だった。アメリカでは、そのような母親は23%と、権威に訴える母親の半分以下だった。
●この「やさしさ過剰社会」はどこまでいくのだろうか?
いずれにしても、企業としては、このように育てられたレジリエンスの低い若者を、ほめたりおだてたりしてうまく使いこなさないといけないわけだから仕方ないにしても、これから育てる側の教育現場もそれでよいのだろうか。
叱ると傷つくからといって叱らない。厳しいことを言うと傷つくからといって、とにかくほめることに徹する。自由度が高い幼稚園から授業時間など枠に縛られる小学校への移行がうまく行かない子が増えてきたといって、小学校の壁を低くしようと工夫する。小学校から中学校への移行の際に友だちが変わり戸惑う子が多いからといって、小中学校の連結を工夫しようとする。
このようにますます過保護になっていき、その動きに歯止めがかからない。これでどうして心が鍛えられ、変化に強い人間が育っていくのだろうか。
レジリエンスを鍛えられずに育てられる多くの若者たちは、この先どうなっていくのだろうか。現に、日本の若者はすぐに心が折れるから、ハングリーで心がタフな外国人を雇う方向にシフトしているといった話を経営者から聞くことが多くなった。
今ここで、子育てや子どもの教育のあり方をしっかりと考え直す必要があるのではないだろうか。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)