酉島伝法のデビュー作「皆勤の徒」は衝撃だった。同作を巻頭に収めた同題の連作集は、第三十四回日本SF大賞を射止めた。
本書『宿借りの星』は、それにつづく待望の作品。書き下ろし長篇だ。
『皆勤の徒』と同様、異様生態系描写/異様語彙SFで、いっさいの説明抜きに次のような文章が繰りだされる。
征(せい)なる御侃彌(おかんみ)の一柱であるオラツラワ様の心窩(しんか)から、厄霊(やくりょう)避けの事無霧(ことなぎり)が絶え間なく湧き出しており、半侃(はんかん)ほどの距離しか見通せないのだ。脚搬(きゃはん)の筋ばった長い脚の動きが、霧をゆるりとかき乱している。
ううっ、書き写すだけでもタイヘン!
こういうのが全篇にわたってつづくのである。しかし、言葉というのは奇妙なもので、漢字の字面や声にしてみたときの響き、そしてなによりも文脈において、おぼろげながら意味が伝わってくる。
ソシュールの言語学の基本概念、シニフィアン(記号表現)/シニフィエ(記号内容)持ちだすまでもなく、表現があるところでは必ず意味がともなう。ここでいう意味とは、辞書的な定義とは限らず、その言葉にふれたとき受け手の脳裡にあらわれる像のことであり、かならずしも明確な輪郭をもっているとはかぎらない。
この仕組みは、人間の認知能力と不可分だ。酉島さんはそれをよく理解したうえで、独自の造語感覚を発揮し、独自の手ざわりを備えた異世界を紡ぎだす。言葉だけの問題ではなく、そこには見知らぬ器官を持ち、不思議なエコロジカル・システムを営む生命がうごめいているのだ。解説で円城塔さんは『昆虫記』のファーブルを引きあいに出しているが、けだし慧眼である。
しかし、生というのは、それがどんなものであっても苛酷であり、また僥倖でもある。『宿借りの星』を、私たちは観察者のように眺めることはできない。そこにいるのがまったく異なる生物であっても、その苦しみや煩悶、あるいは希望や喜びに引き寄せられてしまう。
物語の主人公マガンダラは、オラツラワ様を頂点にいただくヌトロガ倶土(ぐに)で、賜盃(しはい)方として砲戴(ほうだい)様の射程頭(しゃていがしら)にまで登りつめたズァングク蘇倶(ぞく)だった。しかし、かねてより関係が悪化していた誼兄弟のヤドロヌワと互いの鎧腕を振り合っているうち、相手の禍弾を突いて殺してしまい、尻尾切断のうえで倶土を追放されてしまう。
あてどなく彷徨ううち、ラホイ蘇倶のマナーゾに命を助けられる。ズァングク蘇倶にとってラホイ蘇倶は捕食対象だが、マガンダラは食欲をがまんして、マナーゾを誼兄弟として重用する。マナーゾも「兄貴」といって慕ってくれる。じつのところマガンダラは、成人後に性を㚻(おとこんな)に固定したので、「兄」と呼ばれるのはおかしいのだが。
マナーゾから情報を得て、マガンダラは自分がいまいるのがマルバハシュ倶土から少し離れた場所だと知る。マルバハシュ倶土までたどりつけば、旧知のドソチ師がいる。かつて揉めごとばかり起こしていたマガンダラは、ドソチ師の覚えめでたいとはとてもいえないが、訪ねていけば無下にされることもないだろう。だいいち、ほかに頼れるあてもないのだ。
マルバハシュ倶土に着いてからもすったもんだはあったが、苦労の甲斐あってドソチ師への面会が叶う。しかし、師から聞かされたのは、とんでもない話だった。
マガンダラは戸惑う。いや、それはラホイ蘇倶のことを知り、彼らが内面を備えていると気づいたからで、あくまで自分の意志でおこなったことだ。
ドソチ師に従う仲裁人が、マガンダラは卑徒䖝に寄生されてからさほど時干(じかん)が経っていないため、神経網が融縒(ゆうさ)されていないのだという。マルバハシュ倶土へ来るまでに、マガンダラは頭痛で苦しんだり、自分が卑徒になった夢を見たが、それは卑徒䖝のしわざだったのか。
物語の端々に、この星----御惑惺様(みほしさま)と呼ばれている----の歴史が語られている。かつて卑徒が植民を試みたが、さまざまな異種蘇倶とのあいだで大規模な戦争が勃発し、結局、卑徒は滅ぼされたのである。いま、奇妙なかたちでその逆襲がはじまろうとしていた。
ちなみに、仲裁人は元々、卑徒(ひと)の惑星で、ある党派の集合意識を統合する代議代替体としてつくられたのだが、のちに御惑惺様に再構成されて郷星との仲立ち役を務めることになった。卑徒は滅びたあとは、各地に潜伏していたが五戦(せん)ほど前に捕囚となり、死を引き延ばすためにシェヘラザードのように情報を小出ししているのだ。
ドソチ師によれば、ヌトロガ倶土には卑徒䖝がはびこっており、その侵攻を食いとめるためにはまず現地の状況を把握しなければならない。マガンダラよ、おまえはヌトロガ倶土へ戻り、わしの目と耳になるのだ。
ちょ、ちょっと待ってくださいよ、わたしは追放されたんですよ、もし戻ったら即処刑になっちゃますよ。そう嫌がるマガンダラだが、師は聞かない。こいつを手土産に知れば大丈夫だと言って、仲裁人をつきそわせる。ほかにもうひとり、全身が棘だらけのカドゥンク蘇倶の女ガゼイエラが同行する。
ここまでが五百ページ強からなる物語の、まだ四分の一。ものすごい密度だ。
ヌトロガ倶土へ潜入した四人、マガンダラ、マナーゾ、仲裁人、ガゼイエラのどこかちぐはぐなやりとりがユーモラスで楽しい。いっぽう、卑徒䖝に取り憑かれているはずのヌトロガの倶民(くみん)の様子が、いっけん普通なのがかえって謎めいている。
この小説は三部構成になっている。マガンダラがヌトロガ倶土へ戻り、オラツラワ様を笑わせ(なぜ笑ったのかはマガンダラにも誰にもわからない。オラツラワ様はおそらく倶民ごときの思慮など超えたところを見ておられるのだろう)、地位を回復するまでが「前編 咒詛(じゅそ)の果てるところ」。この惑星へ入植を試みた人間の末裔の視点から描かれた中間パートが「海」。そして、ふたたびマガンダラの視点に戻って、思いもしなかったかたちで卑徒が復活しはじめ、御惑惺様の起源にまつわる大いなる謎が明かされるに至るのが、「後編 本日はお皮殻(ひがら)もよく」だ。
吃驚するのが「海」で、ここではマガンダラの物語とはまた違う(一部に重なる部分もあるが)異様生態系描写/異様語彙が駆使され、人間の意識のありようが根本的に変わっている。人間は通常の意味での肉体を失い、食物連鎖を利用して宿主から宿主へと移動する寄生体と化している。意識の広がりは、そのときの宿主の神経規模に依存し、人間が人間のかたちで生きたころの記憶を、宿主のなかで反芻しながら生きている。つまり、生命の維持は環境に委ねつつ、意識は一種のヴァーチャルリアリティを揺蕩っているのだ。それを外側からではなく、夢を見ながら夢であることを意識している(ただし目覚められない)明晰夢のような感触で描き抜く。
それが、「前編」「後編」と対照しあって、作品に風変わりな迫力を与えている。その構成もじつに見事だ。
(牧眞司)
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