濱川明日香さん(左)と知宏さん。二人が経営するバリ島ウブドのエコホテル「Mana Earthly Paradise」で(現在臨時休業中)。

社会課題に取り組む。社会をよくする、少しでも。

この壮大な取り組みに、パートナーと共に二人で立ち向かう、という生き方を選んだ人たちがいる。一人ならつらくて苦しいことも、二人なら前向きになれるかもしれない。逆に、二人で同時にリスクを取るから、逃げ場がなくなるかもしれない。そんなカップルにインドネシアで出会った。

彼らは、なぜ、どうしてそんな選択をしたのか。そして、何をしているのか——。

濱川明日香さん知宏さんは、「アースカンパニー」という組織をつくり、2014年からバリ島を拠点にアジア太平洋の社会起業家の支援をしている。そのかたわら、2019年からウブドの地にエコホテル、レストランとエコショップを開業、バリ島の社会起業家を訪問するスタディツアーなども行っている。「2人でやっているのは、宿命的なものを感じる」と、知宏さんは言う。

南の島で感じた生きる喜び、温暖化の危機

二人の間には三人の子どもがいる。長女と。

それぞれの生きてきた道は、かなり型破りだ。

明日香さんは東京で生まれ、都内の私立女子校に通っていたが、同調圧力の高さに息苦しさを感じ、いじめも受けた。高校の時に留学したアメリカで自由を知り、自分を取り戻す。大学は米国ボストン大、卒業後は外資系のコンサルティング会社に東京で就職……と途中からは絵に描いたような華やかさ。

だが、それだけにはとどまらない破天荒さと奔放さを彼女は持っていた

太平洋の島が大好きで、休みのたびにトンガやフィジー、サモアをたずね、虜になった。

裸電球が一つしかないような家に居候して、日の出と共に起き、椰子の実を割って喉の渇きを癒やし、おなかがすいたら野生の豚に椰子の実を投げて失神させさばいて丸焼きにして食べる。その炎を囲んで誰かがギターを奏で、歌って踊る。

「もう、最高です。毎日全力で生きてる、生きることに専念という感じで」。

しかし、楽園のはずの南の島は地球温暖化の影響で危機に瀕していた。その厳しい現実を彼女は胸に刻み込む。

数字やエクセル、緻密な分析が大好きという一面もあり、コンサルの仕事は楽しかった。が、高層ビルの窓の開かない密閉空間、ハイヒールで毎晩夜中まで働く都会の生活は窒息しそうだった3年でやめてハワイ大学の大学院で気候変動を学ぶ

ここで出会ったのが知宏さんだった。

出会いから遠距離恋愛、そして結婚へ

「帰国してない帰国子女です(笑)」と知宏さん。

知宏さんは横浜で生まれ、幼稚園を英国、小学校が横浜、中高と米国の寄宿舎の学校を出て、米ハーバード大で人類学を学ぶ。これまたエリートのお手本のような経歴で、その続きも米大手投資銀行に就職が決まっていた。

しかし、それに飽き足らず、中国に関心があったため中国にわたって語学を学び(この間にSARS騒ぎがあり、いったん米国にもどってニューヨークの焼き鳥屋でバイト、などの紆余曲折もあるのだが)、米国のNGOに加わってチベット高原の国際協力の現場で働く

「大学で文化人類学を専攻して、民族や社会の独自の発展に興味があったので。大学2年の時にボツワナでインターンをしたこともあったし、国際開発の現場を見たかったんです」。

その後、ハーバードのケネディスクール、公共政策大学院で修士号をとり、在学中にユニセフのインターンでインドの支援の現場を体験する。

大学院卒業後に参加したリーダーシップ・プログラムが、ハワイ大学内に拠点がある米国機関のものだった。

明日香さんも同じ寄宿舎に住んでいたことから知り合い、二人で焼き肉を食べに行って意気投合

だがその後、知宏さんは、英国系の財団に就職し、国際支援のプロジェクトマネージャーとなる。インド支部で2年、ロンドンに2年。現場の仕事が川下だとすれば、こちらは川上の仕事だった

明日香さんは2011年の大学院卒業直前に東日本大震災が起こり、いてもたってもいられず、5月に宮城・石巻入りして年内は復興支援のNGO活動に携わった。

翌年1月、石巻での活動を終えて戻った東京で再会。ロンドンと東京での2か月の遠距離恋愛を経て、結婚

ハワイで出会い、東京で再会して、バリに住む二人。

パートナーになることは「宿命的」だった

二人で何かやりたいね、とはよく話していたんですが」と明日香さん。ただ、それが何なのかはそれぞれが活動するうちに見えてきた。2人ともNGOでの活動経験があり、明日香さんはビジネス、知宏さんは財団で働いた経験がある。知宏さんは「ビジネスパートナーとしてはぴったりだと思えたんですよ。宿命的というか」。

この間、明日香さんは2013年に長女を出産。「日本で子育てをしたくなかった。日本は子どもが子どもらしく生きるのが難しい国」(明日香さん)。そこでバリに移住を決める。

明日香さんにはハワイ時代にもう1人、人生を変える出会いがあった。

東ティモール出身の女性、ベラ・ガルヨス。東ティモールはインドネシアに併合されていたが、ガルヨスは独立運動に身を投じ、カナダに亡命。祖国独立後に戻り、ハワイ大学に留学していたのだ。

彼女が何か大きいことをするときには、絶対に応援しよう、と決めていました」。その思いが社会起業家支援を始めるきっかけだった。そう、明日香さんは共感力が強く、かつ有言実行の人なのだ。

ガルヨスが支援第一号だ。彼女の夢だった環境教育学校や、オーガニック農業エコツーリズムを通じた地方創生の拠点を設立するのに寄り添い、実現させた。

「アスカとトモには感謝してもしきれない」とガルヨスは言う。

その後も、バリのウブドなどで24時間365日、無料の助産院を経営するロビン・リムや、マーシャル諸島で気候変動に取り組む詩人、キャシー・ジェトニル=キジナーなどを支援してきた。

多くの苦労よりも、それを上回る喜びが2人一緒のよさ

自宅のバスルームにかけられていたもの。

2人で一緒にやっている良さとは何だろう。

「数で言ったら、苦労のほうが喜びよりは多いですよ」と明日香さん。知宏さんも「公私の区別がつかなくなってしまって難しいところはあります」。

でも、「最後に来る喜びは他の何にも代え難い。苦しい道ではあるけれど、弱音を吐けるのは彼にだけ。本当にありがたいし、幸せだと思う。お互い一人だったらできていないことが実現できている」(明日香さん)。

「(明日香さんは)自分にとっても、まわりにとっても太陽みたいな存在です。エネルギーの源です」(知宏さん)。

苦労も多いけれど、それを上回る喜びの人生。「それが、私たちの選んだ道です」(明日香さん)。

取材・撮影/秋山訓子

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