いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。


今回は、立川の立ち食いそば店「哥川」をご紹介。

○つくり置かない"揚げたて天ぷら"の存在感が光る「天ぷらそば」

少し前、数十年ぶりで立川の「トスカーナ」というイタリアンレストランを訪れたことを書きました。とても懐かしくいい体験だったのですが、じつはそこまでの道すがら、気になるお店を見つけたのです。

場外馬券場「ウィンズ立川」A館一階というシブい場所で営業する、「哥川」という立ち食いそば店。

店頭にかかるのれんは、「うどん・そば」という文字がかろうじて確認できるとはいえズタズタ。むしろ、その横に立つ「カツ丼」というのぼりのほうが目立っています。
そして、オレンジ色をした上部のプレート部分には「立喰 丼物 そば うどん 哥川」との表示。「うたがわ」と読むようです。

外からだと店内の様子を確認しづらいのですが、なんともブルージーでそそられてしまう雰囲気。それが印象的でずーっと頭に残っていたため、ある平日のお昼前に突撃してみたのでした。

やや薄暗い店内の中央部分は立ち食いスペースになっていて、そこを囲むように、右、突き当たり、左にもカウンターが。厨房は、左のカウンターの向こう側。
喫煙OKのようで壁は煤けていますが、たばこの匂いはしません。

中央の立ち食いスペースの楕円っぽい形状とか、壁にあしらわれた謎に斜めの柱(状のもの)、もともとはペパーミントグリーンだったのだろうと思われるそれらの色調など、どことなく80年代風ではあります。

と思ってあとから調べてみたら、ウィンズ立川ができたのが1985(昭和60)年なのだとか。つまり、その当時から営業を続けているのでしょう。

なお基本的には立ち食いですが、折りたたみのスチール椅子も点在しています。

店内に流れていたのは、文化放送の「くにまる食堂」。
この番組を流してる飲食店って、けっこうありますよね。武蔵小金井の「コーヒー&パブ KEN」もそうだった。

ところで壁に目をやると、数箇所に「貸して不仲になるよりも いつもニコニコ現金払い お願いします」と書かれた紙が。そうだよねー、それがいいよねー。

メニューは立ち食いそば店の定番メニューに加え、もろきゅう、枝豆、冷しトマトなどのおつまみも(「ウインナーもどき」ってのがあったけど、なんですかそれ?)。ビール、焼酎、サワーなども充実しているので、場外馬券場帰りの人が一杯やるのかもしれません。


その気持ちもわかるとはいえ、なにせ午前中だったのでぐっと我慢。で、いちばん最初に目についた「天ぷらそば(生卵入り)」を注文することにしました。「さては無難な道を選びやがったな」と自分にツッコミを入れてみたりもしたのですけれど、結果的にはこれが大正解だったんだな。

なぜって店主さんは、オーダーが入ってから天ぷらをつくり始めたから。しかもネタをひとつずつ衣に絡ませ、ていねいに揚げていくんですよ。立ち食いそば店の天ぷらはつくり置きで当然だと思っていたので、これはビックリ。
そして感動。ジュッという音がしてしばらくするといい香りがしてきたものだから、おのずと気分も高まります。

そのぶん時間はかかるわけですが、たとえ途中でお客さんが入ってきても店主さんは決して慌てません。あとから入ってきた老人男性ふたりが常連っぽかったせいもあるのでしょうが、天ぷらを揚げる作業と接客を見事に両立させているのです。さすがだわー。プロだわー。


そしてほどなく、「お待たせしました、すみませんね」という声とともに天ぷらそばが登場。カウンターから受け取って、正面奥のカウンターまで運びます。

揚げたての天ぷらは、大きめのかき揚げと茄子の2種。丼を覆い尽くすそれらには、生卵とワカメ、ネギがこっそり共存していることを忘れさせてしまうほどの存在感があります。

食べればもちろんアツアツで、カリッとした食感も心地よいったらありゃしません。

しかも、そばもまた予想以上。なにしろ立ち食いそば店ですから、上記の天ぷらと同じように、そばもフニャフニャであたり前だと思っていたんですよ。否定的な意味ではなく、立ち食いそばってそういうものじゃないですか。ところが、ここのそばは違ったんだな。キリッとコシのある本格派、とまではいかないにしても、しっかり歯ごたえがあってフニャフニャ感は皆無。これまた予想以上のクオリティだったのです。

甘めのつゆも、そばと天ぷらとの相性がいいし、これは大正解。

あとからのおふたりも天ぷらそばを頼んでおりましたが、人気メニューなのでしょうね。充分に理解できます。

そして、特筆しておくべきことがもうひとつ。ひとりで切り盛りされているご主人、接客も万全だったのです。調理が一段落したら厨房からわざわざ出てきて、「はい、どうぞ」とお冷やを運んできてくださったり、「椅子、あるから座って」と椅子を近くまで持ってきてくださったり。そこまでしなくてもいいのにと思ってしまうほど、配慮が行き届いているのです。

帰り際には、「ありがとうございました。行ってらっしゃい」と笑顔で声をかけてくれたりもしたし。気持ちがいいなー。

ちなみにカウンター脇に置かれた小さなフレームには、「信州信濃のそばよりも わたしゃ哥川のそばがいい」と書かれた手書きのカードが。

「信州信濃のそばよりも わたしゃあなたの傍(そば)がいい」という有名な都々逸のパロディですが、これを書いた人の気持ち、ちょっとわかるかもしれません。

●哥川
住所: 東京都立川市錦町1-3-6 ウィンズ立川A館1F
営業時間: 平日8:30~18:30、土日7:00~17:00
定休日: 水

印南敦史 作家、書評家。1962年東京生まれ。音楽ライター、音楽雑誌編集長を経て独立。現在は書評家として月間50本以上の書評を執筆。ベストセラー『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社、のちPHP研究所より文庫化)を筆頭に、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『読書する家族のつくりかた 親子で本好きになる25のゲームメソッド』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)、『読書に学んだライフハック――「仕事」「生活」「心」人生の質を高める25の習慣』(サンガ)、『それはきっと必要ない: 年間500本書評を書く人の「捨てる」技術』(誠文堂新光社)、『音楽の記憶 僕をつくったポップ・ミュージックの話』(自由国民社)、『「書くのが苦手」な人のための文章術』(PHP研究所)、『いま自分に必要なビジネススキルが1テーマ3冊で身につく本』(日本実業出版社)ほか著書多数。最新刊は『先延ばしをなくす朝の習慣』(秀和システム)。 この著者の記事一覧はこちら