めまぐるしく愛おしい88年間の日々を支えてくれたのは、いつも“おいしいもの”だった――。『魔女の宅急便』の著者であり、「魔法の文学館」開館や「紫式部文学賞」受賞でも話題の作家・角野栄子さんのエッセイ集『おいしいふ~せん』(NHK出版)から、珠玉の5篇を試し読み。
文中に登場するカラフルで愉快なイラストも、角野さんご本人の手によるものです。
今回のお話は、「不思議なご商売」。

○不思議なご商売

その昔、ブラジル、サンパウロの中心部に近い、でも少々怪しい道沿いのアパートに暮らしていた。今思い出すと、よくもまあと思うけど、その危うさがおもしろいと思っていたのだから、若さとはありがたい。そこで私は、ブラジル暮らしの全てを教えてもらったような気がする。

名前は忘れてしまったけど、その道に、「***兄弟店(***イルマンス)」という名の「食料品店」があった。
でもその店は道を挟んで、2店向かいあっていて、兄弟それぞれが店主なのだった。双子ではないのに、身体つきが同じ、小柄で、痩せていた。ブラジル人というと、にぎやか好きというのが通り相場だけど、時には、立ち振る舞いも遠慮がちで、ものすごーく寡黙な人がいる。この兄弟がそうだった。店は向かいあっているのに、両方とも、売っているものは全く同じ。まずチーズ、塩、砂糖、粉類、豆類、米類、缶詰、サラミ、たらの干物、水、安いお酒、洗剤などなど、なま物はなかった。
なんでも屋さんみたいなのに、なんでもそろうわけではない。お米など買おうと思っても、毎度どっちに行こうかと迷ってしまう。私にしてみれば、なんでこうなるの??? なのだ。どうせなら、どっちかが、肉屋さんとか、八百屋さんとかなら、こっちも助かるのに。でもそうじゃないところが、おもしろくも不思議なところ。品物が足りなくなると、お兄ちゃんはお客さんを待たしておいて、物静かに通りを渡って、弟の方に借りに行く。
またその反対もあり。その時、紙になにやら書いて渡している。どうも借用書らしい。それが案外頻繁に起こる。仕事はきちんと分けられているようだ。

ところが、そこにはネズミ兄弟も住んでいて、こっちの方は、なかなか賑やかなのだ。
石畳の道を素早く渡って、反対の店に姿を消す。
「あっ、ネズミも足りないものを向こうで調達するつもりだ」
行ったり来たりをアパートのベランダから幾度となく目撃した。
こっちは借用書はなしらしい。
そのたびに、私はクスッと笑ってしまった。
穴あきチーズを買うときは、穴の形に用心しなけりゃ。
なんとも言えない、いい風景だった?
今日、グーグルマップを回して、この通りをのぞいてみた。
もう店は2つともなかった。60年も前の話、当たり前だけど。

本連載は、 『おいしいふ~せん』より、一部を抜粋してご紹介しています。

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○『おいしいふ~せん』(NHK出版)
著者:角野 栄子

たんぽぽの汁を吸って亡き母を想った子ども時代、初めての味に驚きの連続だったブラジル生活、『魔女の宅急便』の読者から届いたゆすらんめのジュース……。めまぐるしく愛おしい88年間の日々を支えてくれたのは、いつも“おいしいもの”だった。角野栄子さんならではのユーモアと温かみにあふれる文章と、カラフルで愉快なイラストを散りばめたショートエッセイ56篇を収録した本書は、かわいい装丁とサイズ感はプレゼントにもぴったり。
何気ない毎日の愛おしさに気がつき、前向きになれる一冊は、Amazonで好評発売中です。

○PROFILE:角野 栄子(かどの・えいこ)

東京・深川生まれ。大学卒業後、紀伊國屋書店出版部勤務を経て24歳からブラジルに2年間滞在。その体験をもとに書いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で1970年作家デビュー。1985年に代表作『魔女の宅急便』で野間児童文芸賞、小学館文学賞受賞。2000年に紫綬褒章、2014年に旭日小綬章を受章。2016年『トンネルの森 1945』で産経児童出版文化賞 ニッポン放送賞を受賞。2018年に児童文学のノーベル賞ともいわれる国際アンデルセン賞作家賞を受賞。2023年に『イコ トラベリング 1948ー』で紫式部文学賞受賞、11月に江戸川区角野栄子児童文学館が開館。