「名画」と呼ばれる絵画には、思わず誰かに話したくなるような物語が存在します。本記事では、世界中の名画の“裏話”を紹介した『ムンクは何を叫んでいるのか?』(井上馨 著/サンマーク出版 刊)から、一部を編集・抜粋してお届けします。

○作者:アンディ・ウォーホル/所蔵:アンディ・ウォーホル美術館など

マリリン・モンローの顔が並んでいる。

同じ顔が何枚も、派手なピンクや黄色や青で彩られて、ずらりと並んでいる。20世紀を代表するアメリカの大女優。その顔が、まるで商品のパッケージのように、繰り返し印刷されている。

これが芸術なのだろうか。

そう思った人もいるかもしれない。実はこの作品、画家が筆で描いたものではない。写真をシルクスクリーンという印刷技法で転写し、色をつけたものだ。

つまり、同じものを何枚でも作れる。大量生産が可能なのである。

手描きではない。一点ものでもない。
誰でも複製できる。

そんなものが芸術と言えるのか?

もしあなたがそう反発したなら、おめでとう。それこそが、作者アンディ・ウォーホルの狙いである。

ウォーホルは、その問いを投げかけるために、この作品を作ったのだ。

ただし、「複製可能なものは芸術か?」という問いかけ自体は、ウォーホルが最初ではない。その数十年前、マルセル・デュシャンという芸術家が、大量生産された便器に署名をして「これは芸術だ」と展示した。何が芸術で何が芸術でないのか、その境界線を揺さぶる試みは、すでに始まっていた。

では、ウォーホルの本当の革命とは何だったのか。

それは、題材の選び方にある。

あなたは「絵画」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。

神話の一場面。王侯貴族の肖像画。
美しい風景。歴史的な事件。絵画とは、高尚なもの、特別なものを描くもの。そんなイメージがないだろうか。

ウォーホルは、それを完全にひっくり返した。

彼が描いたのは、スーパーで売っているキャンベルスープの缶だった。コカ・コーラの瓶だった。そして、テレビや雑誌で誰もが見る女優の顔だった。

どこにでもあるもの。誰でも知っているもの。広告やメディアで毎日目にするもの。そんな大衆文化のイメージを、ウォーホルは堂々と芸術の舞台に持ち込んだのだ。


考えてみてほしい。それまで、スープ缶を芸術として美術館に飾るなど、誰が想像しただろうか。女優のブロマイド写真を、絵画と同じように展示するなど、誰が考えただろうか。

ウォーホルはそれをやった。そして、世界はそれを受け入れた。

彼の作品は「ポップアート」と呼ばれるようになる。大衆文化(ポピュラーカルチャー)を題材にした芸術。高尚である必要はない。身近なものでいい。私たちの日常にあるものだって、芸術になりうる。

ウォーホルは、芸術のハードルを下げたのではない。

芸術の定義そのものを広げたのだ。


Summary
芸術は高尚なものでないといけない。そんなルール、誰が決めた?

○『ムンクは何を叫んでいるのか?』(井上馨 著/サンマーク出版 刊)

ムンク『叫び』、フェルメール『真珠の耳飾りの少女』、ゴッホ『ひまわり』、モネ『睡蓮』など……

誰もが知っているあの名画のときにせつなく、ときにミステリアスで、ときに驚きに満ちた、誰かに思わず話したくなる物語。

世界には、数えきれないほどの絵画がある。

その正確な数は、誰にもわからない。

ただ、1つだけ確かなことがある。

それは、描かれた絵の数だけ描いた人の人生があり、そして、絵の中にいる人物の数だけ語られていない物語がある、ということだ。

そして、我々はそのほとんどを知らない。

知らないまま、「美しい」「考えさせられる」と言い、分かったつもりで絵を見ているのだ。

だが、額縁の外に目を向けると、そこにはときに、せつなく、悲しく、目を背けたくなるほど壮絶な物語やときに愚直で、切実な愛の物語が隠れている。

ノルウェーの画家・ムンクが描いたかの有名な『叫び』もそのひとつである。

多くの人は、あの絵はムンク自身が頬に手を当てながら叫んでいる絵だと思っている。

ところがあの絵に描かれたムンクは何も叫んでいない。


あれはムンクが耳を塞ぐ様が描かれた絵なのだ。ムンクは叫んだわけではなく、聞いたのである。彼にしか聞こえない「何か」を……。

本書で紹介するのは、そんな絵には描かれていない48の謎に満ちた物語だ。

作者が背負っていた運命。言葉にできなかった思い。

そして、描かれた人物たちが、その一瞬を迎えるまでに歩んだ時間。

それらを知ったとき、あなたはもう以前と同じようにそれらの絵を見られなくなるだろう。

まったく違う絵に見えることすらあるかもしれない。

そしてその話を、あなたは誰かに話さずにはいられなくなるはずだ。

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