アイドル時代の経験はビジネスにも応用できる――。そう語ったのは、株式会社Dctで代表取締役を務める元AKB48の島田晴香さん。
【写真】社会人として新たなキャリアをスタートさせた元メンバーAさん
芸能人から会社員への転身――ストレスで10kg太ってしまったことも…
島田さんは、2017年11月に約8年半のアイドル時代を過ごしたAKB48を卒業し、翌月に芸能界を引退した。引退後はロンドン留学、一般企業への就職を経て、2020年5月に株式会社Dctを設立。以降、過去の自分と同じく、アイドルを卒業した後輩たちのセカンドキャリア支援に取り組んでいる。
「AKB48を卒業した時点でやりきった気持ちがあって、芸能界への未練もなかったです」と語る島田さんは、なぜ10代後半から20代前半に青春をささげた世界から離れたのか。
「芸能界を辞めようと考え始めたのは、引退の約2年半前でした。将来、自分が何をしたいのか考える中で『次の目標は芸能界ではない』と気が付いたんです。相談したスタッフさんからは『卒業しても芸能界と両立すればいい』と言われましたが、区切りを付けて次の道に進みたい気持ちがあって。『芸能界入りのきっかけになったAKB48で、芸能人生を終わらせたかった』とも考えていたので、引退を決めました」(島田さん)。
転機となったのは、引退直後のロンドン留学だった。1年間の海外生活で、さまざまな国籍や人種の人たちとふれあいながら「いろいろな生き方があっていいんだ」と実感。その経験をヒントに、アイドルのセカンドキャリア支援に関心を持ちはじめた。
帰国後、起業を志した島田さんは、社会人としてのスキルを身に着けようと一般企業の営業職で就職する。しかし、芸能人から会社員への転身には、相応の苦労もあった。
「芸能界での働き方と一般的な働き方の違いに苦しみました。ストレスを抱え過ぎて、就職して3ヵ月間で10kgも太ってしまい…。パソコンのスキルもなかったですし、ビジネス用語もスッと入ってこなかったんです。芸能界では何時でも『おはようございます』とあいさつしますけど、外の世界に出たら、夕方にそのあいさつはおかしいじゃないですか(笑)。それがクセで出てしまったり…。名刺の渡し方や電話対応の仕方すら知らないまま会社員になったので、同世代と比べて仕事のできない自分が嫌になったんです。できない自分を見せるのも悔しかったので、先輩や上司に必要なことを聞けない葛藤もありました。
でも3ヵ月を過ぎたころからは吹っ切れたというか、新人だからこそ聞けることもあると割り切ったんです。そこからは先輩や上司に分からないことはどんどん質問をして、メモをしてと、繰り返しながら覚えていきました」(島田さん)。
新たな“ステージ”で成長の手応えを感じた会社員時代。島田さんの中にはもう一つの葛藤があった。過去のキャリアを示す「元AKB48」の肩書きがあったからだ。
「名刺交換の場で『あれ?』と気付かれることもありました。就職した当時は嫌で隠していましたね。アイドルだから『できなくても仕方ない』と言われるのが、悔しくて。割り切れるようになったのはやっぱり半年ほど経ってからで、営業職として『元アイドルの看板を使わないのはもったいない』と思考を変えたからです。元アイドルの肩書きがあると話が弾むし、クライアントさんとの距離を縮めるきっかけにもなるので、相手との接点にして、営業職に役立てられるようになりました。今はもう、言われても動じません。私がAKB48だったと気付いていただけるのは、ありがたいです」(島田さん)。
島田さんが経営する株式会社Dctは「アイドルのネクストキャリアサポート」をミッションに掲げる。核となる「プログラム」事業では、社会人として必須のビジネスマナーやPCスキル、マインドセットを指導。芸能人から会社員へ転身した当時、自ら苦労した経験が現在の取り組みにつながった。
「私自身がビジネスマナーやPCスキルの習得に悩んでいたとき、『私と同じ壁にぶつかる後輩の子たちもきっといる』と考えて。アイドルを卒業し、芸能界を引退した先で、次のキャリアを考えたくなったときに、同じ思いを味わってほしくなかったんです。ある程度のスキルを身に付けてから会社員になれば、自信を持って仕事に取り組めるでしょうし、成長も早いと考えているので。芸能界で頑張っている子たちが次のキャリアを考えるとき、一つでも多くの選択肢を増やしてあげたい気持ちがあったので、現在の事業を立ち上げました」(島田さん)。
4月から営業職に就いたAさんが感じる“アイドル時代との違い”
島田さんの会社は5月で創業から3年目に。そして4月には、島田さんの会社で「プログラム」を受講した元48グループのメンバーだった3人が、社会人として新たなキャリアをスタートさせた。
そのうちのひとり、Aさんも自身の将来を考えた上で48グループを卒業し、芸能界を引退した。
卒業後は「何をしたいのかは決まっていなかった」というAさんだが、島田さんの元で社会人として必要なスキルの指導を受けて、今春から株式会社W TOKYOに入社。東京ガールズコレクションのイベント企画・制作のほか、広告代理業やPR事業を展開する企業で営業職に就いたばかりだ。
現在、新しい環境で報告書作成やクライアント企業とのコミュニケーションを行うなど、慣れない業務と奮闘するなかで、アイドル時代との一番の気持ちの違いをこう語る。
「アイドル時代は『他人と異なること』が大事だと考えていました。ほかのメンバーと同じ経験をしても、違う発言やリアクションを取って目立つのが一番と。でも会社で働く今は、所属する部署の成果を達成するために、その一員として協調性や足並みをそろえることが必要です。まずは社会人として基本的なマナーを身に着けて、もう少し仕事に慣れてきてたら、自分が得意とする強みをみつけて個性を発揮していきたいです」(Aさん)。
新たな“ステージ”で1歩ずつ、進み続けるAさん。職場では自身のスキルアップなど課題もありながら、会社員としての未来を描いている。
「具体的な将来像は今も探している段階ですが、進路に迷う後輩(アイドル)の目標になれるように、外の世界でも活躍できる女性を目指しています。まだまだこれからですが、芸能界でお世話になったスタッフさんにも頑張っている姿をお見せしたいです」(Aさん)
Aさんの最終面接を行ったという株式会社W TOKYO代表取締役社長・村上範義氏は、元アイドルの社員採用に期待を寄せている。
「彼女はプロのアーティストとして一般の学生とは違う景色を見てきました。その経験は間違いなく、社会人人生で生きてくると思います。コミュニケーション力はもちろん、精神面でのタフさ、他人への配慮、自身の立ち回り方と、同世代の若者よりも長けているかもしれません。
学歴やPCスキルなど、ほかの面でのコンプレックスはあるかもしれませんが、持ち前の精神力で乗り越えていってほしいです。東京ガールズコレクションは、さまざまなステークホルダーの方に支えられているイベントです。特に彼女は営業職なので、スポンサードしてくださってる企業の方々と向き合います。プレゼンなどの機会も増えるため、ステージで培った表現力やコミュニケーション力を生かしてほしいと期待しています」(村上氏)。
アイドル時代に培った経験はビジネス社会でも強みに
芸は身を助ける――。過去の経験は、いざというとき支えになる意味のことわざだ。アイドル界や芸能界は、一般社会とはかけ離れた世界にも思える。しかし、アイドルのセカンドキャリア支援に取り組む島田さんは、「アイドル時代の経験にビジネスで使える能力をプラスすれば、伸びる人材を育成できる」と自信を持って話す。
「一般の社会に出ても、実はアイドルとして経験したことが役立つ場面が多くあります。AKB48の劇場公演では、本番中にハプニングが起こります。例えば、機材が故障したときは、お客さんに気づかれないようにMCで場をつなぐこともするので、瞬発的な対応力が身につきます。握手会では、たくさんのファンの方をお会いするのですが、何回も来てくれるファンの様子を見て『いつもと違うな』『元気がないな』と気付くこともあって、その観察力や察知能力は今も生きています。
また、SNSを日頃から積極的に活用しているのも、アイドル経験者ならではの強みだと思っています。企業のSNS炎上もニュースになる時代で役立つのは、危機管理能力です。アイドル時代は、少しでも話題に取り上げていただけるよう『言っていいか悪いか』のギリギリを攻める発言もしていましたが、その線引きを判断できる力はビジネスにも応用できると思っています」(島田さん)。
アイドルのセカンドキャリア支援は今後、需要が増えるのか。当事者の1人として、島田さんは近い将来を見据える。
「ここ十数年で、アイドルは日本独自の文化として根付いたと考えています。でも、日本各地でさまざまなアイドルが活動する裏では、全力で向き合ったからこそ目が出る子もいれば、そうでない子もいる…。中学生からアイドルに専念してきたので、アルバイト経験もなく、学歴にもコンプレックスがあるからと、芸能界以外の選択肢を選べない子たちもいると思うんです。私の活動を知っていただく機会を少しでも広げていければ、将来を考えるアイドルからの相談が増えるのかなと思っています。
私はもともと、お人好しキャラと言われていて。困っている人を見たり、後輩で泣いている子や端っこにいる子を見ると「どうしたんだろう」と思ってしまう性格なんです。アイドルだけに限らず、スポーツ選手のセカンドキャリア支援、そして会社が大きくなったら、多くの女性をサポートする事業を展開していきたいです。育児で家庭に入った女性向けの在宅でできるお仕事とか、シングルマザーの人たちが働きやすい環境づくりとか、女性が活躍できる世の中をつくっていけたらいいなと考えています」。(取材・文:カネコシュウヘイ 写真:小川遼)