とうとう31日に『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)がグランドフィナーレを迎える。番組は1982年10月に放送開始。
単独司会者による生放送の長寿番組記録として、2003年度版のギネスブックに認定された。なぜ、この番組はここまで長く続いたのだろうか――。

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 その時は突然訪れた。2013年10月22日、番組中にタモリの口から、番組終了が発表されたのだ。日本国民がつつがなく、当たり前のように認識していた“お昼の顔”が消えてしまう。これは大事件である。

 人間というのは不思議なもので、「当たり前だと思っていたものがなくなる」とわかった途端、ついつい「それ」について論じたくなる。番組終了宣言以降、タモリ考察本が立て続けに出版された。『タモリ読本』、『タモリ~芸能史上、永遠に謎の人物』、『いいとも!論』、『僕たちのタモリ的人生論』、『タモリさんに学ぶ 話がとぎれない 雑談の技術』などなど。

 今月26日にも、『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』が発売された。本書は、Web文芸誌『マトグロッソ』で連載されていたコラム『タモリ』に書き下ろしなどを加えたもの。特筆すべきは、膨大な量のタモリ発言を参照し、体系的にその哲学や魅力を丹念に読み解いているところだ。


 「タモリさんには、多くの人が『自分はタモリをよく知っている』と思わせる力を持っているんです。それはタモリさんがさまざまな側面を見せているからなんだと思うんです」と高調するのは、本書の著者である戸部田誠 (てれびのスキマ)氏だ。

 さらに、戸部田氏はこう続ける。「タモリさんはプロフェッショナルでありながら、アマチュアリズムを常に持っていました。だから興味のないものには引くし、しょうもないゲームでも負けず嫌いになってムキにもなる。この“執着しない”“アマチュアリズム”この2点はタモリさんの『今を生きる』という特徴を示しています。そして、この特徴は『今の状況を映す』というテレビの特性と非常に合致しています」。
 もともと、タモリは漫画家・赤塚不二夫邸に居候をしながら援助を受けていた。赤塚とその周囲の仲間たちのムチャぶりリクエストを言われるままに応じたタモリは、そこから密室芸を生み出した。この芸に呼応した仲間たちは、タモリをテレビ局に売り込み、デビューまでこぎつけた。
「『いいとも』でも周りのリクエストに応じてやっていったら国民的番組ができてしまったんです」と戸部田氏。

 「私もあなたの数多くの作品の一つです」。
これはタモリが赤塚に向けた弔辞の有名な一節だ。赤塚の代表的作品といえば『天才バカボン』。目玉がつながっている本官さんや毎日掃除しているレレレのおじさんなど「一風かわった友だち」らとバカボン家族が織りなすナンセンスギャグ漫画だ。

 本作の主人公であるバカボンパパの口癖は「これでいいのだ」。この言葉についてタモリは「すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れること」と弔辞で定義している。

 「『これでいいのだ』は赤塚不二夫さんの考え方であると同時にタモリさんそのものでもあるんです」と戸部田氏は解釈する。

 以前、タモリは小沢健二『さよならなんて云えないよ』の歌詞について、このように感想を述べていた。「あれ凄いよね。“左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる。僕は思う、この瞬間は続くと、いつまでも”って。俺、人生をあそこまで肯定できないもん」。このコメントについて戸部田氏は「タモリさんは過去や将来を肯定しきれないからこそ、“今”を肯定することを選びました。
現状をありのままに『これでいいのだ』と肯定する生き方です」と解説している。

 『天才バカボン』のある回では、バカボンパパが自動車のセールスマンに「鬼ごっこしたら車を買ってあげよう」と宣言し、本気で鬼ごっこを始める。他の回では、近所の猫を仲間たちと「お前は犬だ」と信じ込ませる。バカボンパパは「一風かわった友だち」らにいたずらを仕掛けつつ、面白いと思ったらとことんイジる。そして一緒に、とことん楽しむ。これは『笑っていいとも!』の構造に相似している。

 赤塚不二夫公認サイト『これでいいのだ』では、このように綴られている。「赤塚センセイは『天才バカボン』を毎回が最終回のつもりで全力投球で描いていました」。タモリも同じような気持ちで「笑っていいとも!」に取り組んでいたのではないか。「これでいいのだ」と“今”をとことん肯定する。これがタモリ流の長寿番組の秘訣だったのではないだろうか。(取材・文:梶原誠司)
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