ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第9話では、数多くの思い出が描かれている。あるいは、思い出が人の人生を決定付ける、その様が描かれているといってもいいだろう。
「ふるさとっていうのはさ、思い出のことなんじゃない? そう思えば帰る場所なんていくらでもあるし、これからもできるってこと」
かつて音(有村架純)が幼かったころ、彼女の母親(満島ひかり)は恋とは何かと問われ、「おうちもなくなって、お仕事もなくなって、どこも行くとこなくなった人の、帰る場所」と答えていた。だから、恋と思い出は似ている。人は大切な恋を忘れることはできないし、思い出から逃れて生きることもかなわない。それは私たちが生き続ける限り、胸の奥に隠れている。
そして第9話では、これまでの8話を見てきた視聴者の思い出も喚起される。
晴太(坂口健太郎)が小夏(森川葵)を連れていった芝居で公演している劇団まつぼっくりは、かつて小夏がモデルに憧れていたころに路上でチラシを配っていた、あの劇団だ。運送会社の社長が練に餞別を渡し「こじの菓子折りは、来月分から引いとくからね」と冗談を言う場面を見れば、練に相談もせず給料から天引きして貯金をしていた昔を思い出すし、5年前にはウソばかりついていた先輩の佐引(高橋一生)は「俺がウソついたことあるか?」と練に言う。彼ら彼女らがこれまでに語った言葉や、その一挙手一投足全てが、私たち視聴者の思い出として同期している。
今回、自分の思い出と向き合うことになった、というか向き合わざるを得なくなったのが朝陽(西島隆弘)だ。かつて雑誌で働いていたころに取材で会った弁護士と再会し、朝陽はこう告げられる。
「間違ってもいい。失敗してもいい。ウソのない生き方をしましょう。君はいつもそう言っていた」
社長である父親の右腕となり、弱者を切り捨てる今の朝陽にとっては、聞きたくない言葉だろう。
この言葉が、どこまで音の胸に響いたのかはわからない。だが、少なくともこの言葉で、音は練ではなく、朝陽を選ぶことを決めたのだろう。朝陽の父親が「自分を一度捨てたことのある人間なんだろうな」と語ったように、北海道のころの音は自分を捨てていた。あきらめていた。一度どころではなく、何度も、何度も。
だがそもそも、思い出とはなんのためにあるのか? それは、少なくともこの作品の中では、人がウソをつかずに生きるためにある。誰もが迷い、戸惑い、傷つきながら生きていくうちに、本当の自分を見失う。うれしいときに悲しい顔をしたり、悲しいときにうれしい顔をすることはしばしばだ。そんなときのために、思い出はある。
そして音は、かつての自分とよく似た少女(芳根京子)と出会う。自分のかばんを引ったくった泥棒を見つけても、警察へ行こうと考える前に、その引ったくりが腹をすかしていないかを気にするような、おっちょこちょいだ。東京ではひと駅ぐらいは歩けるのかと尋ねたその質問は、音が初めて練に出会ったときにしたのと同じ問いだ。その少女はかつての音そのままであり、音の思い出そのものでもある。だから少女を見つめる音のまなざしは、まるで音の母親が幼い音を見つめたのと同じように慈しみに満ちている。
あの幼かった子どもは、年月を経て、今は病院のベッドで眠っている。彼女が眠る前に書いていた手紙は、練に宛てたものなのか、朝陽に宛てたものなのか。それとも亡き母親へ宛てた手紙か、あるいはあの日の自分にしたためたものなのだろうか。それはきっと、次週の最終回で明らかになるのだろう。いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう。それでもその恋は、まだ始まってもいない。
(文=相沢直)
●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは@aizawaaa