歴史ブームも、光あるところに影がある。

 若い世代には歴史をテーマにしたあらゆる形態の作品が人気を博したり『応仁の乱』や『観応の擾乱』といった、マニアックなジャンルの歴史書がベストセラーとなる昨今。

だが、人気の裏にはさまざまな問題もあった。

「突然やってきて、展示物などに持論を語った上で『自分がやってきた研究成果を発表する機会をつくってほしい』という人が、最近多いんですよね」

 そう話すのは、近畿地方にある郷土資料館の職員だ。すでに10年あまり資料館で働いているが、最近になり、リタイアした団塊の世代による独自研究の「持ち込み」が増加しているという。

「ちゃんと、これまでの歴史を学んだ上で新たな視点を提示するような研究なら聞く価値があります。でも、だいたいはトンデモ論。原典になる史料や基本文献、学術論文をあたることもなく、一般読者向けの軽めの本だけをたくさん読んで『これまでにない発見をした』という人が多いんですよ」(同)

 その「発見」の内容もさまざまだ。
長らく論争になっている、邪馬台国がどこにあったのかについて持論を述べる人もいれば、本能寺の変の真相を語る人もいる。だが、もっとも多いのは、その地域に関わるものだ。

「どこの地域でも在野の郷土史家という人はいます。でも、持ち込みをするようなタイプの人は、そうした人々にも拒否されています。なにせ、地域の古い神社の由緒をもとにオカルトを論じたりとかするんです」(同)

 そんな中でもヤバいのは縄文時代にまつわる研究だ。

「知っての通り、縄文時代は文字を持たない時代。
だから、土器の紋様を見て『これは○○を表現していることが、“私”の研究でわかった』なんて自信満々に話を始める人が多いんですよ。中には『縄文時代には戦争がなかった』と、演説を始める人も。どれだけ縄文に夢を見ているのか……」(同)

 そうした自称・研究者たちが地方の郷土資料館のような施設に現れるのには理由がある。国立あるいは県立クラスの博物館では、そうした「独自研究」に“お帰り頂く”スキルがあるからだ。

「ある県立博物館で縄文土器の写真を貸してもらおうとしたら、値段が高かったのでウチに来たという人もいました。自費出版の本に使いたかったようですが、研究内容はやっぱりトンデモ系。
上司が『あなたの主張は、これまでの多くの研究成果を踏まえていない』と、なんとか断りましたが、顔を真っ赤にさせて帰って行きました」(同)

 自治体が開催する歴史系の講演会では、質疑応答の時間に持論を語るためだけにやってきている人を見かけることも、よくある。こうした人たちに冷静に基礎から歴史を学んでもらうことは難しいことなのだろう。ウィキペディアでも載せることが許されない独自研究を、なんで博物館では許されると思うのだろうか……?
(文=特別取材班)