(C)2022「さかなのこ」製作委員会

「男か女かはどっちでもいい」

 これは、映画『さかなのこ』の冒頭でスクリーンに掲げられる言葉だ。夢を追いかけるのに性別は関係ないという本作のメッセージでもあり、作中に登場するさかなクンことミー坊が、ミー坊でありながら、ミー坊ではないことも表している。

 タレントとして、イラストレーターとして、そして魚類学者としても知られるさかなクンの半生を描きながらも、フィクションを交えた寓話として、誰の心にも通じるサクセス・ストーリーに仕上げた『さかなのこ』が、9月1日から公開されている。

『さかなのこ』はまさかのマルチバース映画! さかなクンはのんであって、のんではない
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 ミー坊を演じるのは、のん(能年玲奈)。YouTubeで配信された映画『おちをつけなんせ』(2019)で監督デビューを果たし、『Ribbon』(2022)では劇場公開映画の監督デビューも果たすなど、制作者としての才能を発揮する一方で、俳優としても活躍を続けている。10月には映画『天間荘の三姉妹』の公開も控えているのんだが、今作で見せる彼女の表情にも注目してもらいたい。

『さかなのこ』はまさかのマルチバース映画! さかなクンはのんであって、のんではない
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 のんの瞳の輝きは、さかなクンが魚を見た時や、魚について話している時のあの純粋な眼差しに、完全リンクしていた。最も印象的だったのが、学校での三者面談シーン。

一番の理解者でもある母・ミチコ(井川遥)を見つめるのんの表情を、必要以上の長尺で映し出している。これは、のんのあまりに純粋な表情に、沖田修一監督もカットを出すタイミングを逸してしまったのではないかと思うほど……。

『さかなのこ』はまさかのマルチバース映画! さかなクンはのんであって、のんではない
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『さかなのこ』はまさかのマルチバース映画! さかなクンはのんであって、のんではない
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『さかなのこ』はまさかのマルチバース映画! さかなクンはのんであって、のんではない
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 本作の脚本は、『横道世之介』(2013)で知られる沖田修一(監督兼任)と前田司郎のタッグが復活。役者陣にも、『ビリーバーズ』『異動辞令は音楽隊!』(共に2022)など、最近やたらと顔を見る磯村勇人がキャスティングされていたり、『百花』『沈黙のパレード』『あの娘は知らない』、そして本作を合わせると9月公開作品に計4本も出演している岡山天音、さらに柳楽優弥といった若手実力派俳優が集結している。

【ストーリー】
お魚が大好きな小学生“ミー坊”は、寝ても覚めてもお魚のことばかり。お魚を、毎日見つめて、毎日描いて、毎日食べて。

他の子供と少し違うことを心配する父親とは対照的に、母親はそんなミー坊を温かく見守り、心配するよりもむしろその背中を押し続けるのだった。高校生になり相変わらずお魚に夢中のミー坊は、町の不良ともなぜか仲良し、まるで何かの主人公のようにいつの間にか中心にいる。やがて1人暮らしを始めたミー坊は、思いがけない出会いや再会の中で、たくさんの人に愛されながら、ミー坊だけが進むことのできるただ一つの道にまっすぐに飛び込んで行く……。

 はじめに言っておくが、今作はマルチバース(※)映画である。

(※)私たちの世界(バース)とは別に、他の世界が並行して無数に存在するという考え方。パラレルワールド。

 これはさかなクンの自伝的映画であるが、実はそうでもない。どういうことかというと、さかなクンがもう1人の自分を俯瞰から見ている、そんな視点から描かれているのだ。

 さかなクンの半生を描く上で、必要不可欠なものがある。『TVチャンピオン』(テレビ東京系)という番組の存在だ。さかなクンこと宮澤正之は、同番組の「全国魚通選手権」で5連覇して殿堂入りを果たし、世に存在を知らしめた。だが、本作はそれが存在していない世界なのだ。

『さかなのこ』はまさかのマルチバース映画! さかなクンはのんであって、のんではない
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 本作には、さかなクン本人も“ギョギョおじさん”というキャラクターとして出演している。このギョギョおじさんは、もし『TVチャンピオン』がなかったら、もしさかなクンがチャンスを掴めていなかったら……世の中から変人として扱われ、相手にされていなかったかもしれない、そんな“影の姿”でもあるのだ。これは監督自信がコメントしているため間違いない解釈なのだが、しかしその一方で、こうも考えることができる。

 ギョギョおじさんは、私たちが知っている、さかなクン本人に近い存在でありながらも、世間からはじかれてしまった別バージョンのさかなクン。そんなギョギョおじさんが、別次元のさかなクンの人生を、良い方向へと軌道修正をしに来ている――そう考えると、妙に納得がいく。

『さかなのこ』はまさかのマルチバース映画! さかなクンはのんであって、のんではない
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 結果的に本作の中には(もちろん版権の問題もあるかもしれないが)、『TVチヤンピオン』は登場しない。

だが、それを模した架空の番組を登場させることだって可能だったはずだ。のんが演じるミー坊も結果的にさかなクンとは違った人生を歩んでおり、私たちの世界のさかなクンとは完全には一致しない。ミー坊もギョギョおじさんも、私たちが知っているさかなクンとは別次元に存在している同一人物=さかなクンなのだ。

 ストーリーだって少し違っている。さかなクンの父親は、囲碁棋士の宮沢(澤)吾朗だが、作中に登場する父の名前はジロウ(三宅弘城)で別人。他の登場人物も、モデルはいるにしても架空のオリジナルキャラクターが多い。

 完全にフィクションかと思いきや、ところどころに事実も組み込まれている。例えば、さかなクンが中学生の頃にカブトガニの人工孵化に成功したことや、20歳頃に魚類専門のペットショップでアルバイトしながら寝泊まりしていたことなど、そういった重要なエピソードは描かれている。

 さらに、さかなクンは幼少期、魚と出会う前は妖怪が好きだったことから、ミー坊の部屋には妖怪の絵が貼られていたりする。そんなディティールがリアルに忠実だったりと、ノンフィクションとフィクションが絶妙なバランスでミックスされているのだ。

 ミー坊=ギョギョおじさん=さかなクンの姿を通して本作が描きたかったのは、歌手やスポーツ選手など、専門的な分野で活躍している人の人生がほんの少しでも違っていたとしたら、それでもその人は、歌手やスポーツ選手になっていだろうか。回り道をしたって、結果的には同じ道を辿ることになったのだろうか……という“If(もしも)”ではないだろうか。

 あなたも、自分に置き換えてみてほしい。あの学校に行っていなかったら、あの会社に入っていなかったら、あの人と出会っていなかったら……。それでも結果的に、自分は今の自分になっていたのだろうか、と。全く異なった人生になっていた可能性だってあったはずだ。

 しかし、この世に“自分にしかできないこと”があり、それを全うすることがあらかじめ決まっていたとしたら――さかなクンはどんなに回り道をしたって、ここにたどり着く運命だったということだ。

 

映画『さかなのこ』
9月1日(木)よりTOHOシネマズ 日比谷 ほかにて全国ロードショー

主演:のん 柳楽優弥 夏帆 磯村勇斗 岡山天音 三宅弘城 井川 遥
原作:さかなクン「さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~」(講談社刊)
監督・脚本:沖田修一
脚本:前田司郎
音楽:パスカルズ
製作:『さかなのこ』製作委員会
制作・配給:東京テアトル
宣伝:ヨアケ
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