徹子の部屋』(テレビ朝日系)公式サイトより

 12月21日放送『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に、片岡鶴太郎がゲスト出演した。おそらく、22日放送分で最終回を迎えた『森村誠一ミステリースペシャル 終着駅シリーズ』の告知のための出演だろう。

 放送日である21日は、鶴太郎の68歳の誕生日だった。加えて、来年は彼にとって芸能生活50周年にあたる。鶴太郎と同じ昭和29年生まれの芸能人といえば、古舘伊知郎高畑淳子、高見沢俊彦、坂崎幸之助秋吉久美子デーブ・スペクター小倉久寛清水アキラ檀ふみ水沢アキ三ツ矢雄二、ジャッキー・チェンらがいる。正直、68歳にしては鶴太郎は老けて見える印象だ。

 いや、老けて見えるうんぬん以前に、顔が日本人じゃなくなってきている。人相が無国籍風だし、目のくぼみ方がインドにいるヨギそのものなのだ。

 とはいえ、登場時は「マッチでぇ~す」のポーズをとり、往年をチラ見せするサービス精神だ。「80年代に1番面白かったのは片岡鶴太郎だった」という説があるが、筆者も『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)で彼が演じた“汚いマッチ”が大好きだった。

 当時の『ひょうきん族』には、「近藤真彦→鶴太郎、薬師丸ひろ子→あめくみちこ、狩人→西川のりおぼんちおさむ」という狂った配役があったし、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)でダンプ松本に追いかけ回されたり、どっきりの寝起きでアイドルにセクハラしまくったり、『オールナイトフジ』(フジテレビ系)で松本明子に放送禁止用語を言わせたり、『全裸監督』(Netflix)以前に村西とおるのものまねをやり始めたり、ダチョウ倶楽部よりも前におでん芸を確立したり、鶴太郎の数々の偉業にはIEKI吐くまで笑わせられたものである。

「最近は、“イケオジ”と呼ばれていらっしゃるんですって、鶴太郎さんは? イケてるおじさんですね」(徹子)

 司会の黒柳徹子に「イケオジとして話題」と言われても、一切否定しない鶴太郎。自分では渋いと思っていそうだけれど、それほど味が出てないところも愛すべき鶴太郎だ。

“90年代の鶴太郎”は、過去の自分を黒歴史にしていた

 冒頭、黒柳は鶴太郎の半生を紹介した。

「20代のときにお笑いタレントで大人気になりました。

その後、さまざまな才能を開花させ、俳優、ボクシング、画家、書家、そしてヨガ。一体、何者か? というようなことでございます」(徹子)

 なんでも平均以上にやってはいるけれど、どれも一流にはならない。ミーハー心からくる“下手の横好き”で、片っ端からなんでも手を付ける。皮肉ではなく、そんな彼の生き方からは潔ささえ感じる。

 その後、番組は鶴太郎が『徹子の部屋』に初登場(1983年)した28歳の頃の映像を紹介した。今の姿と比較すると、完全に別人だ。

顔はパンパンだし、ボーダーのタンクトップを着た体はたるみまくっている。こっちのイメージが、昭和世代にはピンと来る。まさしく、“俺たちの鶴ちゃん”だ。「抱かれたくない芸能人」ランキングで1位を獲得するなど、この頃の彼は世間的に3枚目のキャラだった。

 当時の映像を見ながら、「スゴいな、これ(笑)。よく、このまんまでテレビ出たなあ」と懐かしむ鶴太郎。

イケオジを自認する鶴太郎も、当時については黒歴史にしていないように見える。一時期は、決してそんなことなかった。故・ナンシー関が94年に発表したコラムに、こんな文章がある。

「鶴太郎は、昔のVTRで自分の姿を見せられることを、ものすごく嫌がる。その嫌がり方は他のタレントなどが見せる『一種、甘酸っぱいこっぱずかしさに居心地の悪さを感じる』というのとはちょっと違う。本当に心底嫌そうなのだ。

VTRの中の自分を憎悪しているようにさえ、私には見える。ここでナルシズムという言葉を持ち出すのは、ちょっと安直な感じがして気が引けるが、やっぱり大きな要因かもしれない」(「週刊朝日」1994年4月8日号より)

 筆者も、寝起きどっきりで部屋に落ちていたアイドルの陰毛を食べる過去映像を見せられ、「やめてよ、もう~。恥ずかしいねえ(苦笑)」と悶絶しながら目を背ける鶴太郎を90年代によく目撃した記憶だ。

 正直、筆者は日焼けしてムチムチしてる頃の鶴太郎のほうが健康的な色気があったと思う。しかし、気取り屋の90年代を経て、今は一周回った境地を感じている。今は亡きナンシーが、現在の鶴太郎を見たらどう書くだろう?

「真剣に生きているけども、傍から見ると笑ってしまう」という笑わせ方

徹子 「今、イケオジって言われてるそうですけど。

イケてるオジさん」

鶴太郎 「イケてるオジさん、ねぇ~。40年経ったらこんな変わりました」

 私服画像を頻繁にアップする鶴太郎のInstagramが、話題になっているらしい。白髪で枯れた仙人風の容姿と、ピアスやイヤリングなど現代的なアクセサリーの融合でお洒落な雰囲気を狙っているように思える。ここ40年間で、すっかり仙人の風格を会得していた鶴太郎。

 鶴太郎は、見るたびに痩せている。ガリガリなのに顔の大きさはそのままなため、顔と身体の大きさがミスマッチなのだ。“逆・大谷翔平”というか。

 何を目指してこうなったのだろう? Instagramを見ると、まるで「LEON」(主婦と生活社)みたいな撮り方だし。女性用ショーツでさえブカブカになるので5歳児用パンツを穿くという“内側”と、LEON風フォトの“外側”も、またミスマッチな融合だ。

 そして、話題は現在の彼の日常について。つまり、ヨガに関してである。

「夜10時くらいに起きまして、それからヨガの準備をして。そして、ヨガが全部終わるのが朝5時ですね」(鶴太郎)

 夜の概念がおかしくなっている鶴太郎。もはや夜勤だし、一周回って夜更かししているのと同じだ。アメリカの株専門のデイトレーダーみたいな生活サイクルというか。体内時計に逆らっているし、昼夜逆転の生活を送ると自律神経失調症も心配である。

 でも、こうじゃなきゃダメな理由がある。朝5時に起き、正午までヨガを続けると、鶴太郎は仕事ができなくなる。あと、彼はこの健康法を人に推奨しているわけでもない。自分が心地良いと思ってやってるだけ。もしかしたら、心地よさで脳内麻薬が出まくり、あまり眠くならないのかもしれない。

 真剣に生きているのだろうけど、傍から見ると少し笑ってしまう。それは、鶴太郎だって百も承知だ。事実、彼には狙っているフシがある。それが現在の笑いの取り方だ。彼の生活についていけない前妻が「生活のすれ違い」を理由に離婚を切り出した際、鶴太郎は「ヨガ離婚」と自虐していた。やっぱり、彼は狙っている。

 しかも、7時間かけてヨガをやった後、鶴太郎は2時間半くらいかけて食事を摂るのだそう。そりゃあ、奥さんとすれ違うはずである。

 ある日の朝食の写真を、鶴太郎は紹介してくれた。まず、目につくのはスイカや巨峰、シャインマスカット、メロンなどの果物だ。その横に並んでいるのは、黒豆酢、シナモンをかけた甘酒、キュウリとにんじんとアボガドを塩とオリーブオイルで和えたサラダ、玄米、オクラとトマトを入れた味噌汁、キュウリとにんじんのぬか漬け、なめたけなどだ。

 意識の高すぎる朝ごはんである。当然だけれど、毎日おでんを食べているわけじゃなかった。冗談はさておき、まず気になったのは油気がまったくないことである。動物性のものもない。あと、現代栄養学の常識からしてタンパク質が圧倒的に足りていない。反面、糖質が多い気もする。

 しかも、鶴太郎は昼夜に食事を摂らないらしい。おそらく、68歳のわりに老けている理由は、この粗食にある。彼はどこへ向かっているのか? たぶん、鶴太郎は霞を食べて仙人になろうとしている。芸人→芸術家→仙人という変遷を辿る、リアル鶴仙人。

徹子 「やっぱり、(睡眠は)空腹にしといたほうがいいんですかね?」

鶴太郎 「空腹にしといたほうが楽ですね。とにかく『寝る』っていうことは、自分が寝るというより内臓さんを休ませてあげたいと思って」

徹子 「話は違いますが、こないだ朝ドラにもお出になったんですよね?」

 鶴太郎の朝食に興味がない様子の徹子。ぶった切って話題転換する、彼女のハンドル捌きも荒い。

 今、鶴太郎は三線にハマっているそう。5年ほど前に盆栽を始めていたことは把握していたが、そこで筆者は情報が止まっていた。いよいよ、三線を始めていたとは。ボクシング、書、絵、陶芸、ヨガ、盆栽、三線……と、属性を足し続ける鶴太郎。ボクシングに入れ込んだあたりから、この人は自分自身にしか関心がなくなったように思える。

 というわけで、鶴太郎が三線を奏でる動画が番組内で公開された。髪を後ろに流し、白髪で枯れた雰囲気の奏者が楽器を弾くその姿。もう、ほとんどトム・ヨークみたいなのだ。あと、ちょっとチバユウスケっぽくもあったし、100年後の常田大希みもある。『マネーの虎』(日本テレビ系)に出てきた“謙虚ライオン”小林敬社長にもちょっと似ていた。『バガボンド』(講談社)にこういうキャラが出てきた気もする。

 三線の腕前は、正直言って趣味の域を出ていない。前述の通りミーハー心から始めた三線だから、あまり聴く者の魂には響かない。故・榊莫山氏から「これ書いた人は、えらい褒められたがってますなぁ」と自らの書を看破された過去が、鶴太郎にはある。彼の生み出す芸術は、その次元のものなのだ。でも、「褒められたい」という欲を貫き通す人生はうらやましくもある。

 さらに、徹子の前で三線の生演奏を始めた鶴太郎。曲は、沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」だった。途中までは普通に歌っていたが、中盤からいろいろなものを入れ始める鶴太郎。

「ちょーちゅちょっちゅちょっちゅ ちょーちゅちょっちゅちょっちゅ、
たまごの親じゃ ピーヨコちゃんじゃ ぴ、ぴ、ピーヨコちゃんじゃ
アヒルじゃがぁがぁ」

「おーっばおっばおっば おーっばおっばおっば 
小森の小森のおーっばおっばおっば おばけちゃまよー」

「わたしはね~ 手品をね~ やりたいと思ってるんですよー」

「わったしたちの国では そうですよ~
フランソワーズ・モレシャンですよ~ トイレにセボーン」

「ギ~ンギラギンにさりげなくぅー そいつがお~れの
黒柳さーん! マッチでぇ~す」

 三線を弾きながら、ふざけ始める鶴太郎。獅子てんや・瀬戸わんやの「ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃがぁがぁ」を歌いだしたときは「キタ━━━━!」と思ったし、それだけで終わらなかった。具志堅用高、小森のおばちゃま、浦辺粂子、フランソワーズ・モレシャンまで突き進み、本人の目の前で「黒柳さーん!」のマッチものまねで締めた、鶴太郎ギャグメドレー。ほとんど、これは彼の集大成だ。

「ひょっとして、番組が終わるまで三線を弾き続ける?」と期待させたが、なんにせよインパクトがあった。イケオジぶってたはずが、過去の持ちギャグを連発した鶴太郎。途中で、「誰か、鶴太郎におでんを押し付ければいいのに」とさえ筆者は思ってしまった。

 今年、鶴太郎はお父さんを亡くしたそうだ。享年95歳。この歳まで生きたのだから、大往生だと思う。亡くなる間際、お父さんは「あんたのごはんが一番おいしかったよ。いつも、ごはん作ってくれてありがとう」と妻……つまり、鶴太郎のお母さんに告げ、息を引き取ったらしい。

 鶴太郎のお母さんは、現在91歳。今も毎日を元気に生きている。徹子は鶴太郎に言葉をかけた。

徹子 「お母様のものまねってできる?」

鶴太郎 「はい? いや、母親のものまねやっても一銭にもなりませんのでねえ(笑)。あんまり、やろうとは思わないんですけど」

徹子 「でも、お願いしたいわ」

 鶴太郎の母親のものまねを聞き、一体どうするつもりなのだろう? 渋る鶴太郎であったが、笑いをまったく理解しようとしない徹子には無駄な抵抗だった。無茶振りに屈し、鶴太郎は母のものまねをし始めた。

「おまえ、最近、ひげ生やかしているけど、あれねえ、汚いんだよ、おまえ。ひげ、剃んなさい、おまえ。早く剃んなさい」

 似ているかどうか、誰もわからないのだ。しかも、お母さんのものまねを振った徹子本人が一切笑っていない。

鶴太郎 「母親のものまねは、初めてでしたねえ(苦笑)」

徹子 「そうですかね」

 ちなみに、鶴太郎には3人の息子さんがいる。三男・聡士さんは料理の道に進み、今や日本料理のシェフとして『あさイチ』(NHK)に出演することもある新星だ。

「高校の卒業式の日、帰ってきてから『料理、やりたい』って言うもんで、『じゃあ、一番厳しいところに行ってこい』と言って、京都の日本料理屋・吉兆に行かせたんです」(鶴太郎)

 吉兆で修行していたなんて、すごい! 現在、聡士さんは独立し、自らのお店「赤坂おぎ乃」を営んでいる。ミシュランガイドの日本料理部門で、一つ星を獲得した名店だ。子どもが真っ当な芸能人は信用できるものである。

徹子 「(お店は)なんていう名前?」

鶴太郎 「『おぎ乃』です、『赤坂おぎ乃』」

徹子 「『おぎ乃』、本当に? フッフッフ。あなたが言うと、いちいち……(笑)」

鶴太郎 「嘘だと思うんでしょう(笑)」

徹子 「うん、嘘だと思って(笑)」

鶴太郎 「私、本名はオギノシゲオって言いますから」

徹子 「あ、本当に? あなた(笑)?」

 無茶振りした上に、店名を嘘だと思っていた徹子。嘘ではない。鶴太郎の本名は、「荻野繁雄」である。

 冒頭にも書いたが、今回の鶴太郎の出演は、『森村誠一ミステリースペシャル 終着駅シリーズ』の告知が目的だ。鶴太郎が演じるのは、執念の捜査で事件の奥に潜む真相へ迫るベテラン刑事・牛尾正直である。

 近頃、ドラマを見ながら鶴太郎のヨガ姿がチラつくようになったため、「こんな仙人みたいな刑事はいないだろう」と筆者は思うようになっていた。そのシリーズが、ついに22日にファイナルを迎えたのだ。牛尾刑事を演じる鶴太郎の映像を見て、徹子が感想を述べた。

徹子 「でもあなた、随分顔が俳優の顔に向いていらっしゃいますね、この頃ね」

鶴太郎 「本当ですか!?」

徹子 「うん。今見てたら、誰だかわからなかった」

鶴太郎 「(笑)」

徹子 「いいと思いますよ、俳優さんみたいで」

鶴太郎 「俳優さんみたいになりましたかねえ?」

徹子 「なったんじゃないですか」

 褒め言葉にもナイフを仕込んでいるのが、徹子だ。

 さて、ここからがクライマックス。鶴太郎の「絵」と「書」について、徹子は質問した。

徹子 「今も書いてないの、中国字?」

鶴太郎 「書いてますよ、ちゃんと!」

徹子 「あの中国字のものを、今度1枚ぐらいいただけないかしら? なんでもいいですから、中国字書いて」

鶴太郎 「中国字(苦笑)。漢字ですよね」

 鶴太郎の書で思い出す話がある。かつて、ナンシー関はクイズ番組に出る鶴太郎を見て、コラムで看破した。

「絵を描くようになってからのクイズ解答のフリップの字がすごいのである。芸術てな感じの字になっている」

 つまり、“転向”した鶴太郎の生き方を批判していたのだ。あの頃の鶴太郎は、世間のほとんどに「今後、この人はいけ好かない方向へ進むのだ」と思わせていた。以下は、ナンシーのコラムからの抜粋である。

「鶴太郎司会のバラエティー番組『鶴ちゃんのプッツン5』の最終回で、エンディングのどさくさのなか、鶴太郎は『もう二度とこんなバラエティー番組をやることはないと思いますが』と言った。でも、私は聞き間違いだと思ったのである。それ以上に『もう二度と』などという言葉を使ってまでこんな宣言をするはずがない、と思っていたからだ。しかし、やっぱりあのとき、鶴太郎はそう言っていたのだ」(「週刊朝日」1994年4月8日号より)

 宣言通り、鶴太郎は「こんなバラエティー番組」の司会をする芸人ではなくなった。でも、1周回ってヨガで笑いを取るタレントにはなった。誰も、この未来予想図は描けなかったはずだ。当然である。鶴太郎は、異常なペースで属性を増やしまくったから。彼のミーハー心と行動力は、常人のそれではない。

 あと、筆者には「20年後の南原清隆が今の鶴太郎に少し近くなっているかも?」という予感がある。

「俳優の顔になった」と鶴太郎を褒め、芸術家・鶴太郎の顔も引き出した徹子。そんな彼女が最後に発したのは、「なにかものまねやっていただける?」というリクエストだった。イケオジから、強引に“鶴ちゃん”の顔へ引き戻そうとしたのだ。

鶴太郎 「なんのものまねが(笑)?」

徹子 「近藤正臣さん」

鶴太郎 「こんどぉーですっ! 懐かしいですねぇ」

徹子 「具志堅さん」

鶴太郎 「ちょっちゅ、具志堅でっちゅ! 徹子さん、ありがとうございまぁす! ちょ……っちゅで!」

 なんて、番組の終わらせ方なのだろう? さすがに昔ほど誇張はせず、遠慮も見える現在の鶴太郎のものまね。今や、近藤正臣や具志堅より体型が細くなってしまった彼。でも、90年代に悲観していたいけ好かない姿には、なりそうでなっていない。

 立川談志は「落語とは人間の業の肯定」と定義したが、鶴太郎は人生そのもので人間の業を肯定している気がする。