2月26日の卒コンをもって乃木坂46から卒業する秋元真夏

 2月26日に『11th YEAR BIRTHDAY LIVE』のDAY5として開催される『秋元真夏 卒業コンサート』をもって、乃木坂46からの卒業を発表している秋元真夏。1月7日のブログでは、卒業理由について「大好きな人たちが作るここから先の乃木坂を見ていきたい気持ちも同じくらいある」と、この先のグループの未来を客観的に見てみたいと明かしていた。

 この言葉からも感じられるように、秋元はキャプテンとしてグループを牽引する立場になる以前から乃木坂46を誰よりも愛し、グループがデビュー時から大切にしている言葉「努力、感謝、笑顔」を誰よりも体現してきたメンバーだった。

乃木坂46で見つけていった“秋元真夏らしさ”

 昨年12月末で齋藤飛鳥が卒業し、唯一の1期生となった秋元。過去には、乃木坂46が好きすぎて「46歳まで乃木坂46にいる」と宣言したこともあった(いてほしかった)が、実際には1期生がどんどんグループを去っていく中で、秋元もいつ卒業を決断してもおかしくはない状況ではあった。それでも、同期の旅立ちを全て見届けてから卒業するというのが実に彼女らしい。

 秋元の卒業は、これまでの1期生の卒業とはまた趣を異にするものだ。というのも、グループを背負ってきたキャプテンであること、そして1期生最後のメンバーだったこともあり、おおげさに言えば乃木坂46というグループの歴史のひとつの終わりを意味しているのだから。

もともと乃木坂46は、AKB48の公式ライバルというカウンターカルチャーからスタートしたグループで、その後は独自のコンセプトを模索しつつも、次第に“乃木坂46らしさ”を確立し、トップアイドルにまで上り詰めた。その中心にいたのは秋元を含む1期生だった。

 秋元は2011年、乃木坂46の1期生オーディションに合格し、暫定選抜メンバーにも選ばれるなど加入当初から存在感を発揮。しかし、当時通っていた高校から芸能活動の許可が出なかったことに加えて、父親からの反対もあり、高校卒業まで活動を休止することになった。同期のメンバーたちがレッスンを重ねて、アイドルとして成長していく中で、秋元はひとりだけ出遅れてしまったことに悩んでいた。

 20年に発表した2nd写真集 『しあわせにしたい』(竹書房)では、「途中から乃木坂46に入って、猛スピードで進んでいくグループに、私もみんなと同じように衣装やメイクは揃えてもらっているのに、スキルがついていってない自分に焦ってしまって辛かったです」と当時を振り返っていた。

 そんな秋元は、12年にリリースされた4thシングル『制服のマネキン』にて初の選抜メンバーに。その中でも、メディアへの露出も多い「八福神」に抜擢。活動を再開したばかりの秋元にとってグループの中心に置かれること、それは葛藤を伴うものだった。

 だが、その葛藤を前にして秋元は、真面目な性格を振り切って当時の乃木坂46には不在だった“あざとキャラ”としてのポジションを確立させていく。今や、山下美月(3期生)や一ノ瀬美空(5期生)など乃木坂46にはあざといキャラクターのメンバーはいるが、14年当時の乃木坂46には全面的にあざといキャラを押し出しているメンバーはいなかった。秋元が乃木坂46におけるこのポジションのパイオニアと言ってもいい。

 秋元のあざといキャラが明るみになったのは、14年放送の『乃木坂って、どこ?』(テレビ東京系)での「秋元真夏は腹黒い裁判」での出来事。温和な白石麻衣(1期生)をキレさせて「黒石さん」を発動させるという番組史上屈指の名場面でもあり、これ以降、秋元は自身のキャラクターを武器にさまざまな方面で活躍していく。

 21年3月に開催された『乃木坂46 9th YEAR BIRTHDAY LIVE ~1期生ライブ~』では、齋藤飛鳥によるプロデュースで、可愛過ぎる猫耳・猫語で「Out of the blue」を歌うなど、乃木坂46の中での秋元の立ち位置は確立されている。最近でいえば、楽天生命パークで開催された楽天vsソフトバンク戦の始球式に登場した秋元が、ホームベース側ではなく、バックスクリーンのほうを向いて投げようとしてしまうという天性の愛され力も話題となった。

 そんな中で、ファンの間でも深く記憶されているのが、同じ1期生の西野七瀬とのわだかまりである。秋元が『制服のマネキン』で八福神に選ばれた結果、3rdシングル『走れ!Bicycle』で七福神に選ばれていた西野が3列目へと後退。

これ以降、2人は険悪な関係になってしまい、14年に開催された『乃木坂46 2nd YEAR BIRTHDAY LIVE』での一幕で西野が秋元に送った「真夏おかえり。一緒にがんばろう」という“雪解け”の言葉を発するまで、口もきかなかったというエピソードは有名だ。

 秋元はもともとグループの中でも温和で誰とでも仲良くできるタイプ。西野は「(八福神に選ばれたのが)真夏じゃない子だったら多分、今無理だと思う」と、秋元の人柄が仲直りの原因になったと語っていた。

 秋元の温和で愛嬌のある性格は、キャプテンとしての姿にも現れている。秋元がキャプテンに就任したのは19年。

前キャプテンの桜井玲香(1期生)の卒業に伴ってのことだった。

「みんなが相談し合える空気感を作っていきたい」とキャプテン就任時に語っていた秋元は、キャプテンとしてどう振る舞うべきかという悩みを抱えていたというが、白石麻衣は秋元について「真夏は努力家。コツコツと小さいことを積み重ねて、秋元真夏にしか築けないポジションを確立しました。新たにキャプテンに選ばれたのも納得。このまま何も変わらず、努力家の真夏のまま乃木坂を支えてほしい」と語るなど、長年共に過ごしてきた同期からも信頼されていた。

 実際に秋元はキャプテンになってから、イベントやライブでもMCを務め、グループの顔としての責務を負う局面が多くなり、外仕事でも後輩を支えてきた。

5期生の菅原咲月は樋口日奈(1期生)の卒業セレモニーでMCを務めたことについて、「相談させていただいた真夏さんからのアドバイスのおかげで、自信を持ってしゃべることができたんです」(「日経エンタテインメント!乃木坂46 Special 2023」)と語っている。また、3期生の久保史緒里は『乃木坂46のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、自身が悩んで泣いていたときに秋元から「いろんな声があると思うけど、本当に全部に流されなくていいんだよ」とアドバイスをもらったことを明かしていた。さらに5期生の岡本姫奈も公式ブログで「スター誕生ライブに足を運んでくださって、お褒めの言葉と、アドバイスを一人一人頂きました」と綴っている。岡本は、秋元からもらった「乃木坂に入ってくれてありがとう」という言葉を今でも大切にしているという。

 ファンに明かされているエピソードだけではないだろう。秋元は、キャプテンになるずっと以前からメンバーを陰で支えてきたはずだ。そこにあるのは誰よりも乃木坂46を愛しているという事実。キャプテンの使命であること以上に、グループを愛しているからこそ、これからのグループを作っていくメンバーには健やかに成長していってほしいという思いがあるのだろう。秋元にとっては当たり前の、なにげない言葉だったかもしれない。だが、後輩メンバーにはしっかりと秋元の言葉は届いている。

 秋元が最後のステージとして選んだのは横浜アリーナ。これまで松村沙友理生田絵梨花の卒業コンサートが行われるなど、同期たちが最後の華を咲かせた場所でもある。きっと我々ファンへの愛情に溢れた素晴らしいステージになるはずだ。そして秋元が乃木坂46に残してきた愛情は、これから新たなフェーズへと進む乃木坂46の指針となってくれるだろう。

 先日発表された新体制での32ndシングルでは、山下美月と久保史緒里がセンターを務め、5期生からも5人が初選抜入りしている。「乃木坂46」はまだまだ上り坂だ。