谷良一

とある吉本社員に突如下った「漫才を盛り上げろ」という至上命令──

国民的イベントとなった年末の漫才頂上決戦は、いかにして産声を上げ、育まれたのか。島田紳助とともに『M-1グランプリ』を立ち上げた男・谷良一氏に話を聞く。

(取材・構成=新越谷ノリヲ/写真=高田遼)

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「昔から、いとし・こいし、やすし・きよしなど、どちらかというとオーソドックスな漫才が好きですけど、言いだしたらきりがないです。最近で言うと和牛とかさや香とかかな、でも金属バットとか、ロングコートダディとかみんな面白いと思いますよ」

 サンドウィッチマンが劇的な優勝を果たした2007年大会を最後に『M-1グランプリ』の現場を離れた谷良一は、吉本興業を退任した今も新しい漫才を楽しんでいた。

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 吉本興業の社員だった谷は、当時44歳。ミスター吉本・木村政雄常務の命令は絶対だった。

「当時は制作営業総務室っていう大阪本社の部署で、まとめ役というか、デスクのような仕事をしていました。そのころですね、木村さんから『漫才プロジェクトを作れ、おまえがプロジェクトリーダーだ』と。

しかもメンバーは『おまえひとりや』と言うんです。どういうプロジェクトかというと、売れてる漫才師にはマネージャーがついてますけど、CMはCM、テレビはテレビの制作部署、営業は営業、劇場は劇場、それぞればらばらに展開してるわけです。それを、漫才という括りで縦断して、漫才を盛り上げろと。当時、漫才がむちゃくちゃ低迷してたんで」

 ゴールデン帯のテレビ番組が軒並み30%前後の視聴率を記録していた時代だ。当然、吉本もテレビタレントの育成に力を入れている。

「芸人のほうも、あんまり漫才に力を入れてないんちゃうかと思ってたんです。

そこで、まずやったのは、劇場を見に行くこと。なんばグランド花月(NGK)には、ベテランさんから中堅までが出てるんですが、漫才はあんまり盛り上がってないな、と感じて。次にNGKの向かいにbaseよしもとっていう若手の劇場があって、たぶんダメやろなって思って見に行ったんですけど、意外と面白い漫才師がいてですね、これはいいかもしれないと」

 当時のbaseメンバーとして印象に残っているのは、中川家キングコングフットボールアワーチュートリアルといった、後に『M-1』を賑やかすコンビたちだったという。

「ただ、baseでは劇場から『漫才をするな』と言われてたんです。『コントをやれ』と。というのは、当時は何をやってもウケるんですよ。

10代、20代前半のお客さんがバーッと来て、ネタも全部覚えてるくらいの、その前でやってるのでね。それで、ダウンタウン風というか、マネというか、ダラーっと立ち話的にやってるのが多くて、支配人が、『それはアカン、それやったら漫才をするな』みたいなことを言うたんです。真意は『漫才がダメや』というのではなかったらしいんですけど」

 若手に萌芽は見えるものの、やはり漫才は低迷している。そう感じた谷は、吉本に所属する全漫才師と面談を行うことにした。

「プロジェクトには途中からもうひとり加わったんですけど、彼とふたりで若手だけじゃなくて、中堅からベテランの人まで全漫才師と面談をしたら、みんな漫才をやりたいと言うんです。ベテランの人は、漫才ブームが過ぎて20年くらいたってて、劇場の出番も少なくなってきてたんですけど、漫才が好きで漫才師になったのだから、漫才をやる場を与えてくれたらいくらでもやると。

若手もですね、漫才はそんなに真剣にやってないんだろうな、テレビタレントになりたいんだろうなと思ってたんですが、面談をしてみると、そうじゃなくって僕ら漫才が好きなんです、漫才をやりたいんですと言われてですね。これは、可能性があると思いましたよね」

 そうして、未曽有の漫才プロジェクトは始動した。

■島田紳助は、漫才に「お返し」がしたかった

「その漫才プロジェクトを盛り上げるために、社内キャンペーンとか、イベントをやったんですよ。NGKで『漫才大計画』っていう漫才師だけのイベントを始めて。昼の公演が6時前くらいに終わるでしょう、そしたら帰りかけてるお客さんの前にMCが出て行って『今から漫才大計画というイベントをやりますので、残ってください。そのまま無料で見られます』くらいのことを言って残ってもらって。

最初は50人くらいですかね。チケットも売ってたんですけど、チケットを買って入ってくれるような人は、ホントにもう10人もいなかったと思うんですけど、だんだん増えてきて1階席が満席になるくらいにはなりましたね。400~500人。そんなんをやったり、あとはテレビ局に行って漫才の番組作ってくださいとかやってんですけど、このままこういうことをやってても、漫才ブームのようなものはたぶん来ないなと。ちっちゃなことをやってるだけでね、大爆発は起きないなと思ってたんですよ。ちょっとずつは盛り上がってきてるんですけど、なんかモヤモヤしてましたね」

 そんな折、谷は読売テレビの間寛平の楽屋に行った。

谷はかつて寛平の担当マネジャーしていた、旧知の仲である。

「寛平さんに話を聞いてもらおうと思ったんです。寛平さんと話したら気持ちが和らぐんちゃうか、ほっこりするんちゃうかと思って、寛平さんとか仁鶴さんといろんな話をして、まあ帰りますわ言うて帰りかけたときに、隣の楽屋を見たら『島田紳助様』って書いてたんですね。ああ、紳助さんもいるんやと思って、ノックして紳助さんに会うたら、『どうしたんや』みたいな感じで」

 この偶然が、大きなうねりを生み出すことになる。

「紳助さんもだいぶ前に漫才を辞めてたんで、漫才にはもう興味ないんかなと思ってたんです。けど、僕が漫才プロジェクトっていうのをやってましてって話をしたら、盛り上がってですね。それはいいこっちゃ、と。紳助さんという人は、漫才界に何かお返しをしたいという気持ちがあったんでしょうね。自分を育ててくれたのは漫才や、それを辞めてしまったんで、心の中にわだかまりがあって、お返しをしたいという気持ちがあるから、漫才プロジェクトはいいことや、と、ずっと話し込んでね」

 それから3日後、静かに『M-1グランプリ』が動き出した。

「お笑いファン」vol.3につづく)

谷良一|たに・りょういち
京都大学文学部卒業後、1981年に吉本興業に入社。横山やすし・西川きよし太平サブロー・シロー、間寛平などのマネージャーを務める。2001年、島田紳助とともに漫才コンテスト「M-1グランプリ」を創設。10年まで同イベントのプロデューサーを務めた。

『M-1はじめました。』
著者:谷良一/出版社:東洋経済新報社/発売日:2023年11月15日/ページ数:296ページ
11月15日、東洋経済新報社から谷良一著『M-1はじめました。』が刊行された。お笑いファンはもちろん、『M-1グランプリ』開催にあたってのスポンサー探しや、テレビ局との交渉、参加する漫才師や所属事務所の信用を勝ち得るまでの努力など、ビジネスマン向けにも充実した内容になっている。「読んでもらったら、絶対面白いっていう自信はあります」と谷も胸を張る一冊。全国書店、ネット流通で購入できる。
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【M-1創造神話】谷良一 もうひとりの「M-1の父」の物語

誌名:『お笑いファンvol.3』
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