「シェア(共有)」の次が「トラスト(信頼)」なのは、そこに一貫したテーマがあるからだ。相手を信頼していなければ共有できない。誰かと共有するということは、信頼しているということだ。シェアリング・エコノミーは信頼をインフラにしているのだ。
新しいテクノロジーは「信頼の壁」を飛び越える手助けをする狩猟採集時代のヒトは、50~150人程度の小さな共同体で、親やきょうだい、親族、友人たちとの「ローカルな信頼」のなかで生きてきた。農業というイノベーションで大規模な社会が可能なると利害の異なるひとびとを統治する政治権力が登場し、産業革命によってさらに社会が大規模化・複雑化したことで、契約や法律など「制度への信頼」の時代が到来した。そしていま、インターネットなどの新しいテクノロジーによって、中央管理型の制度には依存しない「分散された信頼の時代」が始まりつつある――。これが、『トラスト』の背景にある「歴史認識」だ。
ボッツマンは、アリババ創業者ジャック・マーがいかにして「信頼」を巨大ビジネスに育てたかという話を導入にして、「信頼とは確実なものと不確実なもののすき間を埋める、驚くべき力」だと定義する。信頼があるからこそ、私たちは不確実な未来に飛び込むことができる。新しいテクノロジーは、この「信頼の壁」を飛び越える手助けをするのだ。
新しい発想への信頼を獲得するには、誰のこころにもある心理面と情緒面のハードルを乗り越えなくてはならない。
ステーキとマッシュポテトしか知らないアメリカ人にどうやって生魚を食べさせたかが「カリフォルニアロールの原則」で、ロサンゼルスの寿司職人真下一郎は、馴染みのない食材とキュウリやアボガドといった見慣れた食材を組み合わせ、それを(外側がコメで海苔を内側にする)裏巻きにすることで、全米に寿司の大ブームを巻き起こした。
新しいものと馴染みのあるなにかを組み合わせると、「新しいのに見慣れたもの」になる。これが単純接触効果(熟知性の法則)で、「馴染みのある人やものに囲まれていると居心地がいい」という人間の本性を利用することで「信頼の壁」を超えさせるのが容易になる。
ひとは常に、それが自分の人生をよりよいものにしてくれるかどうかを計算している。これが「メリットの原則」で、自動車、テレビ、旅客機、インターネットなどが急速に普及したのは、そのメリットが誰の目にも明らかだったからだ。これは当たり前のようだが、問題なのは、このメリットの計算が合理的に行なわれているわけではなく、大半が主観的なことだ。
典型的なのはワクチンで、その効果が直感的には理解できない(感染症にかからなかったのはワクチンの効果なのか、たまたま運がよかったのかは判然としないが、副反応による発熱などの影響ははっきりしている)ため、どれほど医療関係者が詳細なデータを積み上げても納得せず、先進国であるはずの日本で、いまでは風疹、おたふく風邪、はしかなど根絶されたはずの感染症の大流行が真剣に懸念されている(「ワクチン政策迷走のツケ 感染症20年に流行リスク」日経新聞2018/11/16朝刊)。
「信頼の壁」を乗り越えさせるための3つ目の要素が「信頼のインフルエンサー」で、これは「社会的証明」ともいわれる。有名人はもちろんだが、自分が信用している(無名の)ひとたちが同じことをしているというだけで、ひとはそれを信頼するようになる。「切り立った崖」を上ってもらうには、「その体験を楽しんでいることを伝えなくてはならない」のだ。
ただしこの「社会的証明」にも光と影がある。
ボッツマンは『トラスト』第4章「最終責任は誰に?」でUberとAirbnbが如何にして顧客の信頼を獲得してきたかを、第5章「偽ベビーシッター」で、母親が慎重に選んだベビーシッターがじつは犯罪者だったという子どもの頃の体験から、「間違った信頼」を避けるには大規模な評価システムが必要なことを、第6章「闇取引でも評判がすべて」で、犯罪者の巣窟と思われている闇(ダーク)ネットですら、業者がすこしでもよい評判を獲得しようと努力している理由を述べている。これらはどれも興味深いテーマだが、詳細は本を読んでいただくとして、ここでは第7章「人生の格付け」について考えてみたい。
中国で共産党主導の個人情報管理が進められていることはよく知られており、それについては過去に書いた。
2014年6月14日、中国国家省は「社会信用制度の構築に向けた計画概要」を発表し、国家全体の「信頼」を強化し、「誠実さ」の文化を築くために、国民の信用を格付けする計画を明らかにした。現在はまだ市民スコアに参加するかどうかは個人の選択だが、2020年までには参加が義務づけられる。
これにともなって中国政府は、8社の民間企業に社会信用格付けに使うシステムとアルゴリズムの開発許可を与えた。そのなかにはテンセント傘下のチャイナ・ラピッド・ファイナンスと、アリババ傘下のアント・ファイナンシャル・サービス・グループ(AFSG)が含まれる。AFSGは、胡麻信用(セサミクレジット)のほうがよく知られているだろう。
胡麻信用では、ユーザーを350点から950点までで評価している。アリババはそのアルゴリズムを明らかにしていないが、信用履歴(電気代や電話代を遅れずに支払っているか? クレジットカードの代金をすべて支払ったか?)、履行能力(契約義務を果たす能力)、個人的な特徴(携帯電話の番号や住所といった個人情報)、行動と嗜好(買い物履歴からわかる性格)、人間関係(ネットでどのような「友だち」とつき合っているか?)を考慮に入れていることを明らかにしている。
スコアが600点に達すると5000元までのローンが引き出せて、アリババのサイト上での買い物に使える。
だがこうした個人の信用格付けには、特典だけでなく罰則もある。
2016年9月25日、中国国務院弁公庁は「信頼を棄損した人物への警告と罰則」と題した政策を更新した。「ある場所で信頼を裏切ったら、すべての場所で行動が制限される」のだという。
格付けの低いひとたちはインターネット接続が遅くなる。行きたいレストランやクラブ、ゴルフコースに入れないこともある。海外旅行に自由に行けなくなるし、部屋探しにも、保険に入るにも、ローンの資格や社会保障手当にも影響する。スコアの低い応募者の採用を避ける会社も出るだろうし、役所、報道、法律関係など特定の仕事からは完全に排除される。自分や子どもを学費の高い私立学校に入れるのも難しくなる。
ジョージ・オーウェル『1984』のような話だが、これはSFではなく、「信用力の高いひとたちは天国で自由に歩き回り、信用力のないひとは一歩を踏み出すことさえ難しくなる」と、中国の政府文書に繰り返し書かれているという。
2017年2月、中国の最高人民裁判所は、過去4年間に事件を起こした615万人に飛行機での移動を禁じ、軽罪でブラックリストに載った165万人が電車での移動を禁じられた。
中国で国民の信用格付けを国民が受け入れるのはお互いを信用していないから中国共産党の指導者たちがテクノロジーを使って個人の信用格付けに邁進するのは、14億人という膨大な国民を管理するにはそれ以外に方法がないとの危機感からだろうが、その一方で、中国の大衆がこうした管理を受けて入れている(ように見える)こともたしかだ。
『言ってはいけない中国の真実』で述べたように、中国社会で起きているさまざまな出来事の背景にあるのは、「ものすごく人が多い」という単純な事実だと私は考えている。日本の人口は1億2000万で、これでも世界的には人口の多い国家だが(ヨーロッパでこの人口の超える国はない)、その14倍ちかい国民がいる社会を想像できるだろうか?
「ものすごく人が多い」社会では、誰もが常に周囲の全員と競争することになり、いったい誰を信用すればいいのかわからない。こうして、家族(宗族)と朋友の人間関係(グワンシ)に頼るしかなくなるのだが、いつどこで誰が「敵」になるかわからないなかで生きていくのはとても苦しい。中国では歴史的に「信頼」という資本が欠落しており、だからこそ中国のひとたちは「信頼」を求めているのだ。
ボッツマンの観察もこれと同じで、アリババが成功したのは、ひとびとの求めている「信頼」を提供したことだという。近所の店で売っているのは偽物かもしれないが、アリババならちゃんとした本物が手に入るのだ。
2008年、メラミンの含まれた粉ミルクで6人の赤ちゃんが亡くなり、30万人以上が健康被害を訴えた。メラミンはプラスチックや農薬に使われる有害物質だが、粉ミルクメーカーはたんぱく質の含有量を偽装するために意図的に混入させたのだ。この事件以降、中国のひとびとは国産の粉ミルクを信用せず、海外から大量に購入するようになったため、イギリスの大手小売店は1人2缶までの制限をもうけた。
この話題のあとでボッツマンは、オックスフォード大学で現代中国を研究するロジャー・クリマーズの次のような発言を紹介する。
「中国社会の上から下まで、信頼は巨大な問題だ。今回の制度(国民の信用格付け)がより効果的な監督と責任に結びつくのなら、人々はそれを温かく歓迎するだろう」
国家が国民を信用格付けするのは国民を信用していないからだが、それを国民が受け入れるとするならば、それは国民がお互いを信用していないからだ、というわけだ。
中国共産党は国民の信用格付けの目的を「社会全体の正直さと信用の水準を上げ、国家の競争力を全体的に底上げすること」としているのが、これはたんなるきれいごとではなく、中国のひとたちは「粉ミルク事件」のようなことが二度と起きないようになるのなら、個人の行動を監視されることもやむをえないと考えているのかもしれない。
友達の格付けが自分の格付けに影響を与えるアリババの胡麻信用では、「行動と嗜好」が評価の基準になる。ボッツマンによると、これは「オムツをしょっちゅう買っていれば、おそらく赤ちゃんがいると考えられ、どちらかと言えば責任感があると思っていいだろう。だから、赤ちゃん用品や仕事用の靴といった社会的に認められたものを買っている人のスコアは上がる。しかし、クラッシュ・オブ・クランズやテンプルラン2やほかのビデオゲームばかり買っていると、怠け者だと見なされ、スコアが下がる」ことだという。
この仕組みを国家が採用すると、システムが国民を「誘導(ナッジ)」し、政府の望まないものや行動から遠ざけることが可能になる。ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーらが提唱するナッジは「おせっかいな自由主義」ともいわれ、ユーザーの自由な選択を尊重したうえでより好ましい選択に(無意識に)誘導していく技術だが(『実践 行動経済学』日経BP社)、中国の信用評価制度は、国民を共産党が好ましいとする人格へと誘導していくのだ。
胡麻信用の評価基準でさらに興味深いのは「人間関係」で、ネットの友だちとの付き合い方から「ネットでの『前向きな姿勢』、つまり政府や景気への好意的な意見によってスコアが上がる」のだという。アリババはいまのところ、ソーシャルメディアでのネガティブな投稿がスコアに影響することはないと強く訴えているが、このシステムが共産党政府に採用されれば、自分だけでなく知り合いの政治的な発言が信用に影響することは間違いないだろう。
実際、胡麻信用は格付けを上げるためのコツを紹介していて、そのなかで点数の低い人と友だちになることの危険性を警告している。
ユーザーが自分のスコアを確かめるときには、必ず友だち全員のスコアが現われる。その効果は競争心を煽るだけではなく、それを見れば、友だちのなかで誰が足を引っ張っているかがわかる。そうなれば、誰もが自分の得になりそうな評価の高い人と友だちになろうとするだろう。
逆にいえば、オンラインでつながっている誰かが中国共産党に批判的なコメントをしたら、自分の格付けもいっしょに下がってしまう。これは一種の連帯責任だ。
このようなグロテスクな仕組みにもかかわらず、胡麻信用の高得点は中国ではすでにステータスシンボルになっており、導入から数か月で10万人以上が中国版Twitterの微信(Weibo)で自分のスコアを公開している。スコア次第でデート相手や結婚相手が見つかるかが決まるからで、婚活サイト大手の百合網ユーザーの15%以上はプロフィールに胡麻信用のスコアを載せているという。こうした中国の現状を紹介したボッツマンは、「信用をカネで買える闇市が生まれることは目に見えている」と述べている。
だが問題は、中国が「超未来社会」になっていくことではない。私たちの足元もかなりあやしいのだ。
すべての市民がお互いを監視し評価する社会に突き進んでいるEUの「忘れられる権利」法案に関するグーグルの諮問委員会に参加する唯一の倫理学者であるリチアーノ・フロリティは、人類史には4つの重大な「脱中心化への転換」があるとする。コペルニクスの天動説、ダーウィンの自然淘汰、フロイトの無意識、そしてオンラインとオフラインの生活がひとつになった「オンライフ」だ。
中心のないオンライフでは、誰もが誰もを格付けすることで信用がつくられていく。Uberでは運転手も乗客も格付けされるし、Airbnbではホストもゲストも評価される。その結果、すべてのひとがよい評価を得るような行動へと「ナッジ」されていく。
それに加えて、「自分についての情報を公開するのは気持ちいい」ことも明らかになった。ソーシャルメディアへの投稿の8割は夕食の献立といったユーザーの私的な体験だが、そとのときの脳を調べると、食事やセックスのときと同じように報酬系が点灯する。SNSは「食べはじめたら止まらない」デジタル社会のジャンクフードなのだ。
このようにして、インターネットには個人についての膨大な評価と情報が蓄積されていく。
2016年3月に公開されたアプリPeeple(ピープル)は、隣人や上司、教師に配偶者、元カレや元カノなど、知り合いなら誰でも格付けと評価ができる。その結果は「Peeple Number(ピープルナンバー)」として表示され、その数字は「あなたが受け取るすべてのフィードバックと推奨に基づく格付け」だ。
評価するのは「仕事」「私生活」「恋愛」のいずれかのカテゴリで、レビューを残すには本名を使わなければならず、21歳以上で、もちろんフェイスブックのアカウントが必要になる。レーティングを付ける相手を実際に知っていることを証明し、個人の健康状態にふれること、汚い言葉を使うこと、(客観的に見て)性差別をすることは禁止されている。
こうした制限があるとはいえ、「知人を評価し、相手の同意なく勝手にレーティングを付ける」ことに変わりなない。それに加えて「真実認証」の機能があり、「本人のプロフィールで公表されていることもそうでないことも、その人について書かれたことをすべて公開する」のだという。
Peepleの共同創業者で2児の母でもあるニコル・マクロウがこのアプリを開発した大きな理由のひとつは、「隣人のことさえ知らない今の世の中で、子どもを誰に任せたらいいのかを決める助けにしたったから」だという。
Peepleは開発の経緯を描いたドキュメンタリーをユーチューブに公開しており、共同創業者のジュリア・コードレイはそのなかで、「重要なのは、みんなが自分についてどう言っているかだけ」と述べている。
このようにしてアメリカでは、国家の関与がないにもかかわらず、民間企業(ベンチャー)の自由な経済活動によって、すべての市民がお互いを監視し、評価する社会に突き進んでいる。なぜなら、ひとびとが流動化する大規模で複雑な社会では「古きよき共同体」は失われ、誰を信用していいのかわからなくなるからだ。
だとすれば、中国とアメリカのちがいは、枯渇した「信頼」という資本を補うのが国家なのか、市場なのかだけだ。そしてこの問題については、市場(民間サービス)のほうが国家よりもうまくやれると証明されているわけではない。
確かなのは、信用や安全、効率の代償として、私たちのプライバシーが消滅しつつあることだろう。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本(新潮文庫)など。最新刊は、『朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論』(朝日新書) 。
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