[参考記事]
●アメリカの「働き方改革」“ギグ・エコノミー”の光と影とは?
とはいえ、このまま会社が消滅してしまうわけではない。だが「会社員」の姿も、時代(テクノロジー)とともに大きく変わりつつある。今回はアメリカ(シリコンバレー)の最先端の働き方を、パティ・マッコード『NETFLIXの最強人事戦略 自由と責任の文化を築く』(光文社)で見てみたい。著者のマッコードは元Netflix(ネットフリックス)最高人事責任者で、社内の人事方針を説明した“CULTURE DECK(カルチャーデック)の共同執筆者としても知られる。
20世紀に開発された複雑で面倒な人材管理手法では21世紀の企業に対応できないNetflixの創業者で現CEOのリード・ヘイスティングスはそれ以前にもピュア・ソフトウェアという会社を興したことがあり、マッコードはこのスタートアップに参加していた。その後、サン・マイクロシステムズなどで人事のキャリアを積んでいたが、ヘイスティングスがNetflix を始めるときに声をかけられ、1997年の創業から人事の責任者を務めてきた。じつはマッコードは、ふたたびヘイスティングスとベンチャーをやるのは気が進まなかったという。それでも彼女の背中を押したのは、午前2時の電話で、「僕らが本当に働きたいと思えるような会社をつくれたらいいと思わない?」といわれたからだ。
マッコードが所属していたサン・マイクロシステムズの人事部には370人ものスタッフがいたが、そのほぼ全員が本業とは直接関係のない仕事をしていて、会社がどんな製品をつくっているのかさえ説明できなかった。「楽しかったが、満たされない思いもあった。もっと私たちに敬意をもってほしい、認めてほしいという願いがいつもあった」とマッコードは、大手企業の人事部での日々を回想している。
カルチャーデックは「理想の働き方」を目指したNetflix の社内文書で、経営陣が創業当初から学んできたことを若き起業家に向けて公開したものだ。
マッコードは、働き方を大胆に変革しなければならない理由を、「20世紀に開発された複雑で面倒な人材管理手法では、21世紀の企業が直面する課題に立ち向かえるはずがない」からだという。それは、「人事考課連動型のボーナスと給与」「生涯学習のような仰々しい人事施策」「仲間意識を育むための楽しい催し」「業績不振の従業員に対する業績改善計画(PIP)」などのことだ。これらは「グローバルスタンダードの人事戦略」として、日本の会社でも導入しているところがたくさんあるだろう。
従業員の忠誠心を高め、会社につなぎ止め、キャリアを伸ばし、やる気と満足度を上げるための制度が「ベストプラクティス」だ。そこでは、従業員のちからを引き出し(エンパワメント)、やる気をうながし(エンゲイジメント)、仕事に対する満足度と幸福度を高めることが高い業績につながるとされている。
当たり前のことのようだが、マッコードは、すべて間違っているという。「そもそもエンパワメントがこんなに注目されるのは、今行われている人材管理の手法が従業員から力を奪っているからにほかならない。やたらと介入しすぎる結果、従業員を骨抜きにしている」というのだ。
さまざまな国際調査で、日本のサラリーマンのエンゲイジメント(やる気)が世界最低だという調査結果が次々と出て、「日本的雇用」の信奉者に衝撃が広がっている。これを受けて、「従業員のエンゲイジメントを高める」という目標を掲げる経営者も多い。ところが「働き方改革」でさらに先を行くNetflix では、このエンゲイジメントすら無用の長物とされているのだ。
誤解のないようにいっておくと、これは従業員のエンゲイジメントは不要だということではない。マッコードは「やる気や満足度と業績が常に相関するわけではない」として、平均以下の業績のチームも、きわめて業績が高いチームと同じくらいのエンゲイジメントを示していたデータを挙げる。「やる気さえあれば結果がよくなる」わけではないのだ。
日本のサラリーマンは世界でいちばんやる気(エンゲイジメント)が低く、会社への忠誠心がない。それが大問題になっているのだが、Netflixでは従業員にやる気があるのは当たり前で、それだけでは高い業績につながらないことが問題とされているのだ。
Netflix の人事戦略とは「ドリームチーム」をつくること「会社は、顧客を喜ばせる優れた製品を時間内に提供できるよう努めることを除けば、従業員に何の義務もない」とマッコードはいう。それにつづけて以下のように述べるが、これにはアメリカの(それもシリコンバレーの)経営者でもぎょっとするらしい。
「(会社には)従業員に能力を超えた仕事や才能に合わない仕事を引き受けるチャンスを与える義務はない。長年の貢献に報いるために別のポストを用意する義務もない。彼らに遠慮して、会社の成功に必要な人事変更を控える義務も、もちろんない。
従業員の能力開発に特別な投資を行い、キャリアパスを提示し、高い定着率を維持するために努力する。そんな考え方は時代にそぐわないし、従業員にとってもベストではない。
そして採用面接では、「キャリアマネジメントはあくまで従業員自身の責任で、社内に昇進の機会はたくさんあるが、会社として従業員のためにキャリア開発をすることはない」とはっきり伝えているという。
だとしたら、Netflix の人事戦略とは何だろうか? それはカルチャーデックに掲げられているように「ドリームチーム」をつくることだ。
Netflix はDVDのレンタルを郵送で行なう事業でスタートしたが、2001年にドットコム・バブルがはじけると業績は悪化し、全従業員の約3分の1を解雇し倒産寸前まで追い込まれた。だがここで、彼らに神風が吹く。DVDプレーヤーの価格が下がり、その年のクリスマスプレゼントとして大人気になると、消費者はプレーヤーで再生するDVDを借りようとしはじめたのだ。
こうして事業はふたたび軌道に乗ったが、こんどは3分の2の人員で2倍の仕事量をこなさなければならなくなった。しかしここで、マッコードは奇妙なことに気づく。仕事はものすごく大変だったが、みんなは前よりずっとハッピーだったのだ。
その頃マッコードは、経費節減のためCEOのヘイスティングスと車を相乗りして職場に通っていた。その車の中で、彼女はヘイスティングスに訊いた。
「どうしてこんなに楽しいの? 毎朝職場に行くのが待ちきれないくらいよ。夜になっても家に帰りたくない。
「よし考えみよう」とヘイスティングスはこたえた。彼らが出した答えは、リストラによって「最高の結果を出せる人だけが会社に残っていた」ことだ。
とびきり優秀なエンジニアだけをそろえた小さなチームの方が、仕事熱心なエンジニアの大きなチームよりもよい仕事をした。大規模な人員整理で中間管理職をごっそり解雇して以来、いちいち意見を聞き承認を得ずにすんでいるせいで、全員が前よりずっと速く行動していた。こうしてNetflix の経営陣は、自分たちが従業員のためにできる最善のことは、「一緒に働く同僚にハイパフォーマーだけを採用することだ」という結論に達する。これが「ドリームチーム」だ。
Netflixでは有給休暇は廃止し、人事考課と給与は切り離されているNetflix では、有給休暇制度は廃止されている。これは有給休暇がとれないということではなく、「妥当だと思うだけの休暇をとり、適宜上司と相談してほしい」ということだ。
こんなことをすれば、社員は無制限に有給の特典を使うようになるのではないだろうか。しかし、実際はそんなことにはならなかった。従業員は以前と変わらず、「夏季とホリデーシーズンに1、2週間ずつ休暇をとり、子どものスポーツの試合のためにちょこちょこ休みを入れた」のだ。
さらに、経費規定や旅費規程も廃止された。マッコードが「適切に判断して会社のお金を使って下さい。もしも弁護士のいう通りまずいことになるようなら、もとの方式に戻します」と通知すると、やはり自由を乱用することはなかった。
こうした大胆な改革は、社員を「大人」として扱っているからだという。これがNetflix のいう「自由と責任」の文化で、大人なら与えられた大きな自由を「自己責任」で管理できるはずなのだ。
Netflixにはボーナス制度もない。「会社を第一に考える一人前の大人なら、年次ボーナスがあるからといって仕事に精を出したり、才能を発揮したりはしない」と考えているからで、報酬は年俸の月割りだ。また報酬のうちどれくらいの割合をストックオプションにするかは各自が決め、その分は給与に上乗せするのではなく差し引かれる。ストックオプションには権利確定期間を設けず、長期的な値上がりが期待できるよう権利行使期間を10年とした。
こうした「革新的」な方針のなかで人事関係者がもっとも驚くのは、人事考課を給与制度と切り離したことだろう。その理由は一般的な人事考課が時間ばかりかかって効果が乏しいからだというが、より決定的なのは、優秀なスタッフに高い報酬を提示しないとGoogleなどに引き抜かれてしまうことだ。
コンサルティング会社ベイン・アンド・カンパニーによると、パフォーマンスの高い企業は意図的に「不平等主義」をとっている。
マッコードがこの事実を突きつけられたのは、エンジニアが今の給与の2倍近くの金額をGoogleからオファーされたことだった。最初は、人事制度上それに匹敵するような報酬など支払えないと拒絶したのだが、すぐに考えを変えた。他社に移ればもっと稼げるのが確実な優秀な人材が、会社を辞めない限り自分の価値に見合う報酬をもらえないような制度はおかしいと気づいたのだ。
こうしてNetflix は「業界最高水準の報酬を支払う」と宣言するに至るのだが、これは無闇に高給をはずむということではない。Netflix では、従業員は積極的に他社の面接を受けるよう促される。それが、現在の給与が他社と遜色ない水準なのかどうかを、もっとも効率的かつ確実に知る方法だからだ。逆にいうと、競合他社から高額のオファーをされないようなスタッフはいらない、ということだ。
ここで興味深いのは、「対GAFAへ処遇改革」というNTTの澤田純社長へのインタビューだ(日本経済新聞11月21日)。
澤田社長はここで、「(NTT持ち株会社の研究開発の人材は)35歳になるまでに3割がGAFAなどに引き抜かれてしまう。19年度から、AIなどの研究者の資金を引き上げたい」と語っている。インタビューの解説によると、NTTは研究開発の人材として毎年60人ほどの新卒を採用しているが、同社の研究開発職の初任給は大卒が21万5060円、修士課程修了で23万7870円。「若い世代の研究者は年々、グーグルのほかアップル、フェイスブック、アマゾンなど世界の企業と奪い合いが激しくなっている。海外IT企業は、新卒でも優秀であれば年収数千万円で採用するといわれ、獲得競争が過熱している」と書かれている。
Netflix の「ドリームチーム」とはプロスポーツのチームのようなものマッコードは、Netflix の人事戦略の基本として以下の3点を挙げる。
1 優れた人材の採用と従業員の解雇は、主にマネージャーの責任である。
2 すべての職務にまずまずの人材ではなく、最適な人材を採用するよう努めること。
3 どんなに優れた人材でも、会社が必要とする職務にスキルが合っていないと判断すれば、進んで解雇すること。
この方針によって、「時代に遅れて進化できずに苦労しているチームに足を引っ張られずに、めざす目標を達成するためのチームを、効果的かつ積極的につくることができた」とマッコードはいう。
ここからわかるように、Netflix の「ドリームチーム」とは、プロスポーツのチームのようなものだ。そう考えると、一見、常識外れのさまざまな改革がきわめて「常識」的なものだとわかるだろう。
プロサッカーに例えるなら、J1の神戸はスペイン、バルセロナのスター選手イニエスタを年俸32億円で獲得したといわれるが、このときチームの他の選手と比較したり、J1の他チームの平均年俸を参考にしたりすることはなかった。優れた選手が「最高水準の報酬」を提示しないと獲得できないのは当然のことだ。
「従業員を登用できそうなポストに空きが出たときでも、その職務ですでに優れた実績を積んでいる人材を外から迎える方がずっとよい」とマッコードはいう。これはずいぶん冷たいようだが、フォワードが足りなくなったときに、なにも考えずに二番手のフォワードを「昇進」させるような“家族主義的”なチームがチャンピオンの座につくのは難しいだろう。プロのスポーツチームなら、世界じゅうから(予算の範囲内で)最高の選手を獲得しようとするはずだ。
従業員を「大人」として扱うのも、キャリアマネジメントは「自己責任」というのも、プロスポーツでは当たり前のことだ。毎日こつこつ練習に出て、5年頑張れば自動的にJ1のピッチに立てる、などということがあるわけがない。監督を含めチームスタッフは選手の成長を促すだろうが、最終的には「努力」ではなく「実力」で評価されるしかないのだ。
解雇は日本ではとうてい受け入れられないと思うだろうが、プロのスポーツチームなら、監督が交代してチーム戦術が変わったり、求める能力に達しないと判断されれば契約を終了するのは当然のことだ。レアルマドリードやバルセロナのような最強チームでも、そうやって新陳代謝しないとたちまちライバルに追い越されてしまう。ポストに空きをつくらなければ優秀な人材を迎え入れられないのだから、「ドリームチーム」を維持するために解雇は必然なのだ。
マッコードは、目指すのは「事業や顧客の必要に合わせてたえず変化しつづける有機体」のような組織だという。Netflix は当初のDVDの宅配からオンライン配信、自社コンテンツの制作へと大きく事業を変えてきたが、その成功は創業時のスタッフをやりくりしたからではなく、大胆なリストラと最適な人材のヘッドハンティングによってはじめて可能になった。
CEOのヘイスティングスも日本のメディアのインタビューで、「もし効率性を大事にするならば、製造業のように社内に多くのルールと手順が必要だ。柔軟性と改革を大事にするのならば、社員には自由と責任を与えるのがよい。だからこそ、ネットフリックは20年の間ずっと変わり続けることができた」と述べている(「コンテンツに第3の革命」日本経済新聞2018年12月2日)。
「プロ」であればいつかはチームを離れる日が来るのは仕方ないこと解雇についてマッコードは、「業績不振者を解雇するだけでもつらいのに、多大な功績を残した人を解雇するのは本当にやりきれない」と認める。だが「プロ」であれば、いつかはチームを離れる日が来るのは仕方ないことだ。
そのときに、最高のはなむけになるのはいったい何だろう。それは励ましや、ましてや慰めなどではない。Netflix が「最高の人材だけを採用することに精力を傾けている会社だという評判」だ。なぜならその看板が、次に素晴らしい仕事をさがすときの大きな武器になるのだから。
こうしてマッコードは、「十分な業績を挙げていないのであれば、そのことを率直に知らされる権利がある」として、日本でも一般的な業務改善計画(PIP)を否定する。それは「能力がない」ことを証明するためだけに行なわれる「とても残酷なもの」なのだ。
プロスポーツにおいても、チーム戦術にフィットしない選手を「飼い殺し」にすることはあるが、まったく活躍できなかった選手が、他チームへの移籍をきっかけに才能を開花させることだっていくらでもあるだろう。このように考えれば、マッコードの次のような「冷酷」な言葉も素直に受け入れられるのではないだろうか。
「業績不振者の能力を伸ばすことに時間をかけすぎると、彼らが―他社で―伸びる可能性をつぶしてしまいかねない」
「マネージャーが受け入れがたい真実を繕い、従業員の解雇を最後の瞬間まで引き延ばし、部下を望まない職務や会社に本当は必要でない職務に縛りつけても、誰のためにもならない。こうしたことの結果、本人だけでなくチームまでが無力化し、やる気がそがれ、心がむしばまれる。従業員は自分の将来性について本当のことを、リアルタイムで知る権利がある。彼らの、そしてチームの成功を確かなものにするには、ありのまま率直に伝え、新しい機会を手助けするのが一番だ」
アメリカは訴訟大国とされているが、こうした積極的な採用と解雇を行なっても、Netflix では大きな問題は起きていないという。それは、「元従業員が会社を訴えるのは、不当に扱われたと感じるからであって、PIPを受けさせてもらえなかったからではない」からだ。自分の業績や適性について、ありのままのことを教えてもらえれば、従業員は納得のうえで会社を辞め、Netflix の看板を最大限に利用して次のキャリアに移っていける。
「一生を通じて学びたい、たえず新しいスキルを身につけ新しい経験をしたいと思うなら、同じ会社に居続ける必要はありません。実際、特定の仕事をするために採用され、仕事がすんだら解雇ということもあるでしょう。たとえばガレージの改装を人に頼むとき、改装がすんだら家の改装も任せようとは思わないでしょう」
このようにいうマッコード自身、Netflix ではもはや自分が貢献できることはないと気づいて、14年間を過ごした会社に別れを告げた。現在はフリーエージェントの人事コンサルタントとして、「企業文化やリーダーシップについて複数の企業や起業家へのコンサルテーションをしながら、世界中で講演活動を行っている」という。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本(新潮文庫)など。最新刊は、『朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論』(朝日新書) 。
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