この連載では個人に焦点をあててシンガポールの最新事情を解説してきましたが、ここまで取材した人物は全て男性でした。今回はシンガポールに移住した女性起業家を紹介します。

サイバーエージェントの新卒一期生として活躍

 村田マリさんは、自身が起業したコントロールプラス株式会社で展開していたソーシャルゲーム事業などを昨年に売却後、お子さんと共にシンガポールに移住しています。今回の取材では起業のことに加えて、女性経営者ならではといえる子育てと企業経営の両立などのトピックについて色々と話を伺いました。

 シンガポールへの移住も、子育てのし易さや英語・中国語のカリキュラムなどグローバルな教育環境、共働き世代を取り巻くサポート体制の充実が主な要因だったようです。シンガポールでの村田さんの生活ぶりについては次回で詳しく紹介しますので、まずは村田さんがどのような経緯で起業に至って、事業を売却することを決断したのかに焦点を当てます。

 村田さんは早稲田大学に入学した時に1人暮らしを始めたタイミングで購入したPCを、独学でどんどん使いこなすようになり、大学2年生の時には音楽のコミュニティサイトやインディーズバンドのWebサイトの作成を請け負うようになります。在籍していた学部は文系でしたが、昔から凝り性だったことが奏功したと本人は話しています。

 学年が進むにつれ、ソニー・ミュージックエンターテインメントやUSENなどの大手企業からも仕事を請け負うようになり、こうした仕事を通じてITベンチャーに関心を持つようになります。2000年4月にサイバーエージェントの新卒一期生として入社し、主に新規事業開発を担当します。動画配信やメルマガプラットフォームの提供、Webサイト制作サービスなど在籍していた4年弱の間に6つの新規事業の立ち上げに関わりました。

 サイバーエージェントを退社後に、26歳で起業。Webの受託製作とメディア事業を中心として、2年後には20人近くのスタッフを擁するまでに急成長します。しかし、2006年のライブドアショック以降、ITベンチャー業界全体の低迷もあり、事業は伸び悩むようになります。

 そうした中、若手起業家たちが企画した中国のSNSやソーシャルゲーム企業を訪問する視察ツアーに参加したことが、事業方針を大きく変えるきっかけとなります。中国を訪問した2009年当時は、アメリカではフェイスブックが、中国では人人網(レンレン)などのSNSが若者へのインターネット普及とともに爆発的な成長を遂げ、SNS上で楽しめるソーシャルゲームのマーケットも急速に立ち上がりつつありました。

Web製作からの事業転換に成功

 中国のIT業界に 衝撃を受けた村田さんは、自身の会社の主力事業もソーシャルゲームにシフトすることを決断します。中国では20代を中心とした若い世代の経営者が事業のグローバル化を視野にいれて、猛烈な勢いで事業を拡大していることを目の当たりにしたことも、大きな刺激となったようです。

 また、この視察ツアーにはウノウ、gumiやポケラボなど今は国内を代表するソーシャルゲームベンダーとなっている企業の創業者たちも参加しており、日本のITベンチャーにおいて重要なシーンとなったようです。

 中国視察から帰国した2009年半ばから外部からのWeb製作の受託を徐々に減らし、ソーシャルゲーム開発事業を育て、半年ほどで事業転換に成功します 。事業転換の難しさは私も起業しているのでよくわかりますが、収益見通しが立ちやすい既存事業を一気に縮小して、新規事業に短期間でリソースを移した思い切りは尊敬に値します。

 また、市場の成長が予測されていたソーシャルゲーム業界には何百というプレーヤーが参入しましたが、異なった事業からの参入にもかかわらず、厳しい競争を勝ち抜いたことも見事だと感じました。

 トップが女性であることを活かして、育成ゲームなど女性を中心としたユーザ同士がじっくりと交流できるゲームを開発することで差別化したことが、既存事業と全く異なったソーシャルゲーム事業において成長できた原動力となったようです。

子育てと事業売却

 2011年には第1子を出産し、出産前後には休みを取りましたが、出産の半年前から綿密に権限と仕事の移行を進めておいたことに加えて、社員の積極的な協力もあり、産休中も事業運営をスムーズに継続することができたと話しています。2011年半ばころから、複数の大手ソーシャルゲーム企業から買収のオファーを受けるようになります。

 子供の夜泣きや病気の看病など子育ての大変さがピークに達した2011年末から、事業売却を真剣に検討するようになりました。

最終的に個人的にも信頼している国光宏尚さんが経営する株式会社gumiにソーシャルゲーム事業を売却します 。もちろん、事業売却は大きな決断でしたが、このまま事業成長を優先すると子育てにどうしても支障が出てしまい、先々後悔してしまうことは避けたいと考えたことが大きかったようです。また、ソーシャルゲーム業界では大手による寡占化が進んでいくであろうことも一因となったと話しています。

 ITベンチャーの本家シリコンバレーでも女性の起業家が少ないことがよく話題になりますが、輪をかけて女性の起業家が少ない日本では、ベンチャー関係者が集まるイベントにおいても、若い女性であるだけで目立つようです。しかし、このことを色々な人と知り合えるきっかけを得やすいと村田さんは前向きにとらえています。

 「出産や育児などライフイベントに合わせて事業立ち上げやエグジットを行うことで、女性もムリなく自然体でやりたいことを追求していけるはず」という村田さんの言葉には驚かせられると共に、女性ならではのシリアルアントレプレナーの在り方を体現してくれそうだと大きな期待を抱かされました。

 次回は、村田さんがシンガポールに移住することになった経緯と、シンガポールでの生活について紹介させて頂きます。

編集部おすすめ