いよいよ3月5日には、ドラえもん映画の最新作「ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団」が公開される。1986年に公開された「ドラえもん のび太と鉄人兵団」芝山努監督版のリメイク作品だ。

ある日、のび太は巨大ロボットの足の一部と思われる部品を拾う。のび太はドラえもんにお願いし、逆世界入りこみオイルで作り出した、すべてがあべこべの世界でそれらの部品を組み立てるのだ。完成したロボットはビルのように巨大で、かつ力強かった。鼻高々ののび太は、このロボットでスネ夫やジャイアンに一泡吹かせようと考えるのだが、そこには思わぬ落とし穴があった。そしてそのころ、ロボットを探しに赤髪の少女、リルルが彼らの町へやってきていた。

今回の映画における話題の一つに、小説化作品が発表されたということがある。
急ごしらえのノベライゼーションではない。作者は、ただごとではない大物なのだ。
瀬名秀明、『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞を受賞してデビューを果たし、『BRAIN VALLEY』で日本SF大賞を受賞したこともある、SF、ホラー界のビッグネームだ。実は瀬名は、マニアといってもいいほどのドラえもんファンなのである。創刊当時から雑誌「コロコロコミック」を購入して耽読し、同誌のドラえもん関係の投稿企画に応募して入賞したこともあるというから、ファン歴は筋金入りと言っていい。
瀬名には多数のロボット学に関する著書があるが、その原点の一つは、間違いなくドラえもんのはずだ。
編集委員を務めている岩波講座〈ロボット学〉叢書の第1巻『ロボット学創成』に寄稿した文章で、瀬名は以のように書いている。

――藤子・F・不二雄が描いたネコ型ロボットの〈ドラえもん〉は、子守ロボットであると同時に友達ロボットだ。ユーザーである主人公ののび太が学校に行っている間、ドラえもんは近所のネコたちと一緒に遊び、自分の時間を有意義に過ごしている。ユーザーが見ていないときにも自分の生活を営んでいるということが、ドラえもんを友達ロボットとして優れたものにしているのである。私たちがペットとして飼うイヌやネコも、決して私たちのいいなりではない。自分のための自由な時間を愉しんでいる。
そのことを知っているからこそ、私たちは彼らに豊かな生命力を感じ、パートナーとしての敬意を払うのである。いっそのこと、ロボットにもこの機能を与えてはどうだろうか。(後略)

さて、瀬名秀明『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団』の最大の美点は、端的に一言で表すことができる。読者に、世界との向き合い方を伝えようとしていることだ。
本書で使用されている漢字には、ほぼルビが振られている。つまり、ローティーン以下の読者が手にすることも想定されているということである。
瀬名は、一切の妥協をすることなく、全力でそうした年若い読者と対峙することを選んだ。
たとえばドラえもんが出すひみつ道具の数々には、きちんと科学的な考証がなされている。四次元ポケットについては、こんな感じ。

――ジュドが放り込まれたポケットの内部は、いわば時間の停滞した世界であった。このような時空間に浮かぶ未来の道具たちは、整然とタグづけされ、手を差し入れる者の判断に応じてすばやく検索・抽出がなされ、取り出される仕組みになっていた。四次元空間に道具を配置することで、省スペース化と物質の劣化対策がなされている。
ただしユーザーの状況によってはタグとの記号設置問題がうまく解決されず、無関係な道具が次々に選択されてしまうというプログラム上の欠陥も抱えているようだった。

そうか、慌てたドラえもんが無関係な道具を次々に取り出してしまうことがあるのは、「タグとの記号設置問題」のせいだったのか。
ひみつ道具だけではなく、『のび太と鉄人兵団』オリジナルのメカニックである、メカトピア製の土木作業用ロボット・ジュド(地球名ザンダクロス)についても、一定の理解能力が必要な記述が行われている。ドラえもんは、メカトピア製の電子頭脳に改造を施し、操作系のインターフェイスを含めて、地球人が操作可能なように作り変えた。

――ドラえもんが電子頭脳の回路とプログラムを置き換えたことで、コクピット内部の操作法もすべてつくりかえられたのだ。飛行機の操縦感覚に近いユーザーインタフェースが各々のレバーやボタンに割り振られ、初めての人間でも直感的に扱えるようになっている。
最初のうちは様子を見ながら動かしていたスネ夫も、すぐに慣れてザンダクロスを走らせるようになった。

ザンダクロスに関しては、さらに踏み込んだ設定があり、それが原作とは少しだけ異なる展開を招くことになるのだが、そのへんは読んでのお楽しみ。瀬名は、こういった考証を行うにあたり、大阪大学大学院工学研究科 知能・機能創成工学専攻 運動知能研究室の杉原知道准享受と、5時間にわたる議論を重ねたという。娯楽読物として創作される小説であっても、たとえその対象年齢が低く設定されていたとしても、科学的考証の手を抜いてはならないのだ。

雑誌「鳩よ!」(休刊)1998年7月号の特集「ドラえもん大好き!」に掲載されたインタビューで、瀬名は自著『BRAIN VALLEY』についてこう話している。

――元々『BRAIN VALLEY』という小説は、僕の中では単なる小説にしたくないという気持ちがあったんです。(中略)小説なんだけど、科学解説書でもある。科学解説書なんだけど、小説でもある、というような作り方をしているんです。小説を読んだ人が霊長類とか、人工生命とかに興味を持って、それに関連する書籍を呼んだり、あるいは科学の専門家が、小説に興味を持って読んだり、そういう、科学と小説の橋渡しになるような、小説にしたかったんです。
私の作品で、読者が科学に興味を持ってくれれば、それは素晴らしく嬉しいことです。

『のび太と鉄人兵団』で瀬名は、読者に知的好奇心を抱かせるよう、世界の扉を少しだけ開き、覗き見をさせた。だが、それだけではない。瀬名は読者に、世界の残酷さ、戦争をすることの恐ろしさをも伝えようとしたのである。原作と小説のもっとも大きな違いはそこだ。
静香の操縦ミスにより、ザンダクロスが高層ビルを破壊してしまう場面がある。

――のび太はその光景をテレビで見たことがあった。ニューヨークの世界貿易センタービルが攻撃されたときのニュース映像だ。あのときとまったく同じように、ビルはたった一撃で、重量を支えるすべての支柱を失ったかのように倒壊してゆく。轟音が新宿に響き渡り、真っ黒な煙がもうもうと立ち上がり、のび太たちのもとまで津波のように襲ってきた。

素晴らしいのはこの場面が、瀬名が独自に挿入したものではないことである。原作の漫画に、きちんとビル倒壊の場面はある。そこに瀬名は9.11同時多発テロのイメージをはめ込んだのだが、暴走した文明の力が恐るべき破壊へと転じる恐怖は、藤子・F・不二雄の原作ですでに表現されていた。物語後半に出てくる、世界の各都市が災禍に見舞われる場面も、驚くほどに原作に忠実である。瀬名は創作法の多くを藤子作品から学んだと公言しており、小説化の手つきにも原作者への尊崇の念が見てとれる。
瀬名が独自性を発揮しているのは、どちらかといえば登場人物それぞれの内面の描写の方だ。メカトピアから大侵略船団がやってくることをしったのび太たちは、わずか五人でそれに立ち向かう決意を固める。一夜が明ければ、無人の街は戦場になる。そこに瀬名は、漫画版には書かれていない恐怖の感情を入れ込んだ。漫画版ではおそらく著者によって慎重に省略され、コマの余白で処理されたのであろう感情が、小説版の後半では物語の主題として立ち上ってきている。
無人となった街で、のび太たちがバーベキューをして腹ごしらえをし、翌日の闘いに備える場面がある。ここに瀬名は、以下のような文章を挿入した。

――あと二四時間もすれば鉄人兵団が地球に攻めてくる。明日にはスネ夫のいう通り、みんな死んでしまうかもしれない。
それでも、だからこそ、この瞬間はみんなといっしょに歌っていたかったのだ。のび太にはそれがわかっていた。ジャイアンにも、スネ夫にも、ドラえもんにもそれがわかっているはずだった。
だからみんなで、心をゆらして、こうして手を振り、足を上げて歌うのだ。友達だから、君がいるから、歌うのだ。
一〇〇年後でも、歌うのだ。

瀬名が原作に持ちこんだ死のイメージは、小説の後半にいたってじわじわと増幅し、のび太たちに大いなる恐怖を与える。彼ら一人ひとりが生きた人間として描かれているため、化学反応の形はそれぞれである。各場面で読者は強く心を揺さぶられるはずだ。たとえば、人型ロボットのリルルがメカトピアに致命的な情報を送ってしまうかもしれないと判明したときのスネ夫の反応。彼女を破壊することを躊躇した静香やのび太たちに、スネ夫は言うのである。
「ほかのロボットは壊しておいて、なぜ女の子のロボットならだめなんだ。これは鉄人たちの罠かもしれない。かわいい子の姿にしておけば、ぼくら地球人が優しくして隙を見せると計算しているんだ(後略)」
美醜の違いによって人間は判断を変えるという残酷な真実を、スネ夫は図らずも言い当ててしまうのである。これ以外にも、生き延びることに必死となったのび太たちのもがき苦しむ姿が無慈悲なまでの現実感をもって描かれているなど、文章だからできる表現が各所に存在する。漫画でもアニメでもなく「小説」であることの意味を、瀬名は熟知してこれを書いているのだ。もし小学生が本書を手に取ったとしたら、彼もしくは彼女は、小説を読むという行為の大きな可能性を知ることになるだろう。もちろん大人の読者にも、本書はぜひ読んでもらいたい。

個人的には助演男優賞はスネ夫に差し上げたいが、「大長編版」にファンがもっとも期待する要素である「男気溢れるジャイアン」の見せ場もきちんとある。また、原作の漫画には顔を見せていないキャラクターが登場し、意外な形でストーリー展開に関わってくる。先述した「鳩よ!」特集で瀬名がお気に入りのキャラクターとして挙げている三人、クリスチーネ剛田、星野スミレ、出木杉英才のうちの一人である(さて、誰でしょう)。
1986年に小学生だったみなさん、ぜひ本書を読み、映画を観て、お子さんと感想を話し合ってください。(杉江松恋)