今「怖いものをあげてください」と聞かれたら曖昧な情報と言いたいです。
震災があってから、たくさんの情報を積極的に集めて見ていましたが、デマや思い込み情報のまあ多いこと多いこと。
明らかなデマでも、見ていると不安になってきてしまうんだもん。その積み重なりで欝になりかけている人は被災地以外でも、日本全国にいらっしゃるんじゃないかと思います。自分も正直「曖昧な情報」の広がりっぷりで妙な不安感ばかり募ります。明白な間違いでも、目に入るとドキドキしてしまう。
人の心は思っている以上に固く、強いものです。信じていれば前にどんどん進むことが出来ます。

と同時に、ある一点を刺激されると、急激にもろくなるのも事実です。
疑心暗鬼になれば心は疲れてしまう。なんでも信じることは自分を無防備にしてしまう。
じゃあどうすれば警戒できるのか? 心を揺さぶってしまうトリックを先に知っておくことが心を守る最大の対策の一つです。
心理学の難しい本は山ほどでていますが、今回は青山景のマンガ『よいこの黙示録』をオススメします。
実例として子供たちが、意図的に新興宗教団体になっていく作品です。
さて、心の準備はOK?
 
ヒロインは小学四年生の産休代替教員。彼女自体は至って普通の、俗っぽい一般人です。先生キャラというよりも、新興宗教がクラスに発生していくのを見ている観察者とでも言ったほうがいいでしょうか。
先生という仕事は、子供たちの人間関係を掌握した上で育てる仕事。もちろん「正しい方向」に。でも正しいってなんでしょうね? ぼくにはわかりません。

しかし「人間関係の掌握」と「誘導」を、クラスの他の子が意図的に計算してやったらどうなるか。はい。それは「信仰」になります。
非常に観察眼が鋭い上に、人間の心を「こうすれば、こう傾く」と計算できる少年、伊勢崎君が登場します。彼はまがいものの「奇跡」を起こし、物言わぬ少女森さんを一気に偶像に引き上げていくのです。
奇跡って言ったって、小学生にでもわかるレベルなんですよ。
子どもだましどころか子どももだませないようなちゃちなものなんです。でもね、人間って「信じたい」と思ったときにその「言語」や「物」を見ると、信じちゃうんです。たとえ曖昧で、どう考えても間違っているとしても、ふらっと。
逆もさらなり。呪い、たたり、怨念など、負の要素も人は信じてしまいやすくなります。特に心に不安がある時は効果倍増。
心が弱っているときに「不幸の手紙」が来たら、思わず他の人に回さなきゃいけないんじゃないか、と普段と違う気持ちが芽生えること、ありますよね。
この両方をうまく使っていくと、言葉で論理的に説明したら普通は「起こりえない」信仰の発生も、「起こりえてしまう」のですよ。だからこの作品は怖い。小学生達がメインになっていることでまだクッションは敷かれていますが、おそらく大人でも同じように崩れていくでしょう。人の心が雪崩のように倒れていく、ケーススタディになっています。

このマンガは不必要に不安や恐怖を煽り立てる作品ではありません。
その点はご安心ください。宗教批判を提示するものでもないです。ただし、「ありうる話」を描いているという点ではハラハラしますね。
あくまでも心は、こうやるとずり落ちていくのだというのを具体的に解説しているんです。徹底して、代替教員目線から見た小学生を描いているため、かなり冷静に分析できます。
大きな事件の後は、どうしても人間の心は流されやすくなります。大人もです。むしろ「私は大丈夫」と思っている大人ほど危ういです。
ちょっとしたデマや煽りに流されないように、人心が動く瞬間をフィクションを通じて学んでおけるこの作品。「大したことない」と感じていることでも、心は簡単に揺れ動く仕組みを知っておくいいチャンスになるはず。
にしても、最初のほうで先生方が「Q-U学級経営」のグラフを見ているシーンは、なんとも象徴的で妙な気分になりますわー。「Q-U」とは「級友」にかけたグラフ式の学級経営方法。X軸に「所属欲求」、Y軸に「承認欲求」をあわせ、クラスの子供達の満足度やまとまりを見るグラフで表すのですが、どうしてもこのマンガの趣旨「人の心の揺れ」というテーマと重ね合わせると……人間関係ってグラフで表せちゃうんだなあと。
うむ、怖い。
おばけなんてないんだぜ、おばけなんてうそなんだぜ、と精一杯の自己暗示!!(たまごまご)