かつてテキストサイト「スレッジハンマーウェブ」を主宰し、その独特な視点や企画で当時のネット民から熱烈な支持を集めた前川さんは、その後、換気口マニアとしてテレビ朝日の「タモリ倶楽部」に出演したほか、いまなおさまざまなもの(それはどちらかといえばニッチなものが多い)を追いかけ、ネットで紹介し続けている。
■「八重歯はかわいい」という価値観を守りたい
――前川さんが八重歯に惹かれるようになったのって、いつぐらいなんですか?
前川 いや、いつからとかそういう問題じゃないんですよ。80年代に思春期を迎えた人間にとっては、八重歯がかわいいなんていうのはパンダがかわいいのと同じで、当たり前の価値観なんです。
――なるほど。……え、パンダと同じ!?
前川 八重歯にかぎらず、いま私が食いついているものって、原体験というか、1980年ぐらいまでに自分が体験したことがだいたいベースとしてありますね。
――前川さんは以前ネットで「ちびせん」というのをやってましたよね。背の低い女の子をプッシュしていこうという。あれも原体験として何かあるわけですか?
前川 あれはどちらかというと遺伝子にすりこまれた話ですけどね。うちの父親が185センチぐらいはあるのに対して、母親は147センチぐらいなんです。
――それ、矢口真里と最近結婚した旦那(中村昌也)ぐらいの身長差ですよね(笑)。
前川 イメージ的にはそんな感じです。
――あー、どこかにコンプレックスを持ってないといけないと。
前川 八重歯もそうなんですけど、半分コンプレックスで半分チャームポイントみたいなスタンスでいてほしいという。
――何か屈折してますね(笑)。
前川 だけど2000年代以降、日本人は八重歯が好きっていうのがいつのまにか当たり前じゃなくなってきているんですね。とくに若年層には、あんまり八重歯がかわいいと思わない層も増えてきたので、これはいかんと(笑)。
私は『八重歯メダカ説』って呼んでるんですけど、いままで当たり前にいると思っていたメダカがいつのまにか絶滅危惧種になっていたように、八重歯もひょっとしたら消えてしまうかもしれない。八重歯がかわいいというのは、日本以外では見られない文化なので、ここはやっぱり守らないといけない、後世にきっちり伝えていこう、ということで活動を続けているわけです。
――僕は前川さんより4つ下の1976年生まれなんですけど、八重歯がかわいいっていう価値観はあんまりないんですよね。
前川 あ、そうですか。4つ下だと、80年代前半のそれこそ石野真子とか河合奈保子の世代はちょっとずれてますよね。近藤さんの世代だと、いわゆるアイドルって誰になります?
――小泉今日子とか中山美穂とかになるのかなあ。
前川 中山美穂も八重歯ですけどね。ただまあおニャン子クラブ以降、いわゆる80年代型のアイドルが衰退していって、アイドル冬の時代とともに八重歯も冬の時代を迎えるんです。で、その時代に現れたのが雅子様だったという。雅子様って、海外生活が長いにもかかわらず、八重歯をずっと守り続けているじゃないですか。そういう人が日本の象徴である天皇家に嫁ぐっていうのは本当に象徴的なできごとだったんじゃないかなと。そこから、モーニング娘。の辻・加護や広末涼子が出てきたいわゆる“八重歯復権期”を経て、たとえばアナウンサーの杉崎(美香)さんとか、スポーツの世界でも、上村愛子や有村智恵――有村さんは最近、矯正してしまいましたが――が出てきた。ようするに、日本の男子がアイドル視する存在というものが、いわゆる昔ながらのアイドルだけでなく、いまは、スポーツ選手やアナウンサーにまで対象が広がっただけで、各分野ではいまでも八重歯っていうのはまだまだ脈々と残り続けていると。
ただ、懸念材料としては、いま、歯医者さんが余る時代になってきてるんですよね。一方虫歯の数はどんどん減ってる。そうすると矯正歯科医が増えるんですね。しかも少子化で子供の歯に無頓着じゃない親が増えてきたこともあって、将来を考えると八重歯を取り巻く環境っていうのはけっこう厳しい。
■興味を持ったら専門誌を片っ端から読み漁る
――前川さんは、あるテーマに興味を持つと徹底的にリサーチされますよね。このあいだの北海道のイベントでもそこにまず感心したんですけど、そういう調べる能力というのはどういうところから鍛えられていったんでしょう。
前川 まあ八重歯にしても北海道にしても、ベースにあるのはやっぱり小さい頃からの知識なんですけどね。もともとテレビっ子だったので、テレビで得た情報というのはすごくあると思います。さらにニッチなものに行きがちになってきたのは、中学校ぐらいからでしょうね。そのころ、雑誌を買い漁っていたというのも大きいと思います。本に関しては私、意外と通るべきところ通ってなかったりもするんですけど、とにかく雑誌は専門誌も含めいっぱい読んでました。だいたい専門誌を2、3号続けて読むと、一般の人よりは知識があるようになってくるんで(笑)。たとえば、相撲に興味を持ったら、『相撲』と『大相撲』と『VANVAN相撲界』を買ってくるとか。
――すごい、ちゃんと押さえるんですね。
前川 私の働いているまわりって、いわゆる丸の内OLばっかりなんですけど、皆さん何かに興味を持ったところで、そこから一歩深くは踏み出さないんですね。例えば相撲なら、白鵬とか琴欧洲は知ってても、琴奨菊のがぶり寄りの魅力なんかは興味がないわけですよ。そこは踏み越えられないというより、逆に踏み越えないことが彼女たちのアイデンティティだと思うんです。それに対して、私は一歩踏み越えないと気がすまない人間だったので(笑)。だから一歩、二歩踏み入れたぐらいの知識なら、たぶん人よりはたくさんあるんじゃないかなと。
――たしかに、引き出しが多いですよね。
前川 そう言っていただけるとありがたいんですけど、ただ、これがもう4歩、5歩踏み越えていたら、もっと一つの分野をきわめた人間になっていたのかもしれないですけどね。それでも、引き出しを広げるっていうことに関しては、とくに意識してというわけじゃなくて、無意識にやってきたところがありますね。
――ちょっと面白そうだと思ったら専門誌を読んでみるというようなことに、その後ネットが加わってきたという感じですか。
前川 それはありますね。
――検索するにしても、まず検索する言葉を知らないとできないですもんね。
前川 あとは、ネットがあるおかげで、八重歯の魅力だとか、そういったことをおおっぴらに話しても、ちゃんと食いついてきてくれる人がいるのだから、まあ幸せな世の中に生まれたよなーとは思います。これがたとえば、丸の内OLの皆さんに話をしたところで、誰も食いついてこないわけですから(笑)。
(後編へ続く)
(近藤正高)